前回、 漱石と秋骨先生とド・クインシーの繋がりのこと書きましたが、、 昨日の新聞掲載の『心』に、 たまたま中学校教員の月給の話が載っていたので、 前から気になっていたことを。。。
***
秋骨先生の「漱石先生の憶出」の中に、 「引越」の部分が出てきます。 以下引用、、
それから後三十八年に、私が地方の高等学校をやめて東京に帰って来てから、就職若しくは仕事を求めて、私は千駄木の先生のお宅を尋ねたが、その時は非常に親切に扱はれ、いろいろの指導を受けたのであった。以後それが縁となって、恐らく先生はうるさく思はれたかも知れない程、屡々訪問を重ねるやうになったのである。千駄木町から南町へ来られる前かと思ふが、私の家へも来られて、一緒に大久保に貸家を探したこともあった。或家が貸家になるといふ事を聞いて居り、且つその家賃までも概そ何ほどと、私が耳にして居たので、その家を外から先生に見て頂きながらその話をした。・・・(後略)
、、これを読んだ時は、 秋骨先生とそんな交流があったのか、、と 『三四郎』の広田先生の引越しの場面を思い出しながら、、 あの中にも
「今日は大久保まで行って見たが、やっぱりない…」 と、与次郎が話すところがあったのを思い出していた。 ちなみに野々宮さんは大久保に住んでいて、 わざわざ遠く東大まで通っている。(秋骨先生の住まいも大久保)
***
その後、 秋骨先生の 「ぐうたら先生」というエッセイを読んで驚いた。。 「ぐうたら先生」とは、 秋骨先生の中学の恩師で、 その頃(?)から、 東大入学までの数年間を書生として同居していた先生のこと。 なんか、『三四郎』の広田先生に居候している 与次郎みたいな関係じゃないですか。。
「僕(秋骨)が今文学士になって高等学校の先生になって居るにも拘はらず、なほその十数年を一日の如く中学の先生で通して居るのみならず、その十数年前大学を卒業した当時新調したといふ、その時の新式で今では職工の外あまり来て居るものもない位な、背広を着て通って居るのである」
、、、ね? 天長節も近いというのに「夏服」を着たまままの広田先生みたいでしょ? 違っているのは、 広田先生は高等学校、 ぐうたら先生は中学校、 与次郎が「十年一日の如しと言うが、もう十二三年になるだろう」と言う辺りまで、 似ている。
さらに、、 「ぐうたら先生」は、、
「僕(秋骨)は一度戯言(じょうだん)半分揶揄(からかい)半分に、先生何故奥さんをお迎えならんのですと尋ねて見た。先生は只ニヤニヤして計り居て何とも答へない。例の失恋の結果でゝもあるのですかと、少し乱暴であったが単刀直入に切り込んで見た。処が先生それでも矢張ニヤニヤして居て答へなかったが、稍や暫くして、君、お釈迦様や耶蘇の妻君になれる女があるかねぇと言はれた。此れには僕も少し驚いた・・・(略)
、、う~む、、ますます広田先生に似てきた。。 その上 ぐうたら先生、 「日頃から口癖のやうに、まあ日本では親鸞聖人か芳澤新吉かといふのだからネ、と言って居る」と。。。
、、私は宗教に詳しくはないので 「親鸞聖人」をWikiで見たら、、 「六角堂」で百日参籠の間に 「夢告」があったのだそう。。。(Wiki>>)
「広田先生」が夢の中でたった一度会ったきりの女性(女の子)の話を 三四郎にする点については、、 多々説があるようですし、 私も思うところがあるので、「親鸞聖人」の夢のお告げと関係があるのかはわかりませんけど、、
でも、、 秋骨先生が、 漱石先生の引越し探しを手伝っている間に、 自分が東大に入るまで居候していた このお嫁さんを貰わない「ぐうたら先生」の話を、 漱石にしていたのだと想像すると、 すごくすごく楽しいですね。
あ、、 そうそう、、 ちなみに漱石が南町に引越したのは 明治40年9月、 『三四郎』は明治41年9月からの掲載、だそうです。 秋骨先生と「ぐうたら先生」の同居は、 もっと前、、明治20年代のことですが、 ぐうたら先生の月給は「六十円」だったそうです。
***
秋骨先生の数々のエッセイ、、 なんと 国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で全部読むことが出来ます。
http://kindai.ndl.go.jp/
『三四郎』好き(私が一番好きなのは広田先生)としては、、
秋骨先生が明治41年(1908)に出版した 『時代私観』の中の 「電車とイプセン」、、(なんとイプセン文学の新感覚と、 電車飛び込みという世情を絡めて論じてます)
とか、、
大正2年(1913)出版の『そのまゝの記』に入っている 「丸善回顧」や「日記 六月五日 浮夜床」(ここにも大久保での轢死や放火事件のことなど)、、それからこの「ぐうたら先生」 などなど、、
漱石の創作時代を共に感じるには、貴重な文章がいっぱい収められているように思います。 、、ほんと、 漱石とも気が合いそう。。
新聞の『心』の連載はまだ続いてます。。 日々感じた事はツイートの方に載せてます。 ぼちぼちぼち、、と、、 ゆっくり私も漱石再読をつづけていきましょう。。。
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秋骨先生の「漱石先生の憶出」の中に、 「引越」の部分が出てきます。 以下引用、、
それから後三十八年に、私が地方の高等学校をやめて東京に帰って来てから、就職若しくは仕事を求めて、私は千駄木の先生のお宅を尋ねたが、その時は非常に親切に扱はれ、いろいろの指導を受けたのであった。以後それが縁となって、恐らく先生はうるさく思はれたかも知れない程、屡々訪問を重ねるやうになったのである。千駄木町から南町へ来られる前かと思ふが、私の家へも来られて、一緒に大久保に貸家を探したこともあった。或家が貸家になるといふ事を聞いて居り、且つその家賃までも概そ何ほどと、私が耳にして居たので、その家を外から先生に見て頂きながらその話をした。・・・(後略)
、、これを読んだ時は、 秋骨先生とそんな交流があったのか、、と 『三四郎』の広田先生の引越しの場面を思い出しながら、、 あの中にも
「今日は大久保まで行って見たが、やっぱりない…」 と、与次郎が話すところがあったのを思い出していた。 ちなみに野々宮さんは大久保に住んでいて、 わざわざ遠く東大まで通っている。(秋骨先生の住まいも大久保)
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その後、 秋骨先生の 「ぐうたら先生」というエッセイを読んで驚いた。。 「ぐうたら先生」とは、 秋骨先生の中学の恩師で、 その頃(?)から、 東大入学までの数年間を書生として同居していた先生のこと。 なんか、『三四郎』の広田先生に居候している 与次郎みたいな関係じゃないですか。。
「僕(秋骨)が今文学士になって高等学校の先生になって居るにも拘はらず、なほその十数年を一日の如く中学の先生で通して居るのみならず、その十数年前大学を卒業した当時新調したといふ、その時の新式で今では職工の外あまり来て居るものもない位な、背広を着て通って居るのである」
、、、ね? 天長節も近いというのに「夏服」を着たまままの広田先生みたいでしょ? 違っているのは、 広田先生は高等学校、 ぐうたら先生は中学校、 与次郎が「十年一日の如しと言うが、もう十二三年になるだろう」と言う辺りまで、 似ている。
さらに、、 「ぐうたら先生」は、、
「僕(秋骨)は一度戯言(じょうだん)半分揶揄(からかい)半分に、先生何故奥さんをお迎えならんのですと尋ねて見た。先生は只ニヤニヤして計り居て何とも答へない。例の失恋の結果でゝもあるのですかと、少し乱暴であったが単刀直入に切り込んで見た。処が先生それでも矢張ニヤニヤして居て答へなかったが、稍や暫くして、君、お釈迦様や耶蘇の妻君になれる女があるかねぇと言はれた。此れには僕も少し驚いた・・・(略)
、、う~む、、ますます広田先生に似てきた。。 その上 ぐうたら先生、 「日頃から口癖のやうに、まあ日本では親鸞聖人か芳澤新吉かといふのだからネ、と言って居る」と。。。
、、私は宗教に詳しくはないので 「親鸞聖人」をWikiで見たら、、 「六角堂」で百日参籠の間に 「夢告」があったのだそう。。。(Wiki>>)
「広田先生」が夢の中でたった一度会ったきりの女性(女の子)の話を 三四郎にする点については、、 多々説があるようですし、 私も思うところがあるので、「親鸞聖人」の夢のお告げと関係があるのかはわかりませんけど、、
でも、、 秋骨先生が、 漱石先生の引越し探しを手伝っている間に、 自分が東大に入るまで居候していた このお嫁さんを貰わない「ぐうたら先生」の話を、 漱石にしていたのだと想像すると、 すごくすごく楽しいですね。
あ、、 そうそう、、 ちなみに漱石が南町に引越したのは 明治40年9月、 『三四郎』は明治41年9月からの掲載、だそうです。 秋骨先生と「ぐうたら先生」の同居は、 もっと前、、明治20年代のことですが、 ぐうたら先生の月給は「六十円」だったそうです。
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秋骨先生の数々のエッセイ、、 なんと 国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で全部読むことが出来ます。
http://kindai.ndl.go.jp/
『三四郎』好き(私が一番好きなのは広田先生)としては、、
秋骨先生が明治41年(1908)に出版した 『時代私観』の中の 「電車とイプセン」、、(なんとイプセン文学の新感覚と、 電車飛び込みという世情を絡めて論じてます)
とか、、
大正2年(1913)出版の『そのまゝの記』に入っている 「丸善回顧」や「日記 六月五日 浮夜床」(ここにも大久保での轢死や放火事件のことなど)、、それからこの「ぐうたら先生」 などなど、、
漱石の創作時代を共に感じるには、貴重な文章がいっぱい収められているように思います。 、、ほんと、 漱石とも気が合いそう。。
新聞の『心』の連載はまだ続いてます。。 日々感じた事はツイートの方に載せてます。 ぼちぼちぼち、、と、、 ゆっくり私も漱石再読をつづけていきましょう。。。