訳あって、
ここ半年ほど、母と話すことを控えていたので、
母からの突然の電話にビクッとした。
そして、そば立てた耳に入ってきたものに、
ワタシは言葉を失った。
「家を出て、高齢者ホームに入ることにしたもんね。」
ついに、
来るべき時がきたのか。
84歳になり、
体力、気力ともに衰えを感じ、
ひとり暮らしで、
家一軒維持していくのも大変だと感じるようになったという。
動けなくなって、子どもの世話になるわけにはいかないと、周りを見て思ったという。
そして、この数か月で決めたのだと。
老いて、なかなか思うようにはいかなくなったとはいえ、
ちょっとした山歩きはまだ続けていられるようだし、
趣味に、あちこち出かけてもいるようだしと安心していた。
そうして、
いづれ、その時がきたら、
大学卒業前に結婚し遠く離れ、
親孝行らしきものを何一つしてこなかったワタシが、
熊本で一緒に住むなり、世話をすればいいかと、
漠然と思っていた。
2階建ての一軒家にあった、
たくさんの物や、思い出を大半整理、処分して、
小さなキッチンと風呂の付いた一部屋に移るという。
生きていくうちに、
余分なものがどんどん自分の身の回りにくっついて、
いつの間にか大切なものがどれなのか、どこにあるのか分からなくなってしまっている。
吉田兼好曰く
____朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ その外は 何も持たでぞあらまほしき____
人、ひとり生きていくのに必要なものはほんのわずかなのだから、
ソレで充分といえば充分なのだが・・・・
それに、残された者にとって、
家一軒分の遺品整理は確かにおおごとなのだろうが・・・・
この数か月の間、
過去の喜怒哀楽を雑多に混ぜ込んだ抽斗から、
一つ、また一つと折り重なった記憶を、思い出を引っ張り出し、
それを手放すという作業をしながら、
母は、自分の逝き方を確認したのだろうか。
母の口から、何度もでてきたのは、
「もう、決めたから」と言う言葉だった。
それは、自分に言い聞かせているようにも思えた。
ワタシは、ただ、「うん」「うん」と頷くしかなかった。
自分の力で、
一人で生きてきた母の強さに感服し、潔さを羨ましく思いつつも
時折、さぁっと寂しさが走る。
故郷が、母が、
いっそう、遠くになってしまったように思えた。
それでも、
明るい母の声に重ねるように、
「どうか、残りの時が歓びでありますように」と、
ワタシは、心の中で繰り返していた。