Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

CINEジャンキー

2012-10-07 00:15:00 | コラム
某日。
日本映画『新しい靴を買わなくちゃ』(きのうより公開)を試写で観る。

中山美穂が主演、北川悦吏子の演出―という時点で興味ゼロというかマイナスだが、岩井俊二プロデュースなので「少しだけ」期待する。

やばい。
ぜんっぜん、ノレない。

いや、やばいと思う必要もないのだが、どういう視点に立って触れてみても「微塵も」楽しめない自分が居た。

CMでも流れるが、「あの橋くぐるときに、願い事をいうと叶うんだって」とミポリンがいう。

そのツクリモノ感にうんざりしたし、そういう台詞を極力吐かないようにするのが現代の脚本家なんじゃないか? と思った。
かつて荒井晴彦が、青山真治の才能を認めつつ「ぬいぐるみを抱えた、なにも話さない少女―そういう安易な設定を避けるのが、脚本家の仕事なんじゃないか」と吠えたのと同じ感覚である。

あらゆる意味で闘っていない映画を観た不愉快さは、自宅に帰還して以降も続く。

闘う映画が、観たい。
闘う監督に、会いたい。

なにと闘う?
なんだっていいんだよ、闘ってさえいてくれれば。


某日。
北野武の新作『アウトレイジ ビヨンド』(きのうより公開)を試写で観る。

いろんなものと闘っていて、おおいに楽しんだ。

満点ではないし、やはり初期の武映画の衝撃には勝てないが、
単純に面白く、また、黒澤和子&山本耀司による衣装も格好いい。

惜しいのは、武がモノクロームで撮りたがっていたのを周囲が反対したこと。

ノワールを目指していたのだから、モノクロでよかったんじゃないか。

ただ「色を抑えたい」という武の希望は「銀残し」という技術で叶えられた。
市川崑による『おとうと』(60)で開発された、特殊なフィルム現像法である。

「映画史とは無関係に映画を撮っている」ように思われる武が、フィルムにこだわり、「銀残し」を使う―なんだか、それだけで感動するのだった。


某日。
渋谷パルコで開催中の『チンポム展』を鑑賞後、中国映画『ロスト・イン・北京』(トップ画像)を観る。
どちらも試写や招待ではなく、きっちり料金を納めての入場である。

両者とも、期待していたから。
触れる前から、両者とも闘っていることを知っていたから。

前者は多くの批評にも取り上げられていたが、放射能標識(これのこと、ね)を生ゴミ袋に描いていくパフォーマンスが刺激的で面白かった。

期待値70、出来75くらいの、ちょうどいい完成度。

しかしこの刺激的なアート鑑賞も、『ロスト・イン・北京』のインパクトの前では少し霞んでしまうかもしれない。

2007年に制作された映画だが、性描写だけでなく、倫理や道徳に反した物語そのものが検閲によりレッドカードが出され、中国での上映が禁止された問題作である。

「ムハンマドを侮辱する映画」はともかく、
世界中の問題作を観ることが出来る自由が、この日本にはある。
じつにありがたいことで、こういう企画であれば入場料が5000円くらいでも出す気になる。

問題作とはいっても、不倫や(強姦にちかい)セックス、その後の「破綻しない」夫婦関係というありかたは、いままでの映画やドラマ、小説という物語の世界では何度も描かれたことであるし、また、いってしまえば現実世界でも「よくあること」。
ただそれを、検閲の厳しい中国の作家が挑んだという点が感動的であり、

闘っているなぁ!

格好いい!!

(向こうは拒否するかもしれないが)共闘するぜ!!!

と、胸が熱くなるのであった。


失望と希望を繰り返す―こんな風にして映画小僧は、秋を過ごしている。


※張りまくられているので知っているひとも多いだろうが、面白いので。
とくに『落ち着いてください』がツボ。




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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『にっぽん男優列伝(168)神山繁』

コメント (1)
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