「うつろ庵」の庭の飛び石を埋める小石の石畳に、「オキザリス」が咲いた。
小石を敷き詰めた石畳の、ほんの小さな隙間に根を下ろし、可憐な花を咲かせる
野草が可憐で、除草もせずに愉しんでいる虚庵夫妻だ。
生垣の足元に群れて咲くオキザリスは、葉茎も花茎も随分と徒長して、花茎はゆうに30センチを越える長さだ。レンガの路壁から垂れ下がって、その様はどこか弱々しい雰囲気が漂う。それに引き替え石畳のオキザリスは、葉茎も花茎もごく短く、可憐ではあるが何処かしら元気が漲っている様に観える。
野草も園芸種の草花も、そしてまた人間社会にも共通するところがありそうだ。
殊に意志を持った人間の生き様を傍観するに、意外にもその風姿は「ひととなり」を如実に物語っているケースが多い様だ。
「石畳のオキザリス」を観ながら、あれこれ想いを廻らせる虚庵居士であった。
庭先の飛石囲む石畳の
僅かなすきまにオキザリス咲く
毎朝のお庭の見回りその都度に
オキザリスにもご挨拶かな
オキザリスの幽かに揺れるはゴアイサツか
オハヨウゴザイマス 声はなけれど
わぎもこも同じ思ひか足元を
観ればいたわる 足取りなりけり
オキザリスの姿かたちに思ふかな
生き様写す人の風姿を
ところで、私のブログでも覗いてやってください。
実のところ、底流に流れているのは「深いスピリット・深い意味・深いプリンシプル」を流しているつもりなのです