2001年シリーズ。
月刊の文藝春秋の巻頭エッセイに書いたペンギンの話。言及されるのは、こちら。
たぶん、この本を上梓した直後にこの原稿を掲載していただいたのだと思われ。
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森のペンギン、砂漠のペンギン(2001月刊文藝春秋に掲載)
どうでもいいようなことなのだけど妙に気になって仕方ないことが、人間には時としてある。ぼくの場合、それが「日本人とペンギンの関係」だった。我々にとって、ペンギンというのは、なぜか特別な存在なのではないかとふと思って調べるうちに、ずるずると深み(?)にはまってしまったのである。
発端は、今から7年ほど前、ニュージーランドを旅していて、森の中でペンギンに出会ったこと。
耳を疑われそうだが、嘘じゃない。ペンギンがいるのは南極の氷の上だけではないのである。ちなみにぼくが会ったのはフィヨルドランドペンギンという種類だった。
出会いの瞬間にはやはり衝撃をおぼえた。雨に濡れるシダの群落の間から、そいつがぬーっと顔を出して、こっちを伺っているシーン。目の前の現実なのに、なぜかそれが本物とは思えなかった。「ペンギン=南極」というイメージが、自分の中に刷りこまれていて、それとはあまりにかけ離れた光景を、脳が拒絶したのだ。
もちろん人間、何ごとにも慣れるものだから、ものの一日で、ぼくは「森のペンギン」を受け入れた。すると、今度は自分の中のこれまでの「ペンギン観」がおかしくなった。
例えば、ペンギンって「可愛い生き物」の代表格として人気があるのだと思う。でも、実物として見るペンギンは、全然可愛くない。それも、近づけば近づくほど!
まず目つきが鋭い。魚食の「猛禽」なのだから当然か。クチバシは鋭く、つつかれたらただでは済みそうにないし、声もガーガーうるさい。すごく新鮮だった。こいつらクールだぞ、と思った。
以降、野生生物としてのペンギンの魅力にはまってしまい、チリ、アルゼンチン、オーストラリア、フォークランド諸島などを渡り歩いた。そのたびに、「砂漠のペンギン」(チリ)、「牧場のペンギン」(フォークランド)、「羊の群れの中、逃げまどうペンギン」(フォークランド)など、奇妙な光景に出会った。もはや、ぼくの中で、「ペンギン=南極」の等式は崩れ、もうなんでもありの目つきの鋭い野生生物になって久しい。
そうなると、今度は自分の感覚と、人の感覚とのズレが気になり始める。
なぜか日本では、ペンギンは「南極の可愛い生き物」としてしか考えられていないので、「それは違う!」と叫ぼうにも、聞く耳は持ってもらえない。写真を見せると森や砂漠に佇む彼らの姿に驚かれはするが、かといって内的なイメージを変えるほどのインパクトはないらしい。
一方、取材で訪れる野生の地では、「なんで日本人はそんなにペンギンが好きなんだ」と質問されることが多かった。実は国際的なペンギン研究者共同体の中では「日本人のペンギン好き」は有名なのだ。回答として、「だって可愛いから」と言っても相手は理解しない。「そんなに可愛いかな」と首を傾げる人もいるくらいだ。
ホント、日本ではなぜ「可愛い」と「南極」なのだろう。どうして、我々はペンギンが好きなのだろう。いや、そもそも本当に好きなのだろうか。日本人とペンギンの本格的なつきあいは、白瀬隊による南極探険だから、その歴史は100年に満たない。その短い歴史の中で、我々のペンギン観が養われたわけで、これくらいなら丹念に調べればその歴史的展開を辿ることができるのではないかと思った。
で、結論からいうと、「日本人のペンギン好き」は実は戦後問題なのである。自信喪失していた日本人にとって、格別なヒーローであった「捕鯨船のおじさん」が持ち帰ってきた南極土産。と同時に、世界的にも困難だった南極産ペンギンの飼育を成功させた日本の動物園・水族館の努力によって、戦後復興期の「よい子」にとってペンギンは親しい生き物になった。生きたペンギンを、動物園で遠巻きに見ると、そのヨチヨチ歩きから「可愛い」ことを発見することも容易だっただろう。世界的に希有な「ペンギン好き」の国民はこの頃に形成されたに違いない。
といったことを調べている間にも、ぼくは野生のペンギンの写真を撮り続けていた。ある生き物をめぐって、我々が彼らに張り付けたイメージ(つまり動物観)を究明する仕事と、野生の彼らの姿を目の前で見つめる仕事を同時進行できたのは、得がたい体験だったと思っている。
3月に『ペンギン、日本人と出会う』という本を上梓して、「日本人とペンギンの関係」の探究はとりあえず一段落した。たぶん、ほくが書かなければ誰も書かなかっただろうと自負する(逆にいえば、そんなことどうでもいいじゃん、と言われればそれまでのような)本である。
その一方で、野生のペンギンに会う旅の方は、まだ続く気がしている。今この時点で、「森のペンギン」「砂漠のペンギン」「牧場のペンギン」などが登場する奇妙なランドスケープをまとめて、写文集のような形にした気持ちはあるけれど、ほかの仕事にかまけて重い腰が上がらずにいる。
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追記@2008
文中で構想中だった写文集は、こういう形で世に出ました。
また、「ペンギン、日本人と出会う」と似たテーマをさらにふかーく追究した本として、これがお勧めです。すべての日本のペンギン者は読むべきでしょう。
月刊の文藝春秋の巻頭エッセイに書いたペンギンの話。言及されるのは、こちら。
ペンギン、日本人と出会う 価格:¥ 1,800(税込) 発売日:2001-03 |
たぶん、この本を上梓した直後にこの原稿を掲載していただいたのだと思われ。
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森のペンギン、砂漠のペンギン(2001月刊文藝春秋に掲載)
どうでもいいようなことなのだけど妙に気になって仕方ないことが、人間には時としてある。ぼくの場合、それが「日本人とペンギンの関係」だった。我々にとって、ペンギンというのは、なぜか特別な存在なのではないかとふと思って調べるうちに、ずるずると深み(?)にはまってしまったのである。
発端は、今から7年ほど前、ニュージーランドを旅していて、森の中でペンギンに出会ったこと。
耳を疑われそうだが、嘘じゃない。ペンギンがいるのは南極の氷の上だけではないのである。ちなみにぼくが会ったのはフィヨルドランドペンギンという種類だった。
出会いの瞬間にはやはり衝撃をおぼえた。雨に濡れるシダの群落の間から、そいつがぬーっと顔を出して、こっちを伺っているシーン。目の前の現実なのに、なぜかそれが本物とは思えなかった。「ペンギン=南極」というイメージが、自分の中に刷りこまれていて、それとはあまりにかけ離れた光景を、脳が拒絶したのだ。
もちろん人間、何ごとにも慣れるものだから、ものの一日で、ぼくは「森のペンギン」を受け入れた。すると、今度は自分の中のこれまでの「ペンギン観」がおかしくなった。
例えば、ペンギンって「可愛い生き物」の代表格として人気があるのだと思う。でも、実物として見るペンギンは、全然可愛くない。それも、近づけば近づくほど!
まず目つきが鋭い。魚食の「猛禽」なのだから当然か。クチバシは鋭く、つつかれたらただでは済みそうにないし、声もガーガーうるさい。すごく新鮮だった。こいつらクールだぞ、と思った。
以降、野生生物としてのペンギンの魅力にはまってしまい、チリ、アルゼンチン、オーストラリア、フォークランド諸島などを渡り歩いた。そのたびに、「砂漠のペンギン」(チリ)、「牧場のペンギン」(フォークランド)、「羊の群れの中、逃げまどうペンギン」(フォークランド)など、奇妙な光景に出会った。もはや、ぼくの中で、「ペンギン=南極」の等式は崩れ、もうなんでもありの目つきの鋭い野生生物になって久しい。
そうなると、今度は自分の感覚と、人の感覚とのズレが気になり始める。
なぜか日本では、ペンギンは「南極の可愛い生き物」としてしか考えられていないので、「それは違う!」と叫ぼうにも、聞く耳は持ってもらえない。写真を見せると森や砂漠に佇む彼らの姿に驚かれはするが、かといって内的なイメージを変えるほどのインパクトはないらしい。
一方、取材で訪れる野生の地では、「なんで日本人はそんなにペンギンが好きなんだ」と質問されることが多かった。実は国際的なペンギン研究者共同体の中では「日本人のペンギン好き」は有名なのだ。回答として、「だって可愛いから」と言っても相手は理解しない。「そんなに可愛いかな」と首を傾げる人もいるくらいだ。
ホント、日本ではなぜ「可愛い」と「南極」なのだろう。どうして、我々はペンギンが好きなのだろう。いや、そもそも本当に好きなのだろうか。日本人とペンギンの本格的なつきあいは、白瀬隊による南極探険だから、その歴史は100年に満たない。その短い歴史の中で、我々のペンギン観が養われたわけで、これくらいなら丹念に調べればその歴史的展開を辿ることができるのではないかと思った。
で、結論からいうと、「日本人のペンギン好き」は実は戦後問題なのである。自信喪失していた日本人にとって、格別なヒーローであった「捕鯨船のおじさん」が持ち帰ってきた南極土産。と同時に、世界的にも困難だった南極産ペンギンの飼育を成功させた日本の動物園・水族館の努力によって、戦後復興期の「よい子」にとってペンギンは親しい生き物になった。生きたペンギンを、動物園で遠巻きに見ると、そのヨチヨチ歩きから「可愛い」ことを発見することも容易だっただろう。世界的に希有な「ペンギン好き」の国民はこの頃に形成されたに違いない。
といったことを調べている間にも、ぼくは野生のペンギンの写真を撮り続けていた。ある生き物をめぐって、我々が彼らに張り付けたイメージ(つまり動物観)を究明する仕事と、野生の彼らの姿を目の前で見つめる仕事を同時進行できたのは、得がたい体験だったと思っている。
3月に『ペンギン、日本人と出会う』という本を上梓して、「日本人とペンギンの関係」の探究はとりあえず一段落した。たぶん、ほくが書かなければ誰も書かなかっただろうと自負する(逆にいえば、そんなことどうでもいいじゃん、と言われればそれまでのような)本である。
その一方で、野生のペンギンに会う旅の方は、まだ続く気がしている。今この時点で、「森のペンギン」「砂漠のペンギン」「牧場のペンギン」などが登場する奇妙なランドスケープをまとめて、写文集のような形にした気持ちはあるけれど、ほかの仕事にかまけて重い腰が上がらずにいる。
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追記@2008
文中で構想中だった写文集は、こういう形で世に出ました。
ペンギン大好き! (とんぼの本) 価格:¥ 1,365(税込) 発売日:2002-08 |
また、「ペンギン、日本人と出会う」と似たテーマをさらにふかーく追究した本として、これがお勧めです。すべての日本のペンギン者は読むべきでしょう。
ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ 価格:¥ 3,045(税込) 発売日:2006-02 |
動物でなくても、オセロすら。
……ペンギン好きではなく、白黒好き?