Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(215)

2017-07-26 00:10:00 | コラム
しょーしゃんくのそら「に」→「に」ちようびよりのししゃ(日曜日よりの使者)

「酒」と「うたうたい」が目の前にあったら「酒」を選ぶので、滅多にカラオケには行かない。

行っても、1年に1度か。

行く度にコントローラーの進化にビビッてしまうクチだが、歌うとしたら、斉藤和義に裕次郎にC-C-Bくらいかな。
声の調子がよかったら、明菜と斉藤由貴もプラスして。

同世代とカラオケに行ったとして、「ラストの曲になるから、みんなで歌おう」という流れになり、『日曜日よりの使者』でフィナーレを迎えるという展開が、かつて2度ほどあった。


♪ このまま、どこか遠く、連れてってくれないか
君は、君こそは、日曜日よりの使者 ♪





カラオケの頻度から考えれば、えれー高確率なのではないか。

最後に相応しい曲っていうことなのでしょう。

あるひとにとっての、『サライ』みたいな。


甲本ヒロトが率いる、THE HIGH-LOWSの代表曲。

ウチに帰らなきゃいけないが、名残惜しいなぁ・・・そんな歌詞が書かれているわけではないけれど、そんな気持ちを代弁してくれているような歌なんだと思う。

『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)のエンディングで流れたことを知っているひとも居れば、
映画『ゼブラーマン』(2004)の主題歌として知ったひとも居るでしょう、

多作、そして極論をいえば―無個性という「強烈な」個性の持ち主、三池崇史が放った快作。

まもなく公開される『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』を試写で観させてもらったのだが、
はっきりいって、これを観るなら『ゼブラーマン』を再見するほうが価値があるように思う。

批評というものを「向こうから拒否している」感じのする三池映画は、ゆえに論じ難いところがあるのだけれども、だからといって無視を決め込むことが出来ない厄介な存在で。

というのも、ときどき、

『オーディション』(2000)や『殺し屋1』(2001)といった、おそろしい傑作を放つことがあるから。

逆にいうと、この映画のことが忘れられなくて、未だ三池映画に期待している・信じているのであった。


話を戻して。

世代的にはTHE HIGH-LOWS時代より、THE BLUE HEARTS時代の甲本ヒロトに共感を覚える。

このひとの歌がカラオケで選曲されることが多いのは、
歌の力強さのほかに、
覚え易い歌詞と、誰が歌っても「あんまり」音痴に聞こえない、、、というのがあると思う。

実際、そうなんだ。

『リンダリンダ』を歌うひとを何遍も見たが、みんな、上手とはいえなかもしれないけれど、ヘタッピというわけでもなかったもの。

不思議ですなぁ。


ちなみに自分が単独で歌うとしたら、やっぱり『終わらない歌』だね。


最後の「キチガイ」という歌詞を、はっきり歌ってやりたい。




あすのしりとりは・・・
にちようびよりのし「しゃ」→「しゃ」ーく。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(216)』
コメント
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