今日は日差しもあり、北風も吹いて昨日からの洗濯物もすっかり乾いた。
トップの写真は、昨夜の教会でのクリスマスイブ礼拝の時に撮った写真。
礼拝堂の入り口の靴棚の上に可愛いクリスマス小物が並べてあり、牧師手作りのリースが飾ってある。
向かいの靴棚の上のディスプレイ。
教会学校の子どもたちがペープサートで使ったのかと思われる黒いボードもクリスマス飾りを引き立てている。
礼拝堂に向かう光の道。
今年は牧師が牧師館の杉にクリスマスツリーの飾りつけをして、礼拝堂の前の小道にランプを並べた様子。例年になく華やかな装いになったようだが、クリスマスイブ礼拝には初めて参加したのでこれまでの様子は分からない。
クリスマスイブ礼拝は夕方7時から行われる。
ちょうど夕食時なので、これまで私は参加しなかったが、父がどうしても参加するというので今年は一緒にでかけた。
教会の横のこども園を利用しているお母さんが子ども連れで参加したりと日曜日の礼拝より人数は多い。
牧師も分かりやすくお話をして、馴染みのあるクリスマスの賛美歌をいくつか歌った。
マスクをしていると、息継ぎの時に十分に息が吸えなくて、歌声も息が続かない。
後の席で声楽家と思しき男性が朗々と下の旋律を歌うので心地よい。
本当はコロナ対策で小さな声で歌いましょうと言われているが、やっぱり大きな声で歌ってしまう。
換気のため窓を開けているのでコートを着たままの礼拝だが、クリスマスを祝う心は温かい気持ちで満たされた。
そして今日はクリスマス。
クリスマスディナーは、温めるだけのフライドチキン、男爵系のジャガイモを丸ごと茹でて皮をむいて作ったポテトサラダ、牛筋を圧力鍋で煮込んで作ったコラーゲンたっぷりのビーフシチュー(昨日の残り)。
夕方外に出てみたら、やっと晴れた空に木星と土星が近くで輝いているのが見えた。
スマホで撮ったので土星はかすかに見える程度。
クリスマスは、日本では恋人が愛を語り合う日だったり、願い事をする日(短冊に願いを書いてツリーにつるすというまるで七夕のようなところも)だったりする。
キリストが生まれたことを喜ぶ人は、教会に集う人たちだけだろう。
キリスト者にとって、クリスマスは大事な行事。
父は今や敬虔なクリスチャンなので、クリスマスイブ礼拝には絶対に行くというのは分かる。
ケチだからタクシーは使わず自分で運転していくと言い張る。
昼間はまだしも夜の運転は流石にやめてほしい。
なので、私も行くことになる。
イブ礼拝に参加することに抵抗はないが、夫や息子を夕食時に家に残して出かけるのにはちょっと抵抗がある。
シチューを作って、「温めて食べてね」と言えば二人とも異存はないはないのだが。
夫は鍋を火にかけたままにして焦がしてシチューを台無しにしたことがあるので、「焦がさないでね」と一言添えると苦笑いした。
宗教とは排他的だと思う。
自分が信じるものを優先すれば、それを信じていない家族は除外されてしまう。
クリスマスのごちそうを、イブには家族そろって食べられない。
それでも宗教は信じることを優先させる。
何故洗礼を受けないのかと問われるが、私にはまだ迷いがある。
トップの写真は、昨夜の教会でのクリスマスイブ礼拝の時に撮った写真。
礼拝堂の入り口の靴棚の上に可愛いクリスマス小物が並べてあり、牧師手作りのリースが飾ってある。
向かいの靴棚の上のディスプレイ。
教会学校の子どもたちがペープサートで使ったのかと思われる黒いボードもクリスマス飾りを引き立てている。
礼拝堂に向かう光の道。
今年は牧師が牧師館の杉にクリスマスツリーの飾りつけをして、礼拝堂の前の小道にランプを並べた様子。例年になく華やかな装いになったようだが、クリスマスイブ礼拝には初めて参加したのでこれまでの様子は分からない。
クリスマスイブ礼拝は夕方7時から行われる。
ちょうど夕食時なので、これまで私は参加しなかったが、父がどうしても参加するというので今年は一緒にでかけた。
教会の横のこども園を利用しているお母さんが子ども連れで参加したりと日曜日の礼拝より人数は多い。
牧師も分かりやすくお話をして、馴染みのあるクリスマスの賛美歌をいくつか歌った。
マスクをしていると、息継ぎの時に十分に息が吸えなくて、歌声も息が続かない。
後の席で声楽家と思しき男性が朗々と下の旋律を歌うので心地よい。
本当はコロナ対策で小さな声で歌いましょうと言われているが、やっぱり大きな声で歌ってしまう。
換気のため窓を開けているのでコートを着たままの礼拝だが、クリスマスを祝う心は温かい気持ちで満たされた。
そして今日はクリスマス。
クリスマスディナーは、温めるだけのフライドチキン、男爵系のジャガイモを丸ごと茹でて皮をむいて作ったポテトサラダ、牛筋を圧力鍋で煮込んで作ったコラーゲンたっぷりのビーフシチュー(昨日の残り)。
夕方外に出てみたら、やっと晴れた空に木星と土星が近くで輝いているのが見えた。
スマホで撮ったので土星はかすかに見える程度。
クリスマスは、日本では恋人が愛を語り合う日だったり、願い事をする日(短冊に願いを書いてツリーにつるすというまるで七夕のようなところも)だったりする。
キリストが生まれたことを喜ぶ人は、教会に集う人たちだけだろう。
キリスト者にとって、クリスマスは大事な行事。
父は今や敬虔なクリスチャンなので、クリスマスイブ礼拝には絶対に行くというのは分かる。
ケチだからタクシーは使わず自分で運転していくと言い張る。
昼間はまだしも夜の運転は流石にやめてほしい。
なので、私も行くことになる。
イブ礼拝に参加することに抵抗はないが、夫や息子を夕食時に家に残して出かけるのにはちょっと抵抗がある。
シチューを作って、「温めて食べてね」と言えば二人とも異存はないはないのだが。
夫は鍋を火にかけたままにして焦がしてシチューを台無しにしたことがあるので、「焦がさないでね」と一言添えると苦笑いした。
宗教とは排他的だと思う。
自分が信じるものを優先すれば、それを信じていない家族は除外されてしまう。
クリスマスのごちそうを、イブには家族そろって食べられない。
それでも宗教は信じることを優先させる。
何故洗礼を受けないのかと問われるが、私にはまだ迷いがある。