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にっぽん男優列伝(171)小林旭

2012-10-23 00:15:00 | コラム
38年11月3日生まれ・現在73歳。
東京出身。

公式サイト


前作を観たときも同じように感じましたが、
北野武の最新作『アウトレイジ ビヨンド』を観て、このシリーズは北野節がどうとか、そういうことを論じるより、俳優のための映画なのだから「楽しむべきなんじゃないか」・・・そんな感想を抱きました。

だって、みーーーーーーんな、楽しんで演じている「ように見える」からです。

とくに、
「そういう役」とは無縁だった加瀬亮、「駆け出しのころ」のキャラクターを久し振りに演じられる椎名桔平のふたりは、うれしくてうれしくてたまらなかったんじゃないでしょうか。

観ていてそれ(=演じる楽しみ)が伝わってくる映画って、じつはそんなにありません。
QTタランティーノの映画だけは「いつも」感じられますが、日本映画に限定すれば「だーーーーいぶ」遡ることになります。

それが、73年から「短期集中型」で制作された『仁義なき戦い』のシリーズです。

このシリーズに登場する俳優さんは、主演級から脇役まで、みんなが楽しそうに演じています。
怒鳴ったりわめいたり殴ったり拳銃ぶっ放したりしているだけですが、
それはつまり、映画が、エネルギーを発散させる装置として機能していた―そういうことなのではないでしょうか。
最近はそういう作品が少なくなったからこそ、『アウトレイジ』組の俳優さんが活き活きして見えた、、、のかもしれません。

『仁義なき戦い』で最も怖いのは主演の菅原文太ではなく、眉毛のない梅宮辰夫です。
そんな辰兄ぃには負けますが、グラサン姿の小林旭(こばやし・あきら)さんも、なかなかの迫力。

日活の先輩だから敢えて遠慮なしに書きますが、
通称マイトガイは、自分の年代では「ガタイはいいけど、ちょっと田舎っぺな感じがするオッサン」というイメージが強いです。
『仁義』を観る前の自分がそうでしたし、渡り鳥といわれても・・・みたいな。

しかし歌手としての実力は、年齢とは無関係に誰もが認めるところなのではないでしょうか。


動画として『熱き心に』と『昔の名前で出ています』、どっちをリンクしようか迷ったのですが、
大瀧詠一が作曲しているということで、やはりこちらを




<経歴>

子役として小さなころから現場に親しみ、少年期には俳優になることを決めていたようです。

56年―第3期日活ニューフェイスに合格。同期には、二谷英明が居ました。
同年、川島雄三の『飢える魂』で映画俳優デビューを飾る。

長州藩士・久坂玄瑞を演じた『幕末太陽傳』(57)、『霧の中の男』(58)、『南国土佐を後にして』(59)を経て、59年より『渡り鳥』シリーズをスタートさせる。

『ギターを持った渡り鳥』(59)
『口笛が流れる港町』(60)
『渡り鳥いつまた帰る』(60)
『赤い夕日の渡り鳥』(60)
『大草原の渡り鳥』(60)
『波涛を越える渡り鳥』(61)
『大海原を行く渡り鳥』(61)
『渡り鳥北へ帰る』(62)
『渡り鳥故郷へ帰る』(62)

元刑事の滝伸次が、ギターを抱えて歌を披露しながら敵をやっつける―という荒唐無稽さがウケて人気を博しました。

さらにほぼ同時期に、『銀座旋風児』シリーズもスタート。

『銀座旋風児』(59)
『銀座旋風児 黒幕は誰だ』(59)
『銀座旋風児 目撃者は彼奴だ』(60)
『銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる』(61)
『二階堂卓也銀座無頼帖 帰ってきた旋風児』(62)
『風が呼んでる旋風児 銀座無頼帖』(63)

この両方のシリーズで共演した女優、浅丘ルリ子と同棲をした時期もあったようですが、
浅丘ルリ子よりも、美空ひばりとのアレコレのほうが、おそらく有名なのでしょう。

62年に結婚し64年に離婚、しかし実際には入籍せずに云々かんぬん・・・と、けっこう複雑。ただ本稿の主題は映画そのものにありますので、詳しくはウィキペディアで。

映画キャリアに戻ります。

シリーズ物以外に『東京の暴れん坊』(60)や『俺は地獄の部隊長』(63)に出演するも、
60年代後半より、旭さんがどうこうではなく、日活産そのものが不調に。
そのため日活は71年より路線を変更、ロマンポルノを量産していくことになります。

72年、東映に移籍。
『仁義なき戦い』シリーズの第三弾、『代理戦争』(73)より「武田明」としてレギュラー出演を果たす。
ヤクザにしか見えないトップ画像のオッサンこそ、当時の旭さんです。

『仁義なき戦い 頂上作戦』(74)、『仁義なき戦い 完結篇』(74)。
『あゝ決戦航空隊』(74)、『青春の門』(75)、『青春の門 自立篇』(77)、『多羅尾伴内』(78)、『多羅尾伴内 鬼面村の惨劇』(78)。

80年代に入ると映画界とは距離を置き、ほとんど姿を見せなくなりました。
しかし『アゲイン AGAIN』(84)から5年が経過した89年、『春来る鬼』で突如として映画監督デビューを果たす。
同年に山城新伍も『せんせい』を発表しており、企画段階あたりで触発されてのこと、、、だったのかもしれませんが、
『せんせい』は興行面で振るわずも批評面では「まずまず」、しかし『春来る鬼』は興行・批評の両面で惨敗、以来、旭さんはメガホンを持っていません。

92年、『修羅の伝説』で久し振りに俳優業復帰、
それ以降の出演作に『民暴の帝王』(93)、『修羅の群れ』(2002)、『首領(ドン)への道 劇場公開版』(2003)。

始めに戻りますが・・・
武あたりが演出したら、旭さんが楽しく演じられる面白い映画が出来上がる―と思うのですけれどね、どうなのでしょうか。


次回のにっぽん男優列伝は、小林桂樹さんから。

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コメント (3)
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