星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

1本の木と4つの葉っぱ。

2006-08-09 | MUSICにまつわるあれこれ
初夏、、。
五百枚余りの原稿を書き終えた週末の午後、
前にお友だちから送ってもらっていたU2のLIVE映像を観た。
送ってくれたのはずっと前のことだったけれども、観る余裕が無かった。

Vertigoツアーの映像。
オープニングの city of blinding lights が始まった時、私は、「ね、ね、ね、これがまだ終わってないってスゴイことだと思わない?! まだ終わっちゃってないんだよ!」と訳のわけのわからないことを喚いていたのでした。、、だって、、4月の来日が行われていたら、彼らのLIVEはもう終わっていて、そのあと私は苦しい苦しい作業に取り掛からないとならなかったはずで、LIVEはおっきな力を与えてくれたかもしれないけれども、この素晴らしい時間がまだ先に残っている!ということがどんなにか嬉しかったか。

U2というバンドは自分には尊敬のバンドとか、憧れのスターというのでは無かったのです。
日本に名前が知られる80年頃。。それはもう全てが「終わった」跡から、たった1本の木が芽生えてきたみたいな感覚だった。
マンモスBand達は腐ってしまい(当時の私にはそう見えた)、PUNKSは社会と若者の両方からずたずたに傷つけられ(若者だってPUNKSの味方じゃなかった)、追い立てられた挙句、シド・ヴィシャスが死んで(彼は一瞬のうちにカッコ良く死んだわけじゃない)、ああ、終わったな、と思った。疲れてウンザリして、自分の周りを見回せば毎日机につまらなそうに坐っている子供と、事無かれ主義の大人。(ごく個人的に言えば、たくさんの命を見送って、自分もウンザリするほど病院暮らしをした)

、、で、、木も生えない、と詩に詠われるアイルランドから、1本の木が生えてきた。痩せてひょろひょろして、あどけない顔した、自分たちと似たような4つの葉っぱが生えてた。。。 それが私のU2の記憶(笑)。

 ***

U2のメンバーはみんな好きだけど、LIVE映像を観るたび、ラリーの佇まいに惚れる。
相好崩さず、背後から3人の動きに眼を配り、黙々とリズムをキープする。「KEEPする」(保持する、守る)のが俺の役目だと言わんばかりに。。顔で叩いて許されるのは、キース・ムーンだけ。大振りが許されるのはコージー・パウエルだけ。

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・・・・・
私は泣き虫だけれど、辛い悲しいではめったに泣きません。感極まって泣くだけです。
where the streets have no name のビートが刻まれる時、どんなんなってしまうか今から不安だ。、、けど、、どんなに先が見えなくても、未知なものがまだ先にある、、というのは凄いよろこびなんだと思う。そりゃあ、生きていくのは苛酷さ。でも、道は振り返って見えたものだけが「道」じゃない。「未知」な「道」もあるってことをね、、。

廃墟からだって、また木が生えてくる、、ってね。



>OCTOBER / U2 (1981) 一番思い出深い作品かも。