星のひとかけ

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ソングラインの途上で…

2018-07-06 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
6月はライヴに出掛けたりして 音楽中心に日々を送っていましたが、 その合い間に ブルース・チャトウィンの『ソングライン』を少しずつ読んでいました。


この本は 1994年 めるくまーる出版 芹沢真理子訳 のものです。

新しく、 英治出版から 2009年に 北田絵里子訳でも出ているようですが私が今読んでいるのは古いほうです。

アボリジニの人たちに先祖から伝えられている〈ソングライン〉については 前にちょっとだけ書きました。 重複だけどもう一度載せます。
 
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アボリジニの人たちによって先祖からずっと歌によって伝えられてきた道「ソングライン」、、 それは目に見える交通の道の意味ではなくて、 一族のアイデンティティであり履歴であり、、 生きる知恵や教えであり、、 歌によって存在せしめられたこの世界の意味でもある、、 (まだ読みかけだからよくわからない…)

引用: 「歌うことで世界を存在させていった先祖たちは、詩(poesis) 本来の意味、すなわち〝創造する”という意味において詩人だった…
  信心深い彼らの人生の目的はただひとつ、土地をそれまでどおりの、あるべき姿のままにしておくことだった。 ”放浪生活”は儀式としての旅だったのだ。彼らは自分の先祖が残した足跡をたどった。そして一音一句変えることなく、先祖のつくった歌を歌い、そうすることによって“創造”を再創造していったのである」

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チャトウィンがオーストラリアのアボリジニに伝わる『ソングライン』に関心を持った背景には、 人間はそもそも移動するように生まれついているのではないか、、 自分はなぜ旅に魅せられるのか、、 そういう自身の問いかけに端を発している。
だけど、 チャトウィンは『ソングライン』の前に、 生涯を何処へも行かずにひとつの村の中で暮らした双子の物語『黒が丘の上で』も書いている。 それを読んだ時に (もしかしたらこれは チャトウィン自身の「心の物語」なのかな…)と書きました(>>

放浪することは ここから離れて「去っていく」「逃れていく」ことではなくて、 「求めていく」「見つけていく」ことなのではないのかな。
先に引用したように、 アボリジニの《放浪》は決して当ての無い逃避ではなくて、 先祖の足跡と自分が一体になる為の、 そうやって自分とこの世界とが完全になる為の《創造》の行程なのだとしたら、 チャトウィンは《ソングライン》を取材する旅をしながら、 結局は自分自身の旅の意味、、 旅する者と定住する者の違い、、 そういう生き方を選んだ人生の意味、、 それらと向き合うことになる…

 ***

そんなことを考えながら、、 三分の二くらい読み終えました。

それで、、 今朝たまたまチャトウィンとソングラインの事を検索していたら、 David Bowie の息子さん Duncan Jones さんのツイートに辿り着いて、、??と思ったら、、 ボウイの愛読書だった100冊についてのツイートでした。 ダンカンがボウイの愛読書だった本について、ネット上の読書会のようなものをしよう、とツイートしていたのは前に読んで知っていました。 それに関連したものです。
https://twitter.com/ManMadeMoon/status/945820401141026816

↑ダンカンが20代になった頃、ボウイが『ソングライン』を読むように、とダンカンに与えてくれた、のだそうです。

デヴィッド・ボウイの愛読書100冊、については前にリストを見た記憶はあったけど、『ソングライン』のことは覚えてませんでした。


そうかぁ、、 ボウイもこの本が好きだったのですね(ダンカンも好きと書いています)。。 それを知ったら、 この6月、、吉井さんのライヴツアーが続いていたこの6月に『ソングライン』を読めたことが嬉しいめぐり合わせのように思えてきました。

 ***

Bowieに話が脱線しましたが、、 チャトウィンに戻って、、『黒が丘の上で』のところでも書きましたが 私はチャトウィンがAIDSで亡くなった事は知りませんでした。 そういう風に当時は書かれていなかったから。。 これは日本だけではなく、 英国でも当時は公表されていなかったためで、94年の『ソングライン』でもチャトウィンは《風土病》で亡くなったと書かれています。 私もずっとそう思ってきました。



やっと最近になって事情が判り、 チャトウィン自身が最後まで病名を隠していた事、 それは自分の両親を失望させるのを恐れた為とも言われている事や、 ロバート・メープルソープやサム・ワグスタッフとの交遊の事もやっと知りました。

チャトウィンは 『ソングライン』執筆中に自分の病気のことを知ったのだそうです。 だから先ほど、 アボリジニにとってのソングラインの意味を知る事は、チャトウィン自身と向き合う事になる、、と書きましたが チャトウィンは『ソングライン』という本を書きつつ、 自分自身の《生》の意味と、待ち受ける《死》の意味に向き合っていったのです。

本のちょうど中間くらいに

「私は自分の人生の“旅”の季節が終わりつつあることを予感していた」

という一文が出て来ます。 そこから後半は不意にアボリジニの人たちの記述から離れ、 チャトウィンがそれまでの旅の人生で書き留めてきた (あの有名なモレスキンの手帳に書き留められてきた)ノートからの引用がひたすら続いていきます(今読んでいるところです)。。 それはきっと 自分の全てであるそのノートを通じて 自分の人生を辿り直し、 自分の旅とは何だったのか、 自分は何を見つけようとしてきたのか、、 チャトウィン自身の《ソングライン》を思索しているのだと思います。

《旅》についての思索から、、 やがて訪れる逃れられない《死》への思索へと…

 ***

『ソングライン』はあと1日か2日で読み終えそうです。。 今朝、 ダンカン・ジョーンズさんのツイートを見つけたことで、 こじつけかもしれませんが、、 『ソングライン』はチャトウィンにとっての置手紙、 Blackstar「★」なのだと気づきました、、。 

『ソングライン』の冒頭にある 「エリザベスに」という献辞も、、 チャトウィンの二つに裂かれた生を知りつつ 彼の最後を看取ることになる(離婚しなかった)妻への、、 何だろう… 自分の生きた証、 感謝、 弁明、 最後の贈り物、 その全てなのでしょう、、

まだ全部読み終えてもいないし、、 なんだかまとまりの無い文章になってしまったけど、、 『ソングライン』をアボリジニの人たちの放浪のルポであると同時に、 ブルース・チャトウィンの人生の決算として読むことで、 たぶん全く印象は変わってくると思ったので、、 (David Bowie が私達に残してくれた100冊リストと絡めて) 読書の途上での思いを書き留めておくことにしました。

 ***

ボウイの100冊を今朝あらためて見て、、 ウィリアム・フォークナーの『死の床に横たわりて』をボウイが挙げているのも興味深いです。。 代表作ではなくこの作品、、 (私は未読なのだけど) ボウイがこの100冊を選んだ時期は 自分の回顧展に向けて、でしたよね。 きっとこれにも意味があるのでしょう、、 いつかきっと読んでみよう。。

アボリジニのソングラインではないけれど、、 人生の中で出会うべき本、 出会うべき音楽、、 そのリストや時期はあるべき時にあるべき形で、、 きっと定められているような気がします。。 その道がうまく見つけられて、 自分に必要な本、 必要な音楽に、 うまく出会えるといいな、と思う。。 


… いま、日本じゅうを困らせているこの大雨が はやく上がりますように。。


よい週末でありますよう、、 

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