年に一度の
人形作家亀井千鶴子さんとその生徒さん達の作品展を観に行った。
今年のテーマは「再臨」
そして、
次の日の夜、
ボランティア仲間のMさんが亡くなった。
敬虔なカトリック信者のMさんは、
昨年のクリスマス会で、
ご自分の死期が近付いていること、
そして、
手術、入院はもちろんのこと、
積極的な治療を拒み、
最後まで普段の生活を続けていくことを選んだと、静かに強く話された。
穏やかなその死に顔は、
死は、必ずやってくるもので、
ごく自然なことだと語りかけ、
血圧が元に戻らないなんのって、あたふたしているワタシは、
思わず、顔を伏せる。
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宗教学者、山折哲雄さんとの往復エッセイ『「いのち」についての60の手紙』のなかの、
生命学者、中村桂子さんの言葉を思い出す。
がんは、体の中に老化しない細胞が一個生じ、それだけが増えることで、体のバランスが崩れ、結局個体の死が早まる。・・・・だから、細胞を不老不死にすることは全体の死につながるわけで、むしろ、体内に死を抱え込んでいるのが生きることなのだと。
死を抱え込んで生きる____
体内に死を抱え込みながら、
人は同時に、心の裡にも死を抱え込んで生きていくべきなのだろう。
死は、必ずやってくる。
そして、
それはごく自然なこと。
中村さんは、こうも言う。
私たちは、自分が死に、生を次の世代にゆだねることによって「生」をつなげていくという仕組みの中で生きているわけなのに、人間は大脳を活用した知識をもとに、特別な生き方をしてきたと。
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今朝は、庭いっぱいに霜が降りていた。
もう冬なのだ。
サビ朱の葉っぱは、枝から離れひらひらと舞い落ち、
気がつくと、いつの間にかほとんどが裸木になっている。
人間が、生きものとしてのルールをわきまえて生きるということはどういうことなのかと、
改めて考える。
昨日頂いてきたミカン。
Mさんが丹精込めて育てたそれは、
静謐で、
当たり前の味がした。。