「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「うつろ庵の河津さくら」

2010-02-21 03:45:01 | 和歌
 
 2月上旬に掲載した河津さくらの「早春の莟」は、その後、二日ほどして開花した。

 「早春の莟」に引き続いて、今回の開花写真をご紹介するつもりであったのだが・・・。この時節は日ごとに自然の変化も目覚ましいので、「河津さくら」の開花の写真を撮ったまま、あれこれと浮気をしている間に日時が経ってしまった。





            一輪の河津さくらの綻びに

            羨やましげな仲間の莟は




 桜は「河津さくら」も「染井吉野」も、開花直後のみずみずしい花を愛でたいものだ。
となりの未だ固い莟との対比にも夢を抱かせるし、花びらの色合いといい、張りのある蕊の姿も格別だ。早春の朝日に透ける花びら、陽を受けて誇らしげの表情も、身震いする程の美しさだ。乙女の輝くかんばせは仄かに香り立つが、自然の清らかさは「さくら」も「おとめ」も、相通じるものらしい。

 チェストに飾ってあった古い家族写真などは、日頃気にもかけないで過ごしてきたが、夕食後に虚庵夫人が手にとって、しげしげと見入るのにつられて、一緒に覗きこんで驚いた。写真の中の若々しい茶羽織のハンサムボーイは誰だ? 並び立つ和服の虚庵夫人も、楚々とした美女に見えるではないか。「さくら」や「乙女」と同列に比較するのは誠におこがましいが、鏡に映る老顔や目の前の虚庵夫人に比べれば、若かった頃の二人とも輝いて別人に見えるではないか。 

 「うつろ庵」の住み人も、ずいぶんと歳月を重ねたものだ。一緒に写っている高校生の息子も、既に四十路のオヤジに変身しているのだから・・・。

 開花間もない「河津さくら」に「華」があるのは至極当然だが、人間も老いてなお「華」ある存在でいたいものだ。老醜を晒す虚庵夫妻であるが、こののち萎れるばかりの人生では終わりたくないものだ。せめて何か、ささやかな「華」を身につけたいのだが・・・。






            仄かにも薫りたつかなさくら花の

            春の誇りを香りに聞かなむ


            さくら咲く春はきにけり生垣の

            小さな陽だまり吾子を抱くや


            かんばせを誇る桜の香りかな

            春陽にかざす思いをきかまし


            幾歳か過ぎにしものかわぎもこの

            楚々たる姿にときめく爺かな