何時もの散歩道に、ピラカンサの実がすき間も無いほどにビッシリ生っていて、目を瞠った。 小粒の実ではあるが、それぞれが押しつぶされる程に密集して、岩の塊を連想させる程だが、紅緋(べにひ)色が誠に鮮やかだった。
やがてこのピラカンサの実も、小鳥たちにとっては掛け替えのない「自然のご馳走」になることだろう。 5年程前の春先、「ピラカンサ」(←クリックにてリンク先が開きます)
の白花に寄せて、小鳥たちのそんな情景を書いた一文を掲載したので、併せてお楽しみ頂きたい。
様々な樹木が、それぞれに独特の木の実を付けるが、それにしてもこのピラカンサほど実が密集して付くのは類い稀なことだ。
樹木の実は、子孫への命の伝達として無くてはならない自然の摂理だが、小鳥達に生きるための糧を提供しつつ、自らの子孫繁栄のお手伝いを小鳥たちに託す、謂わば持ちつ持たれつの関係だ。しかしながら、ピラカンサは何故これ程多くの実を付けねばならぬのだろうか?
樹木の専門的な知識が無い素人の推量だが、事に依るとピラカンサの実は発芽の確率が、他の樹木に比べて著しく劣るのかもしれない。殆どが発芽せずに朽ち果てるその弱点を補うべく、数限りない沢山の実を付けて、万が一にでも発芽して呉れればとの期待を籠めたものかも知れない。その様に考えれば、ピラカンサの種の保存の無言の努力には、頭が下がる思いだ。これだけ沢山の実を付けたピラカンサの木の下に、若木が芽吹き育っている姿を見かけないのは、そんな事情の証しかも知れない。ご専門の方のご意見・ご指導が頂ければと期待する。
目を瞠るピラカンサの実の過密かな
粒々の実は潰れはせぬかと
鮮やかなピラカンサの実の紅緋かな
数多の小粒は色を違えず
小鳥らはたわわなご馳走啄ばむを
我慢の日々なれ熟しを待ちつつ
何ならむピラカンサの実のご馳走の
美味の判断 小鳥の見分けは
やがて聞かむ小鳥の宴の賑やかな
歓喜の鳴き声 様々な声を