川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

自主的にボツにした、悪いエッセイを紹介します

2009-06-18 08:37:31 | 雑誌原稿などを公開
R0010999R0010993あるサイエンス系の雑誌にエッセイを頼まれて、書いたのだが、非常によろしくないエッセイ。
本質的な部分に到達することなく、レトリックで成り立たせてしまっている。
テーマは、PTAと水俣病を特異度という概念でつなぐ、ということのだけれど、イマイチなので、自主的にボツにした。

以下、悪いエッセイの例として掲載。

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 小学生の保護者として、間近に見るPTAのありように心痛めている。数十年にわたる前年踏襲の結果、負担感の多い活動になっている場合が多い。打開策として「一人一役」というスローガンが掲げられることがあるのだが、誰の目にも「できない」立場の人まで巻き込んで「強制」するのが当たり前とされる。


 突飛かもしれないが、ぼくはこのスローガンを聞くたびに、水俣病の認定基準を思い出す。キーワードは「特異度」。医学・疫学分野の概念で、感度とトレードオフの関係にある。「陰性のものを、正しく陰性と判断できる割合」、言い換えると「陰性のものを間違って陽性と判断しない割合」のことをさす。


 国による水俣病の認定基準は、この特異度がきわめて高くなるように設定された。疫学調査によって、水俣の漁村ではその他の地域より50倍、神経症状が多発していることが分かっていた以上、「水俣の魚を食べて、神経症状がある」を基準としてよかったはずなのに、神経症状はメチル水銀中毒に特異的ではない(ほかにも原因候補がある)という理由で、複合的な症状を要求するきわめて複雑で厳しいものになった。


 言い換えると、50人に1人はいるはずの陰性(水俣湾の魚が原因ではなく発症した人)を陽性と判断しないことを重視するあまり、特異度の設定が極端に高い認定基準になった、ということ。そのため、多くの「水俣湾の魚を食べたことが原因で発症した人」を切り捨てることになった。「陽性の人を陽性と判断する」という意味での精度に問題があり、つまり、「感度」が極端に低いということ。感度と特異度がトレードオフというのは、そういうことだ。


 その後の、水俣病の個々の未認定患者の悲劇、訴訟コストなどを考えると、結局この特異度重視、感度軽視の認定基準は、だれも幸せにしなかったことは明白だと思う。


 ここであらためて、PTAの話。実際は自由に入退会できる社会教育関係団体のはずなのに、全員参加が制度化され、「公平」が強調される。この場合、「公平」とは、形骸化したものを多く含む負担の多い業務を振り分ける際のこと。「できるのにやらないずるい人」を逃さないために(公平を徹底するために)、「どう考えてもできない人」にまで網をかける。「働いていることは理由にならない」「忙しいのは誰だって同じ」「だれにだって事情はある」等々……様々な「理由」を特異的ではないと断じ、「本当にできない人」にまで重圧をかけていく。そして、その結果、前例踏襲は温存され、だれだってハッピーではないのだ。


 ある磁場の中では、「陰性のものを間違って陽性と判断しないことを追究するあまり物事の本質を見失う」ことが頻繁に起きる。そのことについて自覚的でなければ、と思うのだ。

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 以上。
 なぜ、ボツにしたのかというと……

 たしかにPTAのありように、水俣病の認定基準や特異度について思い出すことは多い。
 けれど、あくまでざっくりした連想の域を出ない。
 それほど上等でもないレトリックを駆使して無理にまとめているだけでなく、「特異度重視の基準や検査は」いけないと言っているようにも読め、かなり、ミリスリーディングなエッセイとなったと思ったから。

 本当は目的によって、感度と特異度は調整すべきもの。
 あきらかな悪い意図をもって、行われる感度の高いスクリーニングというのも当然ありうるのだし。

 自戒と、話題(?)のため、あえて掲載する次第。あと、なにはともあれ、感度と特異度の関係って一応、軽く説明はできてるし。

 ちなみに、水俣病と疫学については、こちらが詳しいです。
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