伊藤昌美さんの作品を観てきた。
初めてである。
絵画から入られた方だけあってか、
亡くなるまでの20数年間、70点余りの作陶の随所に絵が感じられた。
それは、当然といえば当然なのだろうが、
ワタシのうちに残ったものは、
あちこちにある___線___だった。
眠れない夜、暗闇に目を凝らしていたい藍の世界に眠る猫。
不思議な感覚にとらわれる赤い線、黒茶の線の小さな花活け。
黒地に大胆な土蜘蛛の糸が絡みつく大きな花入れは、
今なら真っ白いアジサイをたっぷりと放り込みたい。
鳥渡る空を引っかくのは雨なのか、それとも風なのか、
はたまた、雲から漏れる薄日なのだろうか。
そして、
DMで見たとき、一瞬、鉄かと思った黒陶のラクダの群像でさえも。
線、線、線、線を感じた。
それら一つ一つをゆったりとした足取りで見ていると、
クレーの絵に促され書いたという、谷川俊太郎の詩が浮かんできた。
おのずから
線は繁茂し
無をさえぎった
文字はほどけ
その意味するところの
ものに帰る
伊藤さんは、何を見ていたのだろうか。
今となっては聞こうにも聞けやしないが・・・・
緯度はほどけ
新しいフローラが
世界をおおう
けれどほどいても
ほどいても魂は
もつれたまま・・・
いや、たとえ生きておられても、
それを聞くことはできないのかもしれない。
言葉では・・・・
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