天竺山ハイキングを愉しみました
奥多摩の五日市駅と武蔵増戸駅間の北側に広がる里山ハイクです。
仲間数人と、ゆっくりした“のんびりハイク”を愉しみました。
コースは下の図です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/07/c190fbc203b773baadf864ccc8c72eb2_s.jpg)
水平距離 約6Km 標高差130m
神崎忠男先生(日本山岳会副会長)流にポイント計算すると、6+2.6=8.6
という事で、通常の登山が20ポイントだそうですから、正にウオーキングまがいのハイキングといったところです。
今日はうす曇ですが、雨もなく過ごしやすい気温で、あちこちの桜を愛でながら五日市駅から武蔵増戸駅へ向け散策しました。
先ずは、天竺山。
結構急な尾根道ですが、いくらも歩かないうちに山頂に着きました。
標高310mくらいか。
眼下に五日市の街並みが広がっていました。ハチリ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/50/0de8a32dc3fb9127c6c9f381e39e2853_s.jpg)
そこから下って行くと、小さな小さな池がありました。
「石山の池」だそうです。
この一帯は、以前石切り場で、伊奈石といわれ、石臼や墓石に使われていたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1a/69/3e1f3e148440c1bd27fcf41788c232b2_s.jpg)
更にそこを下ると、急に視界が開け、素晴らしい湿地帯、元・水田地帯に到着しました。
このあたりが、「横沢入里山保全地域」(東京都指定)です。面積約48ヘクタール。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/e1/30c3346681faa42517c58b1e03c6b443_s.jpg)
そこの案内板を抜粋しますと
「横沢入は、丘陵に囲まれた都内でも有数の谷戸(ヤト)です。七つの谷戸と中央の湿地では、かっては稲作が行われ、里山の環境が保たれていました。しかし、近年は、耕作されず荒廃が進んでいます。・・・・・
自然と人間が共生する身近な自然「里山」を復元し、貴重な動植物の生息生育環境を回復し、保全していくことにしました。・・・」
田舎出身の私には懐かしい風景でした。
さて、綺麗な休憩舎で一休みして、大悲願寺に進みました。
ところが、その手前に、まだ出来て間もないであろう四国八十八箇所巡りのミニ版が設けられていました。
勿論ですが、88体あり、その各々が石造りの地蔵菩薩で、寄進された人の名前も彫られていました。
下がその顔の一部です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3b/3b/eb278e252926a7fdfa05a7c9baeb822c_s.jpg)
大悲願寺の裏通りはこの菩薩と竹林の続く静かな通りでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/16/1a/8efbc1e356cf11558f67b10576636a2b_s.jpg)
少し、腹が減ってきました。
大悲願寺におまいりして、その庭でおにぎりをパクつきました。
色々な花も咲いていて、大変うららかな昼食をとりました。
そのときの花を一つ・・・○○つつじとか・・・ある学者が説明してくれましたが、忘れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/3e/c63bedc897fa6b117f90b74994e0f2ca_s.jpg)
本堂の脇の設営板には「伊達政宗 白萩文書」が掲示されていました。
その一文を紹介しますと、
「追って是式に候へ共、折節に任せ、小袖壱重(ひとがさね)進め候。以上
態(わざわざ) 飛脚を以って申し入れ候、先度は参り、会面を遂げ 本望に候。
仍(よって) 無心の申す事候へども、御庭の白萩一段見事に候き、所望致し候。
先日は申し兼ね候て罷過ぎ候。
預(あずけ)候はば 忝(かたずけな)かるべく候。 恐惶謹言
松平陸奥守 花押
八月二十一日
彼岸寺御同宿中 」
機会を見て、秋にまた来てみたいものです。
それから、桜を愛でながら、途中、フリー野菜店で野菜を買い(各100円)ながら、武蔵増戸駅につきました。
一寸、仕入れた学を披露しますと、この「増戸」という地名は、本来民家が少なく、なんとかもう少し戸数が増えないかな~との願望から名づけられたようです。
今はもう、ほぼ一杯の家が立ち並んでいますが。
奥多摩の五日市駅と武蔵増戸駅間の北側に広がる里山ハイクです。
仲間数人と、ゆっくりした“のんびりハイク”を愉しみました。
コースは下の図です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/07/c190fbc203b773baadf864ccc8c72eb2_s.jpg)
水平距離 約6Km 標高差130m
神崎忠男先生(日本山岳会副会長)流にポイント計算すると、6+2.6=8.6
という事で、通常の登山が20ポイントだそうですから、正にウオーキングまがいのハイキングといったところです。
今日はうす曇ですが、雨もなく過ごしやすい気温で、あちこちの桜を愛でながら五日市駅から武蔵増戸駅へ向け散策しました。
先ずは、天竺山。
結構急な尾根道ですが、いくらも歩かないうちに山頂に着きました。
標高310mくらいか。
眼下に五日市の街並みが広がっていました。ハチリ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/50/0de8a32dc3fb9127c6c9f381e39e2853_s.jpg)
そこから下って行くと、小さな小さな池がありました。
「石山の池」だそうです。
この一帯は、以前石切り場で、伊奈石といわれ、石臼や墓石に使われていたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1a/69/3e1f3e148440c1bd27fcf41788c232b2_s.jpg)
更にそこを下ると、急に視界が開け、素晴らしい湿地帯、元・水田地帯に到着しました。
このあたりが、「横沢入里山保全地域」(東京都指定)です。面積約48ヘクタール。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/e1/30c3346681faa42517c58b1e03c6b443_s.jpg)
そこの案内板を抜粋しますと
「横沢入は、丘陵に囲まれた都内でも有数の谷戸(ヤト)です。七つの谷戸と中央の湿地では、かっては稲作が行われ、里山の環境が保たれていました。しかし、近年は、耕作されず荒廃が進んでいます。・・・・・
自然と人間が共生する身近な自然「里山」を復元し、貴重な動植物の生息生育環境を回復し、保全していくことにしました。・・・」
田舎出身の私には懐かしい風景でした。
さて、綺麗な休憩舎で一休みして、大悲願寺に進みました。
ところが、その手前に、まだ出来て間もないであろう四国八十八箇所巡りのミニ版が設けられていました。
勿論ですが、88体あり、その各々が石造りの地蔵菩薩で、寄進された人の名前も彫られていました。
下がその顔の一部です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3b/3b/eb278e252926a7fdfa05a7c9baeb822c_s.jpg)
大悲願寺の裏通りはこの菩薩と竹林の続く静かな通りでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/16/1a/8efbc1e356cf11558f67b10576636a2b_s.jpg)
少し、腹が減ってきました。
大悲願寺におまいりして、その庭でおにぎりをパクつきました。
色々な花も咲いていて、大変うららかな昼食をとりました。
そのときの花を一つ・・・○○つつじとか・・・ある学者が説明してくれましたが、忘れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/3e/c63bedc897fa6b117f90b74994e0f2ca_s.jpg)
本堂の脇の設営板には「伊達政宗 白萩文書」が掲示されていました。
その一文を紹介しますと、
「追って是式に候へ共、折節に任せ、小袖壱重(ひとがさね)進め候。以上
態(わざわざ) 飛脚を以って申し入れ候、先度は参り、会面を遂げ 本望に候。
仍(よって) 無心の申す事候へども、御庭の白萩一段見事に候き、所望致し候。
先日は申し兼ね候て罷過ぎ候。
預(あずけ)候はば 忝(かたずけな)かるべく候。 恐惶謹言
松平陸奥守 花押
八月二十一日
彼岸寺御同宿中 」
機会を見て、秋にまた来てみたいものです。
それから、桜を愛でながら、途中、フリー野菜店で野菜を買い(各100円)ながら、武蔵増戸駅につきました。
一寸、仕入れた学を披露しますと、この「増戸」という地名は、本来民家が少なく、なんとかもう少し戸数が増えないかな~との願望から名づけられたようです。
今はもう、ほぼ一杯の家が立ち並んでいますが。