川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

健康増進法は良い法律である。分煙を支持してくれている意味においては

2006-03-21 07:40:06 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
 健康増進法とは良い法律である。
 少なくとも、公共の場所の分煙をはっきりと推進しようとする条項においては。
 
 でも、いやーなことに気付いてしまった。

 第二条にこんな条文があるのだ。
 
 (国民の責務)
第二条 国民は 健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め生涯にわたって自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。

 健康は、国民の責務であって、生涯にわたって努力しなければならないらしい。
 困った。ぼく自身健康でありたいから、努力はする所存だ。しかし、法律で決められたくないよな。
 このことを指摘してくれたのは、粥川準二さん(「資源化する身体」などの著者)。
 この前の日曜日、科学ジャーナリストが集まって意見交換するような集いが会ったのだが、そこで粥川さんの発表を聞いた。粥川さんは、最近、明治学院大学の大学院に在籍していて、ちょうど修士論文を仕上げたところなのだ。

 それにしても、なぜ、こんな条文が健康増進法に入り込んだのか。
 非常に素朴なレベルで、あれれっと思う。(素朴でない議論としては、粥川さんの修士論文が書籍化されるとのこと)

 その一方で、健康増進法以来、多少なりとも公共の場所の分煙の動きが活発になってきた実感もあって、ぼくはこの法律ができたことに感謝している。

 しかし、まいったな。
 本当に、この「責務」は余計だ。よく反・禁煙論者に、健康増進法を問題にする人がいるけれど、彼らが感じている危機感は、この部分については正しいと思う。
 にもかかわらず、こんな法律が導入されちゃう前に、マナーやら文化やらでなんとか解決してくれなかったあなたたち(喫煙者、とりわけ「マナーや文化」論者)どうしてくれるよ、迷惑だよ、という気分。もちろん喫煙問題だけが扱われる法律ではないから、喫煙者がマナーや文化で、分煙を実現していたとしても、こういう条文は生まれてきたのかもしれないが。

 せっかくなんで、ひさしぶりに喫煙関係の論考のエントリをコメント欄に貼っておきます。
 昔雑誌に書いた原稿をpdfにしたものです。

追記
某所より、これは八つ当たりであろうとの指摘あり。
そうですね。八つ当たりです。反省。
ぼくがエッセンシャルなこととして、感じているのは、現在のたばこ問題をめぐる混迷の一端は、「マナーや文化」を論じる、喫煙擁護論者が、みずからそのマナーや文化を、たばこの煙を痛みに感じる人たちが納得できる水準で創出しなかった(しようともしなかった)こと、のみです。
このことと、健康増進法の面妖さは、少し関係あるかもしれないけれど、たぶん別の要因の方が大きいでしょう。

「ニコチアナ」という、ぼくの作品の中ではもっとも売れなかった小説を書いた時、ぼくが投げかけたはずの問題意識を受け止めてくれたのは、自分が「クリーン」だと信じている非喫煙者よりも、むしろ、諸々のジレンマに悩む喫煙者に多かったという感覚があって、それゆえに、「健康」が絶対的善として君臨する社会への違和感を、正当に主張してくれるのは彼らではないかという期待も持っていたりするのですよね。

にもかかわらず、ぼくはやはり、たばこの煙は吸い込みたくないです。
会社やめてからますます感受性が高くなってしまい、いまやすぐに頭が痛くなるし。



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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2005/... (本人)
2006-03-21 07:42:02
本当は上・中・下、三部に別れているのですが、全部ここからたどれます。
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健康増進法は、栄養改善法を廃止して、代わりに施... (青木みや)
2006-03-21 19:08:19
健康増進法は、健康日本21という健康づくり施策から発展してきたものなので、喫煙者のマナーの問題だけではなく、生活習慣病予防と深く関係しています。
私自身は健康増進法は「責務」という文言含めて、あまり好きになれませんので、受動喫煙の防止だけ別に定めて欲しいなぁと密かに思っています。
ところで、食育基本法
http://www.e-shokuiku.com/kihonhou/index.html
をご存じですか。
昨年6月に議員立法で成立した法律ですが、以下のような文言があり、これも法律として定めるのは、どうかと思っています。

…………
(附則から一部抜粋)

国民一人一人が「食」について改めて意識を高め、自然の恩恵や「食」に関わる人々の様々な活動への感謝の念や理解を深めつつ、「食」に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力を身に付けることによって、心身の健康を増進する健全な食生活を実践するために、今こそ、家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいくことが、我々に課せられている課題である。
…………
「我々」って誰やねん、とかツッコミどころ満載です。
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ご指摘ありがとう御座います。 (本人)
2006-03-22 05:51:02
議院立法って、しばしば、こういった「時の雰囲気」に敏感になりすぎて、みょうちくりんなものに仕上がることがありますね。
それにしても、食育。
そもそも言い出しっぺは誰なんですか。
食と育の間に密接な関係があるのは間違いないでしょうが、食についての知識のみならず、ある種の精神性にまで訴えていくやり方が、保育園や小学校の「現場」にまで入り込んでいるきょうこの頃、疑問を抱いておりました。
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http://www.dm-net.co.jp/calendar/2006/03/002562... (sionoiri)
2006-03-23 12:49:01
ちいさな籠にたくさんの卵を入れてしまうのは、日本の文化です。ロケットやラジカセに限りません(嘘)。
感謝の念とか生産者の都合とかと一緒に、糖尿病学会としても、「食事療法を教えなくても給食で勉強していればね~」という、ため息も入っています。法律の制定にはその方向で働きかけがありました。

#メンテ中書き込み実験兼ねて
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ご紹介いただいたサイトで、「健康食品による健康... (本人)
2006-03-23 21:31:03
ご紹介いただいたサイトで、「健康食品による健康被害」という項目に思わず反応してしまいました。ほんと、アホみたいですよね。健康のために摂取して、病気になるなんて。
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 最近の憲法改正(正?)論議にも共通する発想で... (インディ我戸川)
2006-03-23 23:07:30
 近くにいる人を不健康にするおそれがあるなら、過失でも未必の故意でもそれを避けるように(やめるようにとは言わない、一応)義務づける必要はあるでしょう。しかし、個人の方針にまで法律が口出しするってのは教育勅語並み(に劣悪)ですな。
 しかし、私にはタバコは麻薬みたいなものにしか見えないので何とかしたいとは思っているわけです。
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たばこの問題は、やはり特殊だと思いますよ。 (本人)
2006-03-24 07:14:03
反・禁煙の論客は、「健康至上主義」の象徴として喫煙問題を捉えたがるし、ある面でそれが正しいこともあるのだけれど、それだけで済まない部分が多すぎます。「健康は個人の問題である」と、反・禁煙の論客が「たばこ規制はけしからん」いう文脈でいったとたんに、「でも、煙を出すたばこは個人では完結しないしゃないか」と突っ込まれてしまうわけです。そこから先、アルコールだって、自動車だって、個人では完結しない、というふうに再反論は可能なのですが、そこまでいくと、なんでもかんでも個人では完結しないことばかり、ですね。とすると、健康は結局個人の問題じゃないのかも、とすら、思えてきます。なんだか、喫煙の問題を考えるだけで、健康とは、個人とは、など、普段は目に見えない断層が目に入ってきてしまいます。
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 タバコから外れますが、電気自動車とか電車とか... (インディ我戸川)
2006-03-25 00:57:24
 タバコから外れますが、電気自動車とか電車とかの売り文句が非常に気になるんですよ。「CO2排出が非常に少ないから環境にやさしい」とよく書いてあります。しかし、電気を使っているところでは排出は少ないでしょうが、電気をやたら使うようになったら現状では火力発電所のCO2排出が増えたり、原発が大活躍しちゃったりするわけでしょう。原発はCO2よりずっと有害な廃棄物を出していますし、それをどこに埋めるか(沈めるか)でもめています。電気を使うところはクリーンで、作るところの事なんか考えているのかな?というのは、「健康は結局個人の問題ではなく周囲との関係である」ってのと近い感じではないかと思うわけですね。
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なるほど。 (本人)
2006-03-25 06:13:21
環境は、個人で完結できるもんだいではない。
というのはすごく自然に響きます。ゆえに、「環境を保全する責務」とか言われても、それなりに納得できます。ぼくたちは、自分たちの社会や、将来の社会に対して責任を負っているのだ、という意味で。
けれど、健康が責務と言われるとなぜ、だめなのか、というと、はやり、「健康」が、あるまで「個人」の領域に属するものだと考えられてきたからなのですね。ところが、よくよく考えてみると、「健康」すら個人のものではなくっている。
ならば、やはり「責務」と考えて良いのか、という問題にいきつくことになるわけですね。

喫煙に話を戻すと、これを健康ではなく、環境問題として論じるという方向性はありえますね。能動喫煙の話は健康言説(?)で処理するとして、その煙の処遇(?)については環境問題。粉塵などと同じで、自分が汚染源にならないような責務を負う、と。
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僕自身は「健康が責務」に問題は感じなかったので... ()
2006-03-29 10:33:55
自分の健康に努力しない人をはた迷惑と感じてるもんで。
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