東京湾の海岸には、自然の砂浜が殆ど無くなったという。
三浦半島も横浜から久里浜にかけて、汀線はかなりの長さではあるが、虚庵居士の住いの近くの
”走水海岸”の他は、砂浜はごく僅かになった。
久しぶりに砂浜に降り立って虚庵夫人と散歩したら、鴨の群れも幾つかのグループが波打ち際で
くつろいでいた。
天気が良いとは云うものの、立春の寒気はまだ厳しいものがある。首をすくめて佇むのは、年長の鴨であろうか。波に揺られながら泳ぎ回る鴨、中には小さな波乗りを楽しむ鴨もいる。彼らはまだ若者の鴨かもしれない。
冬の池や湖では鴨も珍しくないが、海辺の鴨は珍しいのかと思ったが、波の静かな海であれば羽根
やすめには海であっても関係ないのかもしれない。一般的に池や湖、或いは田んぼ等は水深が浅いので、彼等にとっては羽根やすめと共に餌の確保には打って付けに違いあるまい。それに引き換え、コンクリート岸壁の海では水深も深く、潜って餌を捕るのは至難の業であろう。砂浜の海が少なくなったのは、人間様から潤いを奪ったばかりでなく、鴨にとっても気の毒なことに、過ごしずらい環境に違いあるまい。
鴨と遊び、言葉を交わす術を持たない虚庵居士ではあるが、この世に生を享けた同世代の「生きもの
同士」として、何やら心のつながりが感じられた砂浜の散歩であった。
立春は名のみの寒さか首すくめ
身震いするらし渚の鴨さえ
鴛鴦の契りの固き二羽ならめ
渚に遊ぶもいたわる風情は
波に乗り砕ける波をも楽しむは
サーフィン気取る若き鴨かな
砂浜に鴨と遊べば立つ春に
朋となるかもひと時なれども