やらねばならぬことをやり終えて、
小さな満足感の中に開くのは、
それはそれで嬉しいことなのだが、
やらねばならぬことを後回しにして、
読みふける心地よさは大したものだ。
特に、
こんなとろっとした春の日には・・・・
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大したものもなかった時代が幼少期だったワタシにとって、
本は嬉しい楽しいものだった。
誕生日、クリスマスと普段より多く買ってもらえる日は、
目を輝かせ、心を踊らすとき。
長じては、
活字なら何でもいいかと、所狭しと並んでいた母の全集ものの蔵書を、
そして、学生時代は買ったり、借りたりの乱読だったが、
育児や仕事に忙しくなってからの読書量はぐっと減った。
それでも、
何度でも読みたい本、いつか読もう思っていた本と、相当貯め込んでいた。
しかし、この小さな家に越すにあたって、結局そのほとんどを処分。
もちろん、置き場がないというのが第一なのだが、
何といっても、目がついて行かなくなったのだ。
それこそ、
これからが、ゆっくり本を読める年代、環境だというのに。
ココに来て、
モノをなるべく増やさないようにと、
2週間に一度くらい、中之条町の図書館で借りてくることにしているものの、
少しずつ、まだ本が増え始めている。
壁を見れば、むらむらと書棚にしたい衝動に駆られるという詩人の新川和江さん。
出入りの大工さんが、
___詩というのは、心を詠ったものでしょう。こんなにも夥しい量の心に取り囲まれていて、うっとうしくないか___
と問うと、
___深い森の中にいるという感じ___だと答える。
うん、うん、よーくわかる。
例の薪と同じく、
本に囲まれていると、ふくふくふく・・・・
ああ、なぜか温かいものに包まれている感じ。
森の中で、
いっぱいの輝く言葉が、ワタシが見つけるのを待っている。
それにしても、悲しいのは文字が見えづらくなっていくこと。
老いはいたるところに出てくるのだが、
視力低下は急激で、
一日中、読んでいたいと思っても2時間もすれば限界で、
一旦本を閉じなければならない。
そんな時、
こんな黄色の花が目に入ると、
なんだか少し、視力が回復したように思える。
こちらは、前橋の黄色い春の花。
さて、メグの散歩まで、
あと2時間、また読めるぞー。。