「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「散歩道の木瓜」

2015-03-02 20:55:26 | 和歌

  散歩道でふと余所見をしたら、「木瓜・ぼけ」の花が目にとまった。

 

 木瓜の花は、師走を迎える頃から咲き初め、春先までの長い期間に亘って咲き続け、ときには果実まで付けて愉しませてくれる優れものだ。

 木瓜の花は、色調に微妙な彩り変化が観られるので、それぞれが全くの別種かと疑うばかりだ。一株の木瓜でありながら、場合によっては白花・淡い桃色・紅花などが入り混じって咲く風情には、目を瞠るばかりだ。

 散歩の途上で、虚庵夫人は住み人にお願いして、花を付けたままの木瓜の一枝を頂戴して持ち帰り、庭先に挿し木した。
以来、挿し木の「木瓜の一枝」を、朝夕いとしく見守る虚庵夫妻だ。

 虚庵居士の郷里、信州・諏訪の山野には、野木瓜の小さな果実が夏から秋口にかけて実った。ゴルフボール程の大きさの果実だが、土地の皆さんは「地梨」と呼び、酸味の強い地梨を塩漬けにして楽しむ食文化があった。

 昨今の住宅街に観る木瓜の果実は、握り拳ほどの大きさだが、果肉は余りに固く、渋みと酸味が厳しいので、殆どが放置されたまま朽ち果てるのが現実だ。
花梨の果実も同様な扱いだが、調理の工夫次第で木瓜も花梨の果実も、素晴らしい味覚に生まれ変わるのをご存知ないのは、木瓜や花梨に申し訳ない限りだ。

 木瓜の花に見惚れながら、やがて実を結ぶかもしれぬ初夏に、思ひを馳せる虚庵居士であった。


           歩み来てふと余所見すれば木瓜の花の

           ふくよかに咲く 初春なるかな


           立ち止まり木瓜に寄り添い語らへば

           彩り豊かな花に魅入りぬ


           ことによれば木瓜の果実も実らむか

           夏の初めに また訪ね来む


           故郷の野木瓜の地梨が偲ばるる

           そのままカジッタ あの酸っぱさを


           故郷の人々地梨を塩で漬けて

           酸味を味わう知恵を偲びぬ