末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

自分史その1 生まれてから小学校に入るまで ニ 湖柳町時代の3 五部の同級会「いずみ会」の1

2019-10-08 18:22:32 | 工場見学

五部の同級会「いずみ会」

昭和45年(1970)4月19日に、百瀬先生が音頭をとられ「いずみ会」と名付けられた5部の同級会が

東京千代田区の麹町会館で開かれました。

その時の出席者は先生、女子3名、男子6名でしたが、残念ながらその時の写真はありません。

この会を開く意義については、後述する同級生4人の追悼式での先生の追憶・追悼の辞の中に次の様に述べられています。

「年に一回のこのクラス会には、人生におけるこの不思議な巡り合わせを大切に一人でも多く出席して

 若々しい心を呼びさまし、運命的なるものに負けず、心を強くして共に励まし慰めあって

 まっしぐらに人生を生き抜いてもらいたい」

それ以降毎年一度主として東京で、時には諏訪、伊東、山中湖等でも開催されており

平成25年(2013)には、実に42回目の会が開かれましたが、その後は未開催の状態が続いています。

昭和56年(1981)に開催された第12回いずみ会では、同級生の一人藤原君が

名簿とそれ迄のいずみ会の記録を纏めて印刷物として配布してくれましたので

それが大変貴重な資料となっています。 それによる当時の同級生の状況と

平成17年(2005)に小生が調べた結果(括弧内の数値)は下記となっています。

     住所判明者      不 明      死 亡   計

 男   23(17)    14(15)     4(9)  41(41) 

 女   24(15)    12(17)     1(6)  37(38)

 計   47(32)    26(32)     5(15)  78(79)

住所判明者が減り、不明者、死亡者が増えているのは、歳をとって止むを得ないと思っています。

また藤原君が纏めて下さった資料には、先生の「回想の高島校」という歌が5つ載っていました。

その中の二つを次に掲載します。

先ずはいずみ会に関連しての歌

 「辿りし道のそれぞれに 今人生の五十年 時には集い語らいて 若き生命を燃やしつつ 希望の明日を迎えなん」

次は小学校の思いでの歌

「障子の窓の高島に 明るき窓の城南に 思い出つきぬ四星霜 涙の別離遠くして 四十年の夢はるか」

この歌を見て、高島小学校当時の校舎の窓が障子であったことや

五部解散の日には皆が涙したこと等が懐かしく思い出されます。

 

終わり

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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4 コメント

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Unknown (三面相)
2019-10-08 19:56:40
小さな頃の思い出がたくさんのようでいいことですね。
しかも資料も残されていて素晴らしいことだと思います。
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三面相さん 今日は (ktemple)
2019-10-09 14:48:50
百瀬先生のお蔭でいずみ会を長い間楽しむ事が出来
感謝しています。幸い色々の資料が残っており
昔を思い起こす事が容易です。
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おはようございます (ヒューマン)
2019-10-10 09:32:58
小学校 障子だったのですね
百瀬さんという名字の知人知っています
返信する
ヒューマンさん 今日は (ktemple)
2019-10-10 15:15:46
ヒュ-マンさんも百瀬さんという苗字の知人がおられますか。
小学校が障子だったことはすっかり忘れていましたが
ブログ書きのお蔭で思い出しました。
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