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それでも生きる子供たちへ

2007年02月11日 | 映画
(C)2005 MK FILM PRODUCTIONS Srl RAI CINEMA SpA

映画「それでも生きる子供たちへ

 本日、イタリア大使館主催で「それでも生きる子供たちへ」の試写会を観に、イタリア文化会館へ行ってきた。

 このタイトルのとおり、世界7カ国において、過酷な現実の中で生きる子供たちの姿を、「エイリアン」のリドリー・スコット監督、「マルコムX」のスパイク・リー監督、「狼たちの挽歌」のジョン・ウー監督ら7人の監督が、7つの物語として描いていく。
 したがってドキュメントではないのだが、ストーリテラーの監督たちの凝縮された1話20分の中の子どもたちの行動は胸に迫るし、逆に現実はもっと悲惨で過酷だろうと想像させられてしまう。
 
そこに出てくるのはすべて小学生低・中学年くらいの子どもなのだが、戦争・貧困・エイズ・いじめ・差別・親のエゴなどの問題を背負い込んでいて、これらの過酷な現実が「実際に」今世界で起こっているということなのだ。

1話目は「タンザ」メディ・カレフ監督 アフリカ
民兵にさせられた子どもたちの話だ。本当は子どもらしく遊びや学校に惹かれる姿と、銃を手に理由もわからず殺し殺される姿のギャップが酷い。「はじめは11人いたけど今は僕とあいつだけ。だから君たちのような子を入れるんだ」という言葉に愕然とする。

2話目は「ブルー・ジプシー」E・クストリッツァ監督 セルビア・モンテネグロ
犯罪者の子どもの話で、少年院から出所しても、親からの暴力(ウイスキー瓶を頭に叩きつけられる)や、親が犯罪を強要するなどし、また舞い戻ってしまう。出所したら床屋になりたいと思うのに、犯罪の連鎖を断ち切れない子ども。
「少年院の中の方が安全だ」と彼らに思わせてしまう原因が垣間見える。

3話目は「アメリカのイエスの子ら」スパイク・リー監督 アメリカ
生まれながらにしてエイズの子どもの直面する胸が引き裂かれるようないじめや、薬中毒者の親。親にしてもイラク戦争のトラウマを抱えた帰還兵という問題も描かれる。救いなのは、親がきちんと子どもを愛していて、子どものいじめを知った時に、同じ境遇の人に対してのカウンセリングに連れて行くシーンがあることだろう。

4話目は「ビルーとジョアン」カティア・ルンド監督 ブラジル
貧民街に住む兄妹が1日かけて市場の手伝いをしたり、ゴミ拾いをしたりしながら、やっと換金するとあれやこれや引かれて、大したお金はもらえない。それでも毎日を生きていく生命力を感じさせる映像だ。

5話目「ジョナサン」ジョーダン&リドリー・スコット監督 イギリス
戦争犠牲の子どもたちを描いた作品だ。トラウマに悩みパニック障害を起こしている戦場カメラマンが、森の奥で死んだ友人たちに出会い、子どもに還り、戦地をめぐって自分のしている報道の意義を思い出すという、少し幻想的な映像だ。

6話目「チロ」ステファノ・ヴィルネッソ監督 イタリア
南イタリアのスリの子らの話。有名なイタリアの子どもによる窃盗がどういう環境から起きているかわかるし、本当は遊園地や綿菓子を好む普通の子どもなのだということもわかる。

7話目「桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)」ジョン・ウー監督 中国
富裕層の娘と貧民層の娘をめぐり、何が幸せと言えるのか問う作品。恵まれていても親の不和の渦中にいる娘と、ゴミ拾いだが質実に生きるお爺さんに拾われた捨て子の物語で、子どもたちの熱演もさることながら、大人の責任をひどく痛感させられる。


大使館員の方の解説では、この映画の売り上げがユネスコや国連世界食糧計画に寄付されるとのこと。
一朝一夕ではこれらの問題は解決しないだろうし、誰かが助かっても他の子どもが同じ境遇になるのかもしれない。それでも、これを読んで、今年の夏に思い出して映画館に足を運んでくれる人がいて、あの子ら、あるいはその人の子らのためになるのであれば、物書きとして少しは役に立っているのかなと思うのである。

2007年初夏 シネマライズにてロードショー


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