海の日、のお休みに読んでいた本、 英国のH・E・ベイツの 『ベイツ短篇集』 (八木毅 訳・八潮出版社、1967年) の中の 「燈台」という短編小説。
ベイツ、 という作家、、 まったく知らなかったです。 1905年生まれで、 1940年代~1960年代に主に作品を出版していた人だそうです。 内容としては、 イギリスの「田園や田園に近い小都市に住む人々の生活」(解説より) を描いたかた。。
、、と言っても、 そういった内容を知ってから この本を手にしたわけではなくて、 「灯台」を求めていって 辿りついたんですけどね、、、
「灯台」=The Lighthouse 、、 いま ちょっと灯台に興味を持っているのです。。 ん~、、 もしかしたら 昔から好きだったのかも、、
若かりし日の夏は、、 毎週のように海を見に出かけておりました。。 まだ「海の日」が無かった頃のことです(だいぶ昔だ…笑) 、、梅雨が明けて、 真夏の太陽がいっぱいに照りつけるようになる季節、、 でもそんな週末は案外みじかくて、 真夏の海が楽しめるのは せいぜい旧盆まで、、 だから 週末といってもほんの数回しかないのですよね。。
灯台、に実際に行ったのは 2回くらいしかないかなぁ。。。 コバルトの海に、 真っ白な灯台、、 それだけで美しいし、 建っているのは岬の先端だから、 周囲がぐるっと海。。 そして 夕刻になると、 海はオレンジ色に輝いて、 白い灯台が赤く映える、、、 そんな夕暮れの風景は 一度しか経験してないかな。。
、、でも、 灯台が出てくる小説って読んだことなかった。。 前に ジャネット・ウィンターソンの『灯台守の話』 を書きましたね(>>) あの物語を読んで、 はじめて 灯台の設計技師のことだとか、 灯台守のことだとか、 それまで考えたこともなかった存在だったので、 自分が夏の海でただ綺麗だと見上げた灯台って、、 単なる「光る標識」みたいなものじゃなかったんだな、、と。。
、、前回 書いた ヨハン・テオリンの 冬編も、『冬の灯台が語るとき』・・・ 前世紀からその地に立ち、 厳しい北の海の船乗りや、 土地の人々を見てきた「灯台」を中心にした物語でしたし、、、
***
さて、、 『ベイツ短篇集』の「燈台」ですが、、 ここには灯台守も船乗りも出てこなかったんです。
ですが、、 とても 素敵な フランス映画のような、 小説でした。 、、冒頭の一行だけ引用してしまいましょう、、
「薄い舌のようなその海岸は非常に平たくて、まるで海の傷跡のようだった」
、、 うわっ… 、、 なんだかこの一行だけで身を引き寄せられたみたいな気持ちになってしまいました。。 、、読んだ後で、 これはこの作家の言葉なのか、 訳者の技なのか、、 知りたくなって、 原文を探してみました、、 ら、ありました。 今の一行はこういう文です。
The thin tongue of coast was so flat that it was like a scar on the sea.
(https://archive.org/stream/...)
、、 まったくもって訳の通り、、 とても平易な単語でありながら、 その比喩表現が的確で、 ときにドキっとさせられるような 艶かしさもあるのです。 その辺がフランス映画みたいだな、、と (英国なんですけど)
、、 季節は9月末。 海岸を訪れる人も少なくなり始めた季節の、 海辺の食堂、いわゆる「海の家」で出会う、 その店の娘と、 滞在者の男のひとときの物語です。 みじかい物語だから、 内容に触れてしまっては読む楽しみを損ねてしまいますね、、、
この店の娘の描写が巧いんです。 彼女の瞳の様子とか、 ほっそりした手に透ける静脈のこととか、、 そして彼女の口の利き方とか。。
、、イメージしたのは 映画『ベティ・ブルー』の映像。。 海辺のバンガローをペンキで塗っていくでしょう? 二人で。。 あの真っ青な空と、 白い小屋と、、。 男のジャン・ユーグ・アングラードはちょっとこの小説の男性にも似た感じがするし、、 でも、 店の娘はベティほどエキセントリックではないかな… でも とてもコケティッシュな物言いをするの、、 その言い方に男は惹かれてしまうのですが、、
、、海の家で 毎日まいにち店番をしている彼女は こう言う表現をする のです、、(原文にしますね)
The sea can look after itself for a bit.
、、この 'looking after the sea' という表現は文字通りそのまんまの意味で、、 そこに彼女の退屈とか、 気分とか、 性格とか、、 ぎゅっと詰まっていて、、 ね? 少しだけベティにも似てるでしょう?
***
燈台は・・・
ちゃんと出てきます。。 昼の燈台も、、 そして夜の燈台の光も。。
、、 周期的にめぐってくる燈台の光が 彼女の瞳をよぎるシーンとか。。。 とても映像的。
、、夜の灯台って、、 見たことないな。。 TVの映像かなにかでは見た気がするけど、、 夜の海の灯台って 行ったこと無い・・・
***
まだ、、 このベイツの本、、 全作品は読んではいないんです。。 でも、 「燈台」もそうだけれど、 人物の、(特に女性の)描写や、 風景の比喩表現が、 単純な言葉なんだけど的確で、、 「すいせん色の空」(原題:The Daffodil Sky) なんて、 ちょっと どんな感じの空かしら・・・ って思いませんか?
、、たまにね、、
現代の忙しいひとびとは、、 どんどん 物事への関心が直接的なこと・身近なこと・自分のすでに知っている人やTVで知っている物事、、 それら以外には興味を示さないようになっているような気がして・・・
、、 古い物語も、 詩も、 ひとたび忘れられたら きっと消えていくばかり・・・ なのだろうな、、って。。
だから、 もし 本屋さんにも無いようなものでも、 古本でも、 まだまだ自分の知らない宝物があるとしたら、、 そういう作品にめぐり会えるように、、 一年に一作でもいいから、、
、、 それができたら 自分のこれからのライフも ちょっとは価値があるかな、、って。。
ベイツ、 という作家、、 まったく知らなかったです。 1905年生まれで、 1940年代~1960年代に主に作品を出版していた人だそうです。 内容としては、 イギリスの「田園や田園に近い小都市に住む人々の生活」(解説より) を描いたかた。。
、、と言っても、 そういった内容を知ってから この本を手にしたわけではなくて、 「灯台」を求めていって 辿りついたんですけどね、、、
「灯台」=The Lighthouse 、、 いま ちょっと灯台に興味を持っているのです。。 ん~、、 もしかしたら 昔から好きだったのかも、、
若かりし日の夏は、、 毎週のように海を見に出かけておりました。。 まだ「海の日」が無かった頃のことです(だいぶ昔だ…笑) 、、梅雨が明けて、 真夏の太陽がいっぱいに照りつけるようになる季節、、 でもそんな週末は案外みじかくて、 真夏の海が楽しめるのは せいぜい旧盆まで、、 だから 週末といってもほんの数回しかないのですよね。。
灯台、に実際に行ったのは 2回くらいしかないかなぁ。。。 コバルトの海に、 真っ白な灯台、、 それだけで美しいし、 建っているのは岬の先端だから、 周囲がぐるっと海。。 そして 夕刻になると、 海はオレンジ色に輝いて、 白い灯台が赤く映える、、、 そんな夕暮れの風景は 一度しか経験してないかな。。
、、でも、 灯台が出てくる小説って読んだことなかった。。 前に ジャネット・ウィンターソンの『灯台守の話』 を書きましたね(>>) あの物語を読んで、 はじめて 灯台の設計技師のことだとか、 灯台守のことだとか、 それまで考えたこともなかった存在だったので、 自分が夏の海でただ綺麗だと見上げた灯台って、、 単なる「光る標識」みたいなものじゃなかったんだな、、と。。
、、前回 書いた ヨハン・テオリンの 冬編も、『冬の灯台が語るとき』・・・ 前世紀からその地に立ち、 厳しい北の海の船乗りや、 土地の人々を見てきた「灯台」を中心にした物語でしたし、、、
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さて、、 『ベイツ短篇集』の「燈台」ですが、、 ここには灯台守も船乗りも出てこなかったんです。
ですが、、 とても 素敵な フランス映画のような、 小説でした。 、、冒頭の一行だけ引用してしまいましょう、、
「薄い舌のようなその海岸は非常に平たくて、まるで海の傷跡のようだった」
、、 うわっ… 、、 なんだかこの一行だけで身を引き寄せられたみたいな気持ちになってしまいました。。 、、読んだ後で、 これはこの作家の言葉なのか、 訳者の技なのか、、 知りたくなって、 原文を探してみました、、 ら、ありました。 今の一行はこういう文です。
The thin tongue of coast was so flat that it was like a scar on the sea.
(https://archive.org/stream/...)
、、 まったくもって訳の通り、、 とても平易な単語でありながら、 その比喩表現が的確で、 ときにドキっとさせられるような 艶かしさもあるのです。 その辺がフランス映画みたいだな、、と (英国なんですけど)
、、 季節は9月末。 海岸を訪れる人も少なくなり始めた季節の、 海辺の食堂、いわゆる「海の家」で出会う、 その店の娘と、 滞在者の男のひとときの物語です。 みじかい物語だから、 内容に触れてしまっては読む楽しみを損ねてしまいますね、、、
この店の娘の描写が巧いんです。 彼女の瞳の様子とか、 ほっそりした手に透ける静脈のこととか、、 そして彼女の口の利き方とか。。
、、イメージしたのは 映画『ベティ・ブルー』の映像。。 海辺のバンガローをペンキで塗っていくでしょう? 二人で。。 あの真っ青な空と、 白い小屋と、、。 男のジャン・ユーグ・アングラードはちょっとこの小説の男性にも似た感じがするし、、 でも、 店の娘はベティほどエキセントリックではないかな… でも とてもコケティッシュな物言いをするの、、 その言い方に男は惹かれてしまうのですが、、
、、海の家で 毎日まいにち店番をしている彼女は こう言う表現をする のです、、(原文にしますね)
The sea can look after itself for a bit.
、、この 'looking after the sea' という表現は文字通りそのまんまの意味で、、 そこに彼女の退屈とか、 気分とか、 性格とか、、 ぎゅっと詰まっていて、、 ね? 少しだけベティにも似てるでしょう?
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燈台は・・・
ちゃんと出てきます。。 昼の燈台も、、 そして夜の燈台の光も。。
、、 周期的にめぐってくる燈台の光が 彼女の瞳をよぎるシーンとか。。。 とても映像的。
、、夜の灯台って、、 見たことないな。。 TVの映像かなにかでは見た気がするけど、、 夜の海の灯台って 行ったこと無い・・・
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まだ、、 このベイツの本、、 全作品は読んではいないんです。。 でも、 「燈台」もそうだけれど、 人物の、(特に女性の)描写や、 風景の比喩表現が、 単純な言葉なんだけど的確で、、 「すいせん色の空」(原題:The Daffodil Sky) なんて、 ちょっと どんな感じの空かしら・・・ って思いませんか?
、、たまにね、、
現代の忙しいひとびとは、、 どんどん 物事への関心が直接的なこと・身近なこと・自分のすでに知っている人やTVで知っている物事、、 それら以外には興味を示さないようになっているような気がして・・・
、、 古い物語も、 詩も、 ひとたび忘れられたら きっと消えていくばかり・・・ なのだろうな、、って。。
だから、 もし 本屋さんにも無いようなものでも、 古本でも、 まだまだ自分の知らない宝物があるとしたら、、 そういう作品にめぐり会えるように、、 一年に一作でもいいから、、
、、 それができたら 自分のこれからのライフも ちょっとは価値があるかな、、って。。