Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(231)

2017-07-12 00:10:00 | コラム
トップ画像は、新聞奨学生のころの写真。

そう、坊主でない時代もあったのだ・・・って、それよか、肌の荒れ加減が気になる。

今のほうがハダツヤがよいって、おかしな話だな。


拙著『情の花』のダイジェスト、きょうでいちおうのラストです。

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【第11章】
『私の卒業後』

「様々な仕事を経験した方が、物書きにとってプラスになるはずだ」と考えた私は、専門学校卒業後、1~2年のサイクルで職(アルバイト)替えを繰り返している。

順に・・・映画館のチケットもぎり(無料で映画を見る事が出来た)、仕分け作業員(食事支給あり)、和菓子の製造(無料で菓子パン、和菓子を食べる事が出来た)、そして現在は、ラブホテルの清掃員・・・という風に。(さすがに特典はない。ただ、かなり際どい”裏事情”を知る事が出来た。注・98年5月当時)

母が亡くなったのは、和菓子工場を、身体の不調を理由に退職した直後だった。
だから経済的に余裕がなく、第1章で述べたような、「帰るに帰れない状況」が生じてしまったのだ。

映画館のチケットもぎりを始める直前、私は「卒業報告」と称し、一時的に帰郷していた。

その時、母は何度目かの入院中だった。
私はプレゼントを購入して帰郷したのだが、病室の母を見た途端、自分の思慮の浅さを恥じた。
病人へのプレゼントが、エプロンとは・・・。

プレゼントは難しい。
「早く元気になって」というメッセージと捉えられなくもないが・・・いいやその時の私に、そのような思考は浮かんでいなかったのだ。

「可愛いね。・・・有難う」

本心だろうが、私は、赤面してしまった・・・。

【第12章】
『帰京まで』

私が小学生時代に、毎日のように万引きしていたA商店は、実家から徒歩10分の距離にある。

万引き発覚後、しばらくの間はA商店での買い物を避けていた母だったが、買い物が出来る場所は限られており、いつの間にか、再びA商店で買い物をするようになっていた。

最初、A商店の主人は、母に冷たかった。
当然である。申し訳なさでいっぱいだが、私が、より複雑な感情に襲われるのは、主人と母が、次第に仲が良くなっていった事である。

「お兄ちゃん、頑張ってる?」
「うん、先週手紙来たよ」

そんな会話を展開しているという話を母から電話で聞く度に、罪悪感というか、何とも言えない感情に支配され、私の自我は揺らいでしまう。

告別式終了後、私は約1ヶ月間を、実家で過ごした。
そこで私は何を思ったか、小学生時代に悪事を働き続けた(半年間連日万引き!)そのA商店に、顔を出したのだ。

「どうも、久し振りです」
「あ!・・・おにいちゃん!!」

主人は私に近寄り、そして、号泣した。

「・・・突然なんだもの」
「・・・そうですね」
「だって、亡くなる前の日にも、ここに買い物に来たのよ」
「・・・あぁ、そうだったんですか」
「・・・少し疲れた顔をしていたけれど、声は元気だった」
「・・・・・」
「本当ね」
「はい?」
「良い人ほど、早く亡くなってしまう・・・」
「・・・・・」


数日後、母の遺品の整理に取り掛かった。

小学生の頃の卒業文集から―。

「聞いても、すぐ忘れちゃう。先生の話を瓶に入れて、ずっと取っておきたい」

私は私の「へその緒」を、形見として持ち帰った・・・。


8月25日―。
母の死から、ちょうど1ヶ月が経過していた。

町田の安アパートに戻ると、突然、大きな不安感に襲われてしまった。
1人で居るのが、怖い。
1人に、なりたくない。

生まれて初めて襲われた、戦慄の感情であった。
私は、急いで街に出た。

出来るだけ、人の多いところに行きたい―ただそれだけの理由でデパートに入り、何を見るのでもなく、何を購入するでもなく、ただひたすら、人込みに紛れていたのだ・・・。

【第13章】
『母との別れ』

「あの人、自分が間もなく逝ってしまう事を、知っていたのではないか?」

故人について、生前の出来事を回想していくと、こんな疑問にぶつかる事があるという。

普通では考えられない事、奇跡や偶然と解釈するには、あまりにも出来過ぎている事などが重なると、私達は故人を想い、「もしや・・・」などと考えてしまう。

実は母も、そうだった。
 
姉の海外旅行を見送るため、成田空港に向かった母は、姉の姿を見て、泣いていたそうである。
母は涙もろいが、娘の旅行で泣くというのは、ちょっと考え難い。

7月20日。
母が亡くなる、5日前―。 
この日、母は私に会いに来ている。
 
体調不良が原因で、アルバイトを辞した私を見舞う・・・という理由があるにせよ、今から考えれば、あまりにもタイミングが良過ぎる訪問であった。
 
「もしかしたら、別れのサインだったのでは?母は、死期が近い事を知っていたのか?」

こう考えると、夜も眠れなくなる。

確かなのは・・・姉には涙を見せ、私には会いに来た。墓参りも済ませてあり、身の回りをキレイにして、母は逝った―という事である。

ただ、私個人の考えを優先させれば、母は自分の死期を知らなかった―と解釈したい。

なぜなら、自分の死期を知り、1人で怯え、泣き、いよいよ覚悟が出来て、身の回りを整理した・・・と考えた時、母がそんな切迫した心理状態であったとは、思いたくないからだ。あまりにも、不憫に思えてしまうからだ。

 
・・・随分と長くなってしまったが、以上が、第1章から第13章までの粗筋である。
 

つづく。

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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(232)』
コメント (2)
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