川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

小谷野敦氏がやっと見つけてくれた!

2005-11-03 08:25:42 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
今朝起きたら、小谷野敦氏のサイトから飛んできたログが大量に残っていた。
どうやら、やっと気付いていただけました。
というわけで、ご興味のある方はこちらをどうぞ。

リンク: 猫を償うに猫をもってせよ - 川端裕人氏へ.

その上でコメント。

「私は、タバコが健康に害があることは認めている。決してガンの原因をすべて遺伝に還元しようとはしていない。そうではなく、他の健康に悪い行為との比較がなされていない、と言っているのだ」との件。

なるほど小谷野氏の著書の中の記述や、ネットでの発言で、喫煙に関する疫学証拠はデタラメで、喫煙・受動喫煙のリスクはほとんどないと読めてしまう部分があったとしても、それは本意ではないということを了解。
「他の健康に悪い行為との比較」、もしも、そこまで気になるならば、自ら定量的な比較を試みてみてはいかがだろうか。そう簡単なことではないので、異論反論は噴出するだろうが、たたき台を誰かかが作ってみる価値はあるかもしれない。
 
 
「エンストローム論文に批判があるというのは知っている。しかし、私が問題にしているのは、天皇制と同じく、そういう問題がマスメディア上(特に新聞)でまったく議論されず(むしろ最近は天皇制のほうが議論されるようになってきたくらいだ)、タバコの害を強調する研究ならかなりレベルの低いものでも(先日の中田ゆりのもののような)載ってしまうという言論統制を問題にしているのだ」との件。

たしかに、今この時点で、「タバコの害を強調する研究ならかなりレベルの低いものでも(先日の中田ゆりのもののような)載ってしまう」というのは事実かもしれない。ただそれは言論統制なのか。
例えば、平山研究からエンストローム研究までの二十年間の間になされた数十編の受動喫煙と肺がんについての研究のうち、どれだけが日本で報道されただろうか。また、受動喫煙にくらべるとさらに「決定的な証拠」が多い、能動喫煙と各種がんの関係についての論文はどうか。もっというと、疫学的に弱いけれど話題性では負けない「タバコはアルツハイマー病によい」「パーキンソン病によい」という研究はどうだったか。調べてみるといいのではないだろうか。
実は禁煙派というべき人たちの中にも、「メディアは喫煙問題についてとりあげない」「反禁煙の話題ばかり取り上げる」「喫煙サイドの立場からの報道が多い」とフラストレーションを募らせている人が多く、興味深い。




「現に『禁煙ファシズムと戦う』は、批判どころかほとんどすべての新聞で「黙殺」されている。川端氏も作家なら、そのことの恐ろしさにまず気づくべきだと思う」とのこと。

 なるほど、ぼくの本も時々、黙殺される。あれはファシズムだったのか。言論統制だったのか。今更気付くぼくは「その恐ろしさ」に気付いていないおニブさんだっのたか。
 というのは冗談にしても、小谷野氏の言いたいことは分かる。
 ファシズムな世の中には、住みたくないとも思う。
 ただ、喫煙問題について、今、禁煙ファシズムなるものが横行しているとはぼくは思っていない。行き過ぎの清教徒的禁煙主義者がいて、それはどうかと思うことはあるにしても。
「黙殺」をファシズムの証拠とする前に、検証すべきことはほかにもあると思う。
 
 ついでといってはなんだけど、これまで、書いた「禁煙ファシズム」関連のエントリをコメント欄にまとめておきます。タグうち面倒なので。

追記11.6
小谷野氏の当該ページに返答(?)があったので、こちらも同じ形式で追記します。
「とうてい客観的事実とは思えないのである。いったいどの「メディア」のどういう記事のことを指しているのか、具体的に教えて欲しいものだ。」との件、
禁煙ファシズムという言葉については、たしかに大新聞はほとんどとりあげていないようだけれど、(斎藤貴男氏が新潮45に書いた後、朝日新聞が二度ほど取り上げた以外は知らない)、禁煙推進の立場からは「バックラッシュ」としか思えないような報道がしばしばあったり、もっとたくさん喫煙問題を取り上げてほしいのに取り上げてくれない、というような意味だと理解しています。けれど、ぼくも真意を正したことはないので推測。ただ、禁煙推進の人がそういう感覚を抱き、時々、ぼやいているのは事実なわけです。

「「証拠とする前に」とは、なぜ「前に」なのか。なぜ私と川端氏がしているような議論は、新聞紙上にはまったく載らないのか、ということを問題としているのに、「する前に」というのはおかしかろう」との件。
これについてもぼくは推測するしかないのだけれど、小谷野氏の「もはや議論は避けて、公権力や公共施設の「全面禁煙化」で押し切ろうというやり方にしか私は思えないのだ」という発言がそのまま小谷野氏の考える「禁煙ファシズム」の本質なのだとしたら、それを大きなメディアでとりあげるには、相当「強い」証拠が必要。それこそ、嫌煙団体と厚生労働省の密約があきらかになった、とか、アメリカが日本に実は圧力をかけていた外交文書が発覚したとか。「そうとしか思えない」というだけなら、陰謀史観とかわらないわけで、そのあたりの検証が必要なのでは、とぼくは考えているわけです。それが「前に」の意味です。

それにもう一点。実はこっちの方がより大事であり、ぼくがこういった発言をしている理由でもあるのだけれど、小谷野氏の真意はともかく、小谷野氏が書いたものの中には、「喫煙についての疫学証拠はデタラメで、受動喫煙も能動喫煙も害はない」と読める部分があるし、疫学議論を飛ばした上で、「他の健康に悪い行為との比較がなされていない」(実際には、あちこちでされている模様)と批判するだけでは、その後の議論にも説得力がなくなってしまう、ということ。誤った前提に立って述べられる議論は、かりにその議論に取り上げるべき部分があったとしても、メディアがとりあげにくいのは当然です。
つまり、喫煙の有害性について、小谷野氏が自著の記述の再検証することも「前に」だと、ぼくは思っています。その結果、かりに、小谷野氏の認識が、 WHOや厚生労働省の認識と同じになったとしても、小谷野氏の議論の中には、今の世の中に投げかけるべきものがたくさんあると思うのですがね。

疫学論議、してみますか。とこの件では提案。
あるいは、ぼくではなく、専門家の方がよりよいのかもしれないけれど。