goo blog サービス終了のお知らせ 

草の葉

高山村にある、緑に包まれたギャラリー

二月

2008-02-01 15:32:35 | 雑感
 新しい年が明けたと思ったら、もう二月。
そして、ワタシは、また一つ歳をとった。

昨夜は静かに過ごす。
シューベルト(同じ誕生日)を聴きながら、昔のことを思い出す。


家族が揃っていた頃は、この時期忙しかった。
1月18日から2月18日の一ヶ月間に、なにしろ五人家族のうちの四人の誕生日がある。
クリスマス、お正月、そしてみんなの誕生日。と。。。
あわただしくも楽しい期間だったなあ。。。



おっと!危ない。


精神病理学専門の島崎敏樹さんによると___
「昔話ばかりでるようになった人はもう終わりに近い。」そうだ。
それは、呼び出された過去が、もう闇ではなくなり、現実となって光の世界へ転化させられているというのだ。



あ・ぶ・な・い!
あ・ぶ・な・い!!




      一人でいるのは賑やかだ
      誓って負けおしみなんかじゃない

      一人でいるとき淋しいやつが
      二人寄ったら なお淋しい

      おおぜい寄ったなら
      だ だ だ だ だっと 堕落だな



  「一人は賑やか」____茨木のり子さんは言ってたわ。。



    

しずかさ

2008-01-05 14:25:01 | 雑感
   ふゆのひ

 なんとういう しずかさ
 みあげると えだのあいだから
 みずのような ひかりが
 こぼれてくる
 もりは ねむるものたちの
 かすかな ねいきに みちている

  くまよ あたたかくしているかい
  りすよ たべものは たりるかい
  かえる ねぼけて とびだすなよ

 ああ ほんとうに
 あかるくて しずかだ
    ....
 おや
 むこうの きのかげで
 てんとうむしが いっぴき
 ねがえりを うった

      おちばせいいち




毎日つけている10年日記も、今年2冊目に入った。
先の10年日記には、子どもらのことが多く記されていたが、この10年はどんな年月となることだろう。

信じられない速さで時が過ぎていく。

 Hさんからの新年の便りに、
「この世での仕事がどのくらい残っているか分からないが、人生という仕事を終えて、家に帰るまでの間、常に目標を持っていきたい」と。
精神の強さを思う。
 「迷うことが好き 出口から入って入り口をさがすことも」と言う岸田衿子は、
「一生おなじ歌を 歌い続けるのは だいじなことです むずかしいことです」とも言った。
うんうんと頷く。
 花もめしべとおしべが揃っているだけでは不十分で、風や鳥の仲立ちが必要であるように、
「生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ」
吉野弘の言葉にハッとさせられる。
 ペテーフィ・シャンドルの「絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい」の言葉から、
「淡々と生きていけ!」と、受け取った茨木のりこ。


残された道のりを、淡々と歩んでいきたいものだ。
あるがままに、感謝をもって。




みんなが、それぞれの場所に戻って、
再び、なんということもない静かさの一日だった。



   
   




知命

2007-11-28 17:27:09 | 雑感
 Hさんから小包が届いた。



サツマイモ好きの私だが、この種類は見るのも食べるのも初めて。
種子島の「密芋」というらしい。



今日は雲の多い一日で、寒くて、チロチロずっと薪ストーブを焚いていた。
一緒に入っていた鈴木重子さんのCD___柔らかいボーカルを繰り返し聞きながら、一日中、茨木のり子さんの詩集を読んで過ごす。


    他のひとがやってきて
    この小包の紐 どうしたら
    ほどけるのかしらと言う

    他のひとがやってきては
    こんがらがった糸の束
    なんとかしてよ と言う

    鋏で切れいと進言するが
    肯じない
    仕方なく手伝う もそもそと

    生きているよしみに
    こういうのが生きてるってことの
    おおよそか それにしてもあんまりな

    まきこまれ
    ふりまわされ
    くたびれはてて

    ある日 卒然と悟らされる
    もしかしたら たぶんそう
    沢山のやさしい手が添えられたのだ

    一人で処理してきたと思っている
    私の幾つかの結節点にも
    今日までそれとは気づかせぬほどのさりげなさで



夢中で読んでいて、ふと顔をあげると、
あたりに色を残しながら、山の端にまさに日が沈むところ。



小包の中には、
彼女が若いころ、初めて自分で買ったという淡い桜色の手織りの着物が入っていた。






おもう

2007-10-28 10:50:06 | 雑感
 思い出すことのなかったずっと昔の記憶をたぐりよせる。


歌が大好きだったあなた。
いつも鼻歌が聞こえていた。
「どうだ。うまいだろう」
自慢げに何度も歌うあなた。
曖昧な笑みで、うつむきかげんで聞いていたこどものわたし。

トランプで負けると子供のように残念がっていたあなた。
「もう1回やろう」
あなたが勝つまで何度も付き合わされ、少し困っていたこどものわたし。

稲を刈り取った田んぼで肩車。
背が高かったあなたの上で見る空は、とっても広かった。



   あなたの目を見るのが嫌だった。
   あまりにも優しい目をしていたから。



少ない思い出はすぐに尽きる。
少ない思い出を繰り返しおもう。


あなたの選んだ道を知る由もない。
あなたの歩んだ道を思い図ることもできない。





わたしは____
昨日の雨が赤や金の葉を落とした、
静かなこの山の道を、
ただただ歩くだけ。
あなたをおもって、、、、、

   フォーレのレクイエムが森全体を包む。
   さようなら。
   そして、ありがとう。






玉原高原

2007-10-15 15:01:47 | 雑感
 昨日は、一時間半かけてゆっくりブナの森の中を歩いた。


足もとはふかふか。
縦横に伸びた根は、大地をしっかり押さえている。
ゆっくりゆっくり一歩づつあるく。


赤や黄色に色づいた葉や、まだ薄みどりの葉をいっぱいに茂らせた大木を見上げると、
そこだけの小さな宇宙に守られているようで、なんとも心地よい。


足下に腐植土に包まれたクリやドングリ、クルミの実。

年とった木が倒れている。
ぽっかり明るい。
空が見えるその場所には、生まれたばかりのブナの子ども。

   死にゆくものと
   生まれいづるもの
 
   いのちのつながり


ケヤキ

2007-08-19 18:37:30 | 雑感
 20年間一緒に過ごしたケヤキが切られてしまった。

 以前、家族で住んでいた家には、庭の真ん中に大きな大きなケヤキがあった。
9歳くらいだった長男が、「森のようにして」と言った一言で、小さな庭は広葉樹がいっぱい植えられた。
そして、20年間で本当に森のようになった。

 小さな庭は、季節ごとにいろんな表情を見せてくれた。
若葉のころはそれはそれは美しかった。ケヤキの淡い黄緑の葉っぱに陽光がふりそそぐ様を、2階の窓から良く眺めていた。私の一番好きな光景だった。
ケヤキの下は、歴代の我が家の犬の居場所だった。夏には、小高くなっているその場所に、ケヤキは大きな優しい木陰を作ってくれた。シャラは毎年いっぱいいっぱい白い花を咲かせ、あたり一面甘い香りを漂わせた。
秋の紅葉もきれいだったなあ。カキやクリ、ビワ(実はみんな少しもならなかったが)、カエデにコナラ、いろんな形、色の葉っぱがぱらぱらぱらと落ちる頃は少しセンチメンタル。
すべての葉っぱが落ちた冬の昼下がりは、子供たちとカサカサ落ち葉を集めて焼き芋したっけ。
 

 木たちを高山に持ってくるには、お金がかかりすぎ泣く泣くあきらめたのだった。
 7月のある日、「人が住まなくなって手入れが大変だから、ケヤキを切ってもらった」と、Kさんから告げられた。
住まなくなっても、木たちはずっとずっとそこに在ると思っていた私は、とてもショックだった。
見たくない気持ちを抱えながらも行ってみた。
誰も住まなくなった家の庭。
ついこの前まで住んでいたのに、なんだかずっと昔だったような、、、、
草はなく、きれいに手入れされてはいたが、、、、
シーンとして、そこだけ時間が止まったような、、、、
一瞬、ケヤキの切株あたりで、ワイワイガヤガヤ聞こえたような気がした。

やはり、、、、、
見てはいけないものを見たような気がして、車から降りることもせずに急いで通り過ぎた。
   なんだか無性にさびしかった。

   ケヤキの下には、確かに家族が一緒にいた。
    
   
   



       いのち   
                 けやきだいさく


     わたしの しんぞうは
     たくさんの
     ことりたちである
     ふところに だいて
     とても あたたかいのである

     だから わたしは
     いつまでも
     いきていくのである
     だから わたしは
     いつまでも
     いきていて よいのである
   
           __くどうなおこ__




  

    今日、切られたケヤキが、高山にきた。
    高山の厳しい冬を過ごす私を温めてくれるために、、、、

         ありがとう

 

 

静かな夏の一日

2007-08-08 16:32:03 | 雑感
 今日は朝から、なんだかやさしい空気?

 強すぎない夏の光と心地よい風。
一日、モーツアルトのピアノ協奏曲19番と20番を聴きながら読書___大江健三郎「恢復する家族」

_____いつまでも続くように感じられた家族の情景、その生きいきした勢いの恢復というものはもう決してない。それは過ぎ去ってしまった、という懐しさの感情のこもったペシミズムにとらえられることもある。


     最近、私もその思いにとらわれることが多々ある。

 が、そのあとに続く大江さんの言葉
_____しかしそうした家族の日々の変化のなかで、たえまなくなにものかが壊れているにしても、それと結んで恢復し、再生してゆくものへの思いもあるのだ。
 
 そして、さらに
_____それでも、きわめて長いレインジで見れば、なおかつあの後に恢復があった、自分らはみなそのような恢復のなかで生きてきた、と回想しうる時も訪れるのではないか?その長いレインジのものの見方を学ぶためにこそ、この世で生きている、とさえ感じることがときにはあるのだから、、、、、
 


  
 この前までで一面咲き誇っていたあのラベンダー畑、その時を終えたようだ。
ポプリ用にたくさんくださった。早速、デッキで、、、、風に乗ってふわっといい香り。
 午後には、秋に企画予定の作家さんの布___ご自分で紡いで染めて織った___その端切れの一つ一つをなぎ合わせた手提げが送られてきた。
やさしいやさしい風合い。

                                               
     日々の変化のなかで壊れても恢復し、再生してゆくもの___美しいものへの思い
     淡々と生きる___しなやかさと力強さ
       そんなことを思った

         サアーと通り雨のあった
          静かな夏の一日。
   
     
    
    

  

 

悲しいな

2007-07-21 18:38:31 | 雑感
 今朝開いたパソコンのニュース___妊娠中の妻と二児を殺して飛び降り自殺、生活苦___の記事。
 テレビも新聞もないので詳細は分からないけれど、、、、「仕事がなく、生活が苦しい。このままでは子供も産めない。ご飯も食べられない」と___

 なんだかおかしい。

 お金がたくさんあるのに不正をしてもっと増やそうとしたり、有り余るお金の使い道がなくて捨てるように浪費している人がいるかと思うと、、、、、仕事したくても仕事がなかったり、一生懸命仕事やっても生活が苦しい人がいたり、、、、


 

   広い広い空と海___
そして、もうじき生れ出るはずだった、、、

     あまりにも悲しすぎる。







メグ来訪

2007-07-15 17:03:01 | 雑感
 ずっとずっと昔、夢だった。
鶏飼って、ヤギ飼って、自給自足の生活___

 
 ここを永住の地とするまで長い長い年月がかかってしまった。


 「山の家に来たのだから、さあ動物を飼えるよ。」と家人や知人に言われた。が、これからの老いを考えると自分の世話で精いっぱい。せめて、クマ対策?に犬だけでもと再三勧められてはいるが、、、、、なかなか、その気になれないでいる。


 
 関東を台風直撃予定?の今日、メグ来訪。
まだ生後2か月余りの赤ちゃん。
元気いっぱい___これから__っていうものを見ると癒される。


 雨の中、メグと一緒にKさんもはしゃぎながら走り回っていた。

前にも確かこんなことが___
 私は家の中から眺めながら、はるか昔の情景を重ね合わせ、、、、思わず鼻をつまむ。



   
    人生の夏だったあの頃、、、、



   

      知らない間に時が経ってしまった。

 

霧立ち上る

2007-07-13 18:30:01 | 雑感
 朝ゆえにあけ放つ窓に
 朝ゆえにのぞむ山なみ
 おはようと呼びかけて
 それだけではばたいた
 朝ゆえの無垢なこころ

   __谷川俊太郎___




 眼前の小野子の霧は
 朝の清澄な空気をひきつれて上へ上へと立ち上り
 遠くの幾重にも連なる山なみは
 様々な朝色を重ねていた。



霧中をあるく

2007-06-29 13:40:01 | 雑感
 からだを小さく丸めて寝ていたのだろうか?
 朝起きたら、左の首から肩にかけて重いものが乗っているように痛い

 霧の中を歩く
 傘をささずに
 見えるのは自分のまわりがほんの少し

 無心に歩く
 下を向いて
 聞こえるのは自分の長靴の足音と雨合羽の擦れる音



 空を木々を田畑を___そして私を薄グレイが塗り潰す




 息切れがして立ち止まる
 聞こえる  鳥のさえずりや山から流れる水の音
 腫れたまぶたを細かい雨が静かに冷やしてくれる

 空や木々や田畑がそこのある
 見えないけれどそこにある
 いつもと同じにそこのある

 
 帰ったら今日は真白いスカートをはこう
 そして、新川和江を読もう
  ふいにそう思った

 

うまかもん

2007-06-22 12:44:10 | 雑感
  うれしい!実家から「熊本の味」が送られてきた。私の好きなものばかりだ。

 まずは「いきなりだご」
 昔からよく食べていた。
さつまいもを輪切りにした上にあんこを乗せて団子でくるんで蒸してある。
さつまいも好き、甘いモノ好きの私には、この絶妙な組み合わせがたまらない。
昔からの素朴な味だ。
が、白餡(蜂楽饅頭__これも大好きだった__の白餡のような)のものは初めて。いつできたのだろう?応用編か。なぜ、「いきなり」というのか?いきなり=急にあんこが出てくるからかなと勝手に思っていた。が、諸説はあるが、どうも__いきなり=急に、すぐにできるからだという説が有力らしいと知った。
今は冷凍商品としても作られていて、いつでも食べられるようになって便利になった。

 次に「アベックラーメン」
 これもなぜ「アベック」なのか知らなかったが、2食入りだからということらしい。
アベックなんて、今では死語?になっているような言葉だけど、昔はハイカラだったのだろうな?
とんこつ味でまっすぐな麺。私はいまでも他のインスタントラーメンは食べられない。縮れ麺がなんだかゴムを食べているようで。
昔より少しあっさり味になったような気がしたが、インスタントラーメンといったら、やっぱりコレ___アベックラーメンでしょう。
桂花のラーメンも食べたくなったなあ。

 それにしても、、、熊本モンはネーミングがたいぎゃおもしろか。

 メロンもおいしい。温暖なところなので、かんきつ類などたくさんとれるが、特に、メロンやスイカが有名。
私の幼い頃、祖父母は広大な畑や山で多種多様の果物をたくさん作っていた。
楽しみだったなあ。
熊本では最近はいろんな種類のメロンも作られているようだ。夕張には負けないぞ!
  
 欲しいものはインターネットですぐに取り寄せられる時代だけど___母からの宅急便はやっぱりうれしい。



 
 熊本を離れてずいぶん経った。生まれて18年間しかいなかったが、、、、、
幼い頃のものが自分の味覚の根幹をなしていると改めて思う。
きっといついつまでも「熊本の味」が好きなんだろうな。
そして、言葉も、、、、、



  うまかもんば あぎゃんいっぱあ送ってもろうて たいぎゃうれしかあ。
 帰ろごつなってきたばい。


野ばら

2007-06-18 17:11:00 | 雑感
 今、山のあちこちで野ばらが満開。

あたり一面良い香りが漂っている。

野ばらを見るといつも高校時代を思い出す。
プロテスタントのミッションスクール。
歴史のある女子校で洋風の古い校舎の裏庭にはその季節になると野ばらがたくさん咲いていた。
昼食時、我先にと急ぐ食堂に続く渡り廊下で、ほわっと甘い香り。
一瞬、足を止めそうになりながらも食堂のにおいに引き戻されまた走る。
外掃除の時、箒を動かしながらの友とのかたらいの中に風に乗ってふっとやさしい香り。

楽しさ、かなしさが増幅されたり、癒されたり。
青春そのものだったその時___それはまさに人生の初夏だった。
野ばらの香りとともにはるか昔のことががまざまざと思い起こされる。

ああ!懐かしい。
野ばらを描いた校章は卒業の時、ひとりひとりの指輪として渡された。
風の便りによるとわが母校はすでに共学になり、校名も変わったという。


  あの野ばらたちはどうなったのだろう?
  いまも青年たちに寄り添って咲き続けているだろうか?

2007-06-15 14:11:24 | 雑感
 今朝の散歩は普通に歩いて40分のコースだが、、、、

雨上がりの空の素晴らしさに、何度も足を止めたりシャッターを切ったりで1時間20分かかった。
家を出るときは、まだ薄グレイの雲が一面覆っていた。
途中でほんの少し雲の間から鮮やかな青が、、、、

本当にきれいな濃い青。

家に着くまでの間、青が次第に広がり次々と雲ともに織りなす空の絵模様。
自然の美しさの前に言葉が出ない。

なんて地球は美しいんだろう。

___守ろう自然を 守ろう地球を 私たちの手で___
自宅近く、県立天文台入口の看板の書かれていた。

悠久

2007-06-12 06:50:31 | 雑感
今朝の散歩は最短20分コース。

うっそうとした杉木立のなか。
その入口は急に光がさえぎられ、最初は入るのをためらわせた。
少し進んでみるがどこまでいっても出口がないようでとても恐ろしく感じる。
シーンと静まり返った木立の中、聞こえるのは鳥のさえずりとせせらぎの音。
シダ類を中心に何十、何百という植物が私を迎える。
何十年、何百年という月日、わずかに差す光の中、寿命を終えまた新しく生まれ四季を繰り返してきた。
変わりながらも変わらないたたずまいがそこにある。
きっとこれからも同じように淡々と過ぎていくであろう自然がここにある。


太陽の光が入ってきて明るくなった。
 もう出口だ。さあ一日のはじまり。