光ある青い空に、墨を含んだような雲。
北風は、どちらに加勢しようとしているのか、
ピューピュー音を立てて吹きすさぶ。
光と雲、そして風のせめぎ合いなど知ったことかと、
時折、ちらちら白い雪が落ちてくる。
そんな日の今日は、
薪をどんどんくべながら、ドヴォルザークの交響曲をBGMに、
本を読むのだが・・・・
このところの急激な視力の低下に戸惑う。
つい、この間までは、
ごく小さな文字を読むときだけ、時々、かけていた老眼鏡。
最近では、
読書はもちろん、パソコンに向かう時も常に。
それで都合がよいのならいいのだが____
暫くすると、
眼がシパシパ、ぼやっとかすみ、くらっ。
しまいには頭痛も。
メガネがあわないのかと、
100円ショップで買ったもの、おしゃれショップの数千円のもの、
そして、
眼科できちんと検査測定したうえで、作ってもらった高価?なものと、
ちょこちょこ掛け直してみるが、
どうも調子が良くない。
あえて言えば、100円のものが一番楽かな?
そこで、
30分ほど読んで限界がくると、
メガネをはずし、
何を考えるわけでもなく、窓外にポーッと視線をやることになる。
ふと、
目の前の山と積まれた薪の年輪に目がいく。
再び、メガネをかけ、
直径12cm位のその薪の年輪を、
一生懸命数え始めるのだが、
何の木なのか、細かい年輪がびっしりで、頭がクラクラし始めた。
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そう云えば、
友人からもらったシベリアカラマツの年輪を数えるうちに
眼が痛くなってしまったと、串田孫一の本で読んだことがある。
それは、直径8cmくらいで、ナント100年位経っているものだったようだ。
そして、
その年年の気候の影響からくる年輪の幅の広狭は、
過去何百年間の自然の歴史を正直に物語っているわけで、
魚のうろこなどにも年輪があるに、
果たして、人間はどうなんだろうと続いていた。
ホントに、
人間の年輪って何だろう。
眼が見えなくなったばかりでなく、
めっきり、白髪や皺も増えたワタシ。
でも、それは年輪というのではなく、単なる老化。
突然、そんなことを考え始めた。
雑に切ったカブとキュウリを口に入れ、
本を閉じ、しばし休憩。
カリポリシャリ、カリポリシャリ。。