「うつろ庵」の藪椿の根方には、郷里の信州・諏訪から移植した福寿草が、毎年律儀に花を咲かせて愉しませてくれる。
この場所は、かつて拳大の泥岩を放置してあったので、いまでも小さな欠片が残っていて、福寿草には気の毒な土地だ。その内に「黒土と入れ替えて」などと考えていたが、忙しさに紛れてまだそれも果たしてないが、福寿草はそんな虚庵居士の思いなど意に介さぬ態で、この時節には「むっくり」と花芽を持ち上げて、早春のご挨拶をしてくれる。
福寿草の可憐な莟を観るにつけ、「ああ、昨年も黒土の入れ替えが出来ずに申し訳なかった。花が散った後には、約束を果たしてやらねば・・・」と思うのだが、福寿草の花後はかなりの草丈に育つので、「秋になって茎や葉が枯れてからにしようか」と思案したり、福寿草の後からは芍薬が葉を茂らせて、主役がバトンタッチされるので、福寿草は地味豊かな黒土の恵みを受けぬままに、気の毒にも何年か放置されてきた。それにも拘らず、福寿草は今年もまた明るい頬笑みを見せてくれた。
昨年の福寿草は、飢えた小鳥が芽を出したばかりの莟の先を啄んでしまったが、今年は寒さを凌ぐ襟巻のような若葉に守られて、莟が綻んだ。ごく小さな福寿草ではあるが、木漏れ日が丁度スポットライトのように莟を浮き立たせて、にこやかな笑みが限りなく大きく見えた。
砕け散る岩のかけらも土くれも
笑みて気にせぬ福寿草かな
ふっくらと頬ふくらせる笑みなれど
雨水の朝は未だ寒きに
木漏れ日は頬寄せ母待つ稚児たちを
無言で抱くや安らぎ与えて
暖かな春の陽ざしに凍てつける
故郷遥か思ふやこの子ら