
イブラヒム恵美子さんの「椿」が届いた。
彼女のガラス絵が好きで、2点所有している。
今年初の作品展も行きたかったが、毎度のことながら往復6時間の電車が億劫になり・・・・
代わりに渋谷に住む娘が観て、
そして、
誕生日のプレゼントに、ワタシの好きな「椿」を選んでくれたようだ。
今回は小品ということで、
花や鳥の形にガラスを切ることができないようで、コレはアクリルらしい。
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その背後に幼い頃の記憶を留めているからだろうか。
椿は好きな花だ。
家の小さな裏山に入っていくのは、いつも何だか恐ろしかった。
少し登りあげた入り口から、一歩入るだけで、
ヒヤッとした空気が、待ってましたとばかりにまとわりつく。
手入れのされていないそこは、鬱蒼としていていて、薄暗く、
雑多な木々から、だら~んと太い蔓などが垂れ下がっていたりする。
そこは、入ってはいけない場所のような気がしていた。
それでも、
子どものワタシは、何かそこにある静けさに惹かれていたように思う。
そして、
今いる世界とは全く違うその中には、何か宝物があるような気がしていた。
実際、そこからワタシはいくつかの宝物を拾ってきた。
泥のついた破れた青や黄色のセロファン紙。
割れた緑のガラス瓶の欠片。
そして、
人知れずポトンと逝った自生のヤブツバキの真っ赤な花。
夕闇がその山を覆う恐ろしさは、日中の何十倍もので、
日が暮れる前にと、
拾った宝物をそおっと抱えて、走って急いでその山を出る。
そして、
家に帰ると、その宝物をきれいに拭いて机の引き出しにしまった。。
しかし、
そのあと、引き出しを開け、それらの宝物を見ることはなく、
いつのまにか忘れられ、いつのまにか捨てられた。
あの宝物たちは、ワタシにとって、
あの薄暗い山の中にあってこその宝物だったのだ。
別の世界に潜む宝物。
現実の世界に持ち込むと、たちまち輝きを失ってしまったのだろう。
スズランが好き。ヒガンバナが好き。ムギが好き。ツユクサが好き。ノイバラが好き。ノアザミが好き。スミレが好き。ドクダミが好き。レンゲが好き。シロツメグサが好き。スイレンが好き。ユリが好き。スイセンが好き。ヤグルマソウが好き。センニチソウが好き。ハクモクレンが好き。ミカンノハナが好き。マツユキソウが好き。ニリンソウが好き。ウメが好き。ナンテンが好き。ツバキが好き・・・・
それぞれの花の後ろに、ワタシが生きてきたその時々の小さな記憶が潜んでいる。
そして今、
そのひとつひとつがワタシの宝物になっているような気がする。
時折、遠い日のあの頃の思い出に浸ることができるのだから。
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ヘルマンヘッセの描いた、わずかに黄色味を帯びた白い椿も好きだが、
森茉莉のエッセイの中に、白い椿が___脂肪があって、煌々(きらきら)する、湿った、嫩(わか)くてきれいな女の皮膚のような花弁(はなびら)___という一節を見つけてからは、なんだか、ちょっと白い椿と距離を置くようになった。
艶やかな濃い緑の葉っぱの陰から覗く、ビロードのようなこっくりとした真っ赤な椿。
やっぱり、
一番好きなのはあのヤブツバキだ。
やっと花をつけるようになった我が家の赤と白の2本の椿。
赤のほうは、あの真っ赤な椿ではなく、少しピンクがかっていて残念なのだが、
それでも、春とともに椿の花が咲くのが待たれるのだ。
あと、3カ月ぐらいだろうか。。
