Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

まじない

2012-12-17 00:15:00 | コラム
旅館に閉じこもって長編を書く―最近の作家さんは分からないけれど、文豪にはそういうイメージがある。
黒澤だって脚本執筆の際は、パートナーである橋本忍や小国英雄らと旅館にこもり、アアデモナイコウデモナイと喧嘩を繰り返していたというし。

どこに居ても、どんな精神状態にあっても書けるというのがモノカキという気もするが、
たぶん先輩たちのそういう行為は一種の「まじない」であり、
そういうことしなくても書けるには書けるが、そうすることによって「より」いいモノが書ける、、、そう信じているところがあったんじゃないか。


『恋におちたシェイクスピア』(98)の若き天才は、一回転? し、唾を吐いて? から着席する。
『アマデウス』(84)の悩める天才は、ビリヤード台で球を転がしながら音符を記していく。

まじない―というよりは、「癖」のような気もしてきたけれど。

逆に『シャイニング』(80)や『バートン・フィンク』(91)の主人公は、音のない世界でタイプライターと対峙する。

まじないも信じないし、癖などもない。
現実主義の作家ということか、しかしその潔癖症? ゆえに幻影を見ることになったり、悪霊? に憑依されることになるんじゃないか・・・などと、答えのないことを考えたり。


じゃあ、自分にはそういうものがあるのかって話である。

ある。確実に。

シナリオを書く場合は、ブラックコーヒー。
ブラックにもほどがある! というほどの濃い目じゃなきゃダメ。

音量を絞って、マイケル・ナイマンか村治佳織のCDを流す。

コラムを書く場合は、カプチーノ。
トップ画像がそれで、ブラックコーヒーもそうだが、生意気にもカプセルタイプのカフェマシーン(=ネスカフェ ドルチェグスト)で淹れたものだ。

流す曲は、アメリカのロックが多い。

批評を書く場合は、焼酎のジュース割りかハイボール。

音量を上げ、映画音楽を聴きながら書く。

いずれも「煙草つき」だが、こうすれば「そこそこのモノ」が書けると信じているところがある。

入れ替えてみたら、どうか?
シナリオにはカプチーノを、批評にはブラックコーヒーを。映画音楽を聴きながらコラムを書いてみたり。

代替可能だとは思うが、A型神経質なものでね、こうと決めたら変えたくないというのが本音である。

というわけで。
ひょっとしたら「より」いい組み合わせが発見出来るかもしれないのに、試したこともないのだった。


ただ、はっきりしていることがあって。
煙草抜きではダメだし、煙草だけでもダメ、、、ということ。

煙と、咽を潤すもの、それから耳を刺激するもの―それら三つの要素があって、初めてこころの安定が得られ、心地よくモノが書けるのだよと。

まじないというより、頼り切っている点でクスリ―なのかもしれない。

クスリ漬けですよ、クスリ漬け。

サプリメント馬鹿になっているアンちゃんネーちゃんを鼻で笑っているようなところがあったけれど、
自分だってアルコール入れて、ニコチン入れて、カフェイン入れて。
プロテインも服用しているし、なかなかのジャンキーじゃないかって。

気分よくモノが書けるのだから、それもいい。

書いたものが評判悪かったとして、それをクスリの所為にし始めたら末期症状だけれどね。

そうならないかぎり、まじないは「それなりの」効果があるってことだろう。


※『アマデウス』より、好きなシーンのひとつ。
サリエリが懸命に創った「歓迎のマーチ」を「単に繰り返しだ」とこきおろし、目の前で手直ししていくという、モーツァルトの残酷さ。




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コメント (2)
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