近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

平成30年7月16日泉鏡花「化銀杏」研究発表

2018-07-17 15:53:35 | Weblog
こんにちは。7月16日に行われた泉鏡花「化銀杏」研究発表のご報告をさせていただきます。
発表者は2年佐々木さん、2年中島さん、1年石井さん、1年斎藤さんです。(今まで男性会員には「くん」、女性会員には「さん」と使い分けてきましたが、勝手ながら、男女・年齢問わず呼称を「さん」に統一させていただきます。)副題は―世間を打破する可能性―です。司会は3年望月です。

「化銀杏」は明治29年2月「文芸倶楽部」に掲載の後、明治44年3月『鏡花叢書』(博文館)に収録され、同時代人には賛否両論、それだけ明治の時代に"新しすぎる"気風をもつ作品であったといえると思われます。
本作はそれまでの鏡花文学におけるいわゆる観念小説から、年上の女性と少年の悲恋という主題に代表される幻想小説へと移行していく時期の作品となっております。本来、夫婦の愛を保証するはずの婚姻制度が、かえって人に対する愛の強要となるというモチーフは、当時の社会に対する痛烈なアンチテーゼとなります。作品発表の明治29年を婚姻制度の黎明期、あるいは浸透期と過程するならば、その嘆きはより強烈な社会批判となるかと思われます。鏡花の嘆きは、「愛と婚姻」(「太陽」明治28年5月)に表れています。
研究史では、本作の大半を占めるお貞の語りに焦点が置かれ、またその語りを芳之助が引き出していくところに悲劇の予兆が含まれている、とする論が基軸となっているようです。また、本作の批判対象となる「世間」の倫理観については、今回の発表者も着目していました。

〈概略:発表者の主張〉
お貞と時彦との関係は「世間」を媒介として悪化していく。お貞にとっても時彦は決して全的な悪ではなく、特定の倫理観・制度を押しつける「世間」にその悪因が求められていた。お貞は、「世間」を背景とした時彦の好意に対して過剰なまでの嫌悪感を募らせていく。それまでのお貞の時彦に対する嫌悪感は漠然としたものであったが、「環」「芳之助」「時彦の評判」などとの交流がお貞の内面を外的な言語として吐露させる。その結果独り歩きし始めた「死ねば可い」というお貞の言葉が「呪詛」となり、芳之助とのズレを決定的なものとしていく。芳之助はといえば、彼はあくまでも亡き姉のお蓮の面影をお貞に求めていたが、彼女との対話の中でお貞とお蓮とのズレを認識していく。時彦を殺したお貞は銀杏返しを結っているが、芳之助はお貞にお蓮の面影を見出すことは叶わない。「化銀杏」となったお貞を救いうのは、婚姻制度(「世間」)を打破しうる「諸君」である。

以上の主張をうけて、お貞を救いうる契機をどこに求めていくのかという疑問が投げ出されました。そのことについて岡崎先生の方から、お貞を救う物語として希望的観測を打ち立てるのではなく、お貞を救い得ないほどに絶望的な「世間」の重圧を描き得た点に注目したい、という御意見をいただきました。他にも、どこか幽玄な雰囲気をもつ本作において、お貞や時彦の半ば異常な心理を、生々しくかつリアルに描かれているのが魅力的だという意見も提示されました。

今回初めて発表会に臨まれた石井さん・斎藤さんからは、レジュメ作成における論文の整理・添削の困難なこと、明治期の男女関係のありかたが馴染まない等のご感想をいただきました。昔の人と今の人とでは物の見え方が当然違ってきます。意識が変われば現象も変わります。しかし、現代の社会や「世間」のなかで全体の尊重を要請され、なおかつ「個性」なる怪しげな影を主張することを求められる我々は、案外「化銀杏」の世界にも劣らぬ不条理を抱えているのかもしれません。
次回は7月23日(月)、川端康成「片腕」研究発表を行います。

平成30年7月2日堀辰雄「燃ゆる頬」研究発表

2018-07-16 23:42:49 | Weblog
 こんにちは。毎日猛暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。遅くなってしまいましたが、7月2日に行われた堀辰雄「燃ゆる頬」の研究発表のご報告です。
 発表者は三年小島さん、二年星さんです。司会は二年小奈が務めさせていただきました。
 「燃ゆる頬」は昭和7年1月に「文藝春秋』に掲載され、翌昭和8年12月に四季社『麥藁帽子』に収録されました。



 今回の発表は主に、「私」「三枝」「魚住」という同性愛的関係を結んだ三者の関係や、「私」の受けた「最後の一撃」「大きな打撃」とは何なのかという所に着目したものでした。
 三者の関係については、作者の堀辰雄が初出時に削除したプレオリジナルの文章についても交えて言及されました。発表者は、「<私>は寄宿舎の特殊環境によって一時的に同性愛を許容できただけの存在であり、<三枝>や<魚住>のような恒常的に同性愛の関係を他者と持つことができる者達と<私>の間には深い溝がある」と述べました。また、「私」は「三枝」の「貧血性の美しさ=死に近い儚さ」を愛でていたという、暴力的な「私」の視線についても指摘がなされました。

 次に「大きな打撃」については「最後の一撃によって<私>が、過去の自分を客観視できるようになった時、三枝の面影を感じる少年の性的な行為を目撃することで、自分が今は亡き<三枝〉を女の代用として接していたことに気づき大きな打撃を受けるのである」と述べられました。その中で、「最後の一撃」とは、段階を追い数回に分けられて「私」に与えられたものである、との指摘もなされました。


 議論の中では、「私」にとっての「三枝」とは何かという所に焦点を置いて話し合いました。「三枝」=「女性の代用品」という発表者の指摘や、「代用」という言葉は強すぎるという指摘、「私」の「三枝」への恋愛感情の有無に関する意見などが出されました。
 また岡崎先生は、削除されたプレオリジナルの文章における「魚住」の女の部分について、現行の作品検討にプレオリジナルの文章を研究することの重要性を説かれつつ、それらを削除されたものとして切り離して考えることへの有用性についてご教授くださりました。


 次回は川端康成「片腕」研究発表です。例会も残り一回なので夏の暑さに負けず頑張っていきましょう。私も発表者の一員なので良い発表にできるよう頑張りたいと思います。


平成30年7月9日中原中也「盲目の秋」研究発表

2018-07-11 16:47:25 | Weblog
こんにちは。夏の暑さも本格的になってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。7月9日に行われた中原中也「盲目の秋」研究発表のご報告をさせていただきます。
発表者は2年古瀬さん、2年岡部さん、1年榎本さん、1年永田さんです。司会は2年坂が務めさせていただきました。


「盲目の秋」は、昭和5年4月に「白痴群」で発表され、昭和9年12月には文圃堂から刊行された『山羊の歌』に収録されました。
研究史としては作者である中原中也自身の恋愛、すなわち小林秀雄と長谷川泰子を巡る三角関係と絡めた論じられ方をされたものが多く、読者は作品の言葉と作者の恋愛の考えとを結びつけて作品を読んでいるのではないかという指摘や、ⅠからⅣにかけての作中の起伏や作品構造について言及されてきました。「お前」「おまへ」「聖母」と、文中での二人称の表記が変わっていく点など、詩という短いテクストの中でも、むしろ詩という短いテクストの中だからこそ、非常に読みどころのある作品です。

発表者は、ⅠからⅣにかけての「私」の感情の変化、文中で変化していく「私」の口調、詩の形式が崩れていく様に着目し、その起伏について検討しました。Ⅰで抽象的に美しく歌い上げられる「青春」や「喪失感」を、Ⅱではどう向き合うかが歌われます。Ⅲでは愛する人と過ごす日々と別れを経験したことで悟った「愛」の重みについて歌われ、Ⅳではかなわない夢を見る「私」について歌われます。つまり、Ⅰで抽象的に歌われた「喪失感」や「青春」が、ⅡからⅣの詩篇によって具体的な情報が裏付けされるという構造になっており、この詩のテーマである「喪失」がより浮かび上がってくる、という結論でした。また、そもそも詩という媒体が自分自身を描いて歌うものであり且つ抽象的で情報量が少なく、裏付けをしたいがために作者と絡めた論文が多いのではないかというまとめになりました。
質疑応答では、Ⅳに出てくる「涙を含み」というのが、発表者の見解では女の目のことを指しているが、ひとえにそう考えられないのではないかという意見が出ました。岡崎先生はその直前の箇所「はららかに」という語感から捉えると、一概に目と捉えるのは難しいとした上で、そう読まなければいけないという必然性はないとのご指摘をいただきました。また、詩という媒体の性質上、語感や細かなニュアンスの違いが重要になってくるとのご指導もいただきました。
他にも、「前」と「まへ」の表記の違いについての疑問が提示されました。発表者は「前」の時は物理的に直面している状態を指し、「まへ」は「目方」であり、無限の中に入り込んで進んでいる状態であるという見解を述べました。また、「血管」という表現は静脈というイメージが強く、あくまで「血」と表現されない青白さが、「私」の現在進行形での青春時代を表しているのではないかという意見や、もはや堅くなってしまった血管、という表現が過ぎ去っていく青春を表しているのだろうという意見が出ました。これに対し岡崎先生は、Ⅳでの幼児語の表現からみても、「私」の青春が完全に終わっているわけではないと見たほうが自然であるというご指摘を下さりました。今回の例会では、今まで取り扱いの少なかった詩を扱いましたが、作者の実人生の情報を入れ込まなくても丁寧に分析すれば読むことができる、と示された、今後大いに参考になる有意義な例会であったと思います。


次回は、泉鏡花「化銀杏」の研究発表です。前期の活動も残り僅かとなってきましたが、夏の暑さに負けずに頑張っていきましょう。

平成30年6月25日太宰治「ヴィヨンの妻」研究発表

2018-07-08 23:03:58 | Weblog
こんにちは。大変遅くなりました、6月25日に行われた太宰治「ヴィヨンの妻」研究発表のご報告をさせていただきます。
発表者は3年浦野さん、1年林くんです。副題は―破綻の自覚と受容―です。司会は3年望月が務めさせていただきました。
「ヴィヨンの妻」は、昭和22年3月「展望」に掲載の後、同年8月に筑摩書房『ヴィヨンの妻』に収録されました。
発表当初は高い評価を受けていた「ヴィヨンの妻」ですが、研究史の早い段階で本作が太宰の作家的背景なしには存立しえないことが指摘され、以降は夫(大谷)が抱える〈罪〉や倫理観に焦点が当てられて論じられました。とはいえ、語り手に着目したテクスト分析は研究当初から行われており、研究史の大きな転換点といえば、大谷から妻である「私」に分析対象を移した時点にあると思われます。
発表者は「さっちゃん」こと「私」に着目し、「私」と大谷との論理・倫理の差異を検討しました。平気で他人に嘘をつく「私」がそのことに無頓着で罪悪感を感じていないのに対し、大谷はどこまでも破滅的な人物であり、自己を取り囲む絶望を倫理観から解釈するがゆえに、いつまでも罪悪を抱え、己を対象化できない人物である。大谷が戦後という状況において家庭を放棄する一方、「私」は「椿屋のさっちゃん」として客の相手をすることに喜びを感じながら働く。「私」は家庭を首の皮一枚の状態で繋いでいたが、彼女が他の男に犯される経験によって旧来的な家庭から解放される契機を得る。発表者は以上のような主張をふまえて「私」の大谷に対する優位性を説きました。最後に「私」が大谷に対して放った、「人でもいいぢやないの」という言葉が明確に大谷を突き放しているという結論でした。
議論の中で大谷に善意があるとして、それが嘘かどうかわからない、またこの手の作品において作家的背景を読解にどの程度組み入れてよいかなどといった疑問が提出されました。岡崎先生は語られない空白の物語を読み解いていくことの重要性を説かれました。その上で実在のフランソワ・ヴィヨンを引き合いに出した発表者の意見を受け、むしろ実在のヴィヨンが罪の自覚をしていたことに注目すべきであり、それを大谷に当てはめるならば、椿屋にいる罪を抱えた他の客とは異なって大谷が自らの罪を自覚している点こそ評価の機縁となっていくと御指摘をいただきました。その他にも戦後という社会的背景に着目した意見もありました。
新会員による研究発表は今回が今年度初でした。新会員の林くんからは、研究史を発展させていくこと・論拠を組み立てること・組み立てた論を伝えることそれぞれが難しいとの感想をいただきました。これからの研究会活動において「困難」はあらゆる地点から湧き出てきますが、それらが幾多の思考と思考の共有の過程で「知の愉悦」に移行していく感触を味わっていただければ幸いです。
次回の7月2日、堀辰雄「燃ゆる頬」研究発表は終了いたしましたので、その次の7月9日(月)、中原中也「盲目の秋」研究発表の告知をさせていただきます。

平成30年5月14日川端康成「抒情歌」研究発表

2018-05-21 20:51:04 | Weblog
こんばんは。遅くなってしまいましたが、5月14日に行われた川端康成「抒情歌」の研究発表のご報告です。
発表者は2年佐々木くん、古瀬さんです。司会は4年吉野が務めさせていただきました。


「抒情歌」は、昭和7年2月に「中央公論」に掲載され、翌昭和8年6月に新潮社『化粧と口笛』に収録されました。
「私の近作では「抒情歌」を最も愛してゐる」(「文学的自叙伝」/「新潮」昭和9年5月)と発言が残っている通り、川端本人にとっても思い入れの強い作品であったようです。研究史は三島由紀夫の言及に始まり、川端自身の宗教観や人生、また冒頭と結末の相似といった語りの構造に言及されてきました。文体の美しさや様々な資料の引用がちりばめられていることなど、読みどころの多い作品です。

発表者は、作中にたくさん引用されている資料や、龍枝という主人公の一人称が、亡き元恋人に語りかけるという独特な形式などに着目しました。発表では、作中の「超能力」について、本当に龍枝に超能力があったのかということや、登場する資料について龍枝がどう考えているか、また龍枝が元恋人と綾子について語るときの具体的なエピソードの有無などについて言及がありました。


質疑応答では、超能力についての掘り下げなどがなされました。「超能力」は、二人以上人がいるときでないと発動しないという指摘や、それに関連して安藤宏論の紹介などがなされました。ほかにも、龍枝が「あなた」を呪い殺したという既存の読みに対し、その真偽を検討しました。先生からは、事実が超能力の有無ということまで含めて、事実が探り出せないように書かれているというご指摘をいただきました。また、この作品における「美しさ」とは何かという疑問が提示されました。これについては、龍枝が認めたり、肯定的に捉えているものではないかという意見が上がりました。探り出せないように
語りについては、先生から文中の語りの矛盾を追っていくという方法のご指導をいただきました。たとえば、龍枝が「あなた」とやりとりした二通の手紙は、同一化の証拠として挙げられていますが、仔細に検討してみるとそうとも言い切れない、思い込みの面が強いのではないかというご指摘を頂きました。
他にも、「転生」は思い込みでしかないという指摘や、それに対して龍枝はある程度自覚的であるという指摘がなされました。それに対して、先生からは輪廻転生を信じられないということは、宗教など資料が盛り込まれて分かりにくくはなっているが、それだけ龍枝の思いが深みにあるのではないかというご指摘がありました。
タイトルについても、なぜ作中に登場する「抒情詩」ではなく「抒情歌」なのかという疑問が提示されました。発表者は、「詩」の集まりとして「歌」という言葉を用いているという意見でした。他にも死んだ「あなた」に対する語りかけであり、「歌」とタイトルに入っててはいるが単なる鎮魂歌ではないという指摘がありました。この「あなた」は他者としての相対化ができる「あなた」というよりも、龍枝=「私」の中の「あなた」であるという意見も挙がりました。
他にも、「香」というモチーフが作品にどう影響を与えているのか、近代において優位に位置づけられている視覚と、視覚に劣るとされているその他の感覚と比較したり、作中の「愛」についてなど様々な意見があがり、大変有意義な例会となりました。

次回は、菊池寛「藤十郎の恋」研究発表です。
新入生もそろそろ参加する発表作品が決まった時期です。今年度もいい研究会にしていきたいですね。


平成30年4月16日 夏目漱石「夢十夜」第一夜読書会

2018-04-22 00:11:12 | Weblog
 こんにちは。桜が散り気候が安定してきた今日この頃、皆様の生活も新年度に慣れ安定してきた頃でしょうか。近研は「恋愛と近代文学」を今年度前期のテーマとして活動を始めました。
 本日は4月16日に行われた読書会についてご報告致します。
 扱った作品は夏目漱石「夢十夜」第一夜、司会はわたくし三年浦野です。
 
 「夢十夜」の初出は東京朝日新聞と大阪朝日新聞に同時に掲載されました。1908(明治41)年の7月25日から8月5日までの10日間、一日一夜ずつ連載されたようです。多くの人に読まれる新聞連載でロマン派の雰囲気を知らしめた一方、夢の描写を「夢らしくない」と評する同時代評も見られました。

 先行論では語り手である「自分」と「女」が恋愛関係にあることを前提に「女」の存在が「自分」に対して支配的に働いていると考えられる点を論じるものや、作中に登場する多くのモチーフを象徴論的に解釈するもの、漱石本人の精神疾患や女性遍歴に言及するものが多く見られます。しかし果たして本当に「自分」と「女」の関係を恋愛として断定してしまって良いのでしょうか。そしてそもそも「こんな夢を見た。」という語り出しで始まるこの作品ですが、そうまでして夢の中の物語であるということを強調する意義はどこにあるのでしょうか。そういった素朴な視点からの問いを新入生の皆さんと考えました。

 まずはこの作品が夢について回想的に語る物語であることを提示して始まる第一文ですが、作中に語り手であるはずの〈夢から覚めた自分〉から夢の中の自分に対する批評などは見受けられないことが指摘されました。語り手は現実的にはありえないような夢の展開に疑問を感じない夢の中の自分と一体になって夢を語ります。そのことにより「女」の言葉に従う「自分」の主体性の無さが際立ちます。「自分」の自我については台詞の鍵括弧の有無に注目して読む考えを新入生が挙げてくれました。なぜ前半部では「自分」の台詞が鍵括弧によって強調されないのかという疑問について、岡崎先生からはそこに〈私〉の揺らぎを読み取るご意見を頂きました。また、終盤の「自分は女に欺されたのではなかろうか」という文に関してそれまで「女」の言葉に疑問を差し挟むことなく従っていた「自分」の自我の目覚めとして読む意見も出ました。

 しかし「女」は物語中盤で死んだきり物語から退場し、彼女を想って待ちつづける男だけが残されます。物語のラストで「女」の生まれ変わりと思われる百合が登場しますが、それも本当に「女」本人なのかは断定し難いものです。百合の登場を「女」の帰還だと解釈し「百年はもう来てゐたんだな」と納得する「自分」の認識には自己完結的なあり方を見る会員が多く見られました。新入生からはそもそも夢は「自分」の意識の内で起こっているものなので、夢の中の登場人物である「女」も「自分」自身から切り離せないものなのではないかという意見が出ました。岡崎先生からも「女」を「自分」の夢想する理想の女性像の反映と見ることで二人の関係に他者性が無いとする見方が出来るとご指摘頂き、「自分」と「女」の間に他者を必要とする〈恋愛〉という関係が成り立つのかと議論になりました。

 他にも夢には現実の自分の事情が反映されるという考えから、何かしらの喪失や悲しみを抱えた「自分」が己を癒すために作り上げたためにあのような予定調和的な結末になったのではないかと意見してくれる新入生もおりました。

 夢とは夢の中で行動する自分と目覚めてから夢の内容を思い返して意味づけをしていく自分がいて初めて成立するものです。そして恋愛は確かに相手を必要とするものですが、その相手は夢の中の百合のように自分が自分の中に作り上げたその人の虚像であるということもままあります。自分の中に描いた自分と他人を見つめるという性格において、夢を語るという最も身近な物語行為は夏目漱石が多くの作品で描いた自己と他者の問題を示すのに最適な題材だったのではないでしょうか。

 今回は新入生が参加する初めての回でしたが、彼らからも積極的な意見をもらい新鮮でありながら本格的な議論が交わされる読書会となりました。今年度幹事学年となった私も意欲溢れる後輩たちをサポートしつつ更なる学びを得られるよう研究会に励もうと決意を新たにしたところで今回のご報告を終わらせて頂きます。

平成30年度 卒業論文最終報告会

2018-02-13 15:15:57 | Weblog
こんにちは、3年吉野です。
投稿が遅くなってしまいましたが、1月28日に卒論最終発表を行いました。
発表者は眞鍋さん、小玉さん、武田さん、山内さん、今泉さんです。

眞鍋さんの研究作品は泉鏡花「化鳥」です。副題は「語りの動きを追う」です。
発表では、まずその特徴的な「語り」に触れられました。「化鳥」は形式的には過去回想形式でありながら、<語る現在>と<物語現在>の意識の境界が曖昧で、融合しているような語り方で、更に物語の内容は連想・回想によって自由に展開され、整序されていません。また、言動の矛盾も多く見られます。発表者は「私」の意識上の「母」と読者から見た「母」のイメージの間に落差があることを指摘し、物語の二重性を浮かび上がらせました
また、必ずしも語られる必然性のない<化鳥体験>に注目し、<語り>を時系列順に並べなおしていくと、「私」固有の体験が母とは違う「私」独自の世界観形成のターニングポイントになっていると解釈しました。そして繰り返す回想によって、新たな気づきを得ている回想の可能性についても指摘しました。
質疑応答では、各出来事ごとの時間の隔たりのレベルが語りにどう影響しているか、という指摘がありました。岡崎先生からは、<化鳥体験>の描き方が単なる母乞いものに終わらないこと、近代批判的な廉の視点と人間のおぞましさを身を持って体験している母の視点の違い、近代小説の限界を突破して、むしろ能などの文脈で個の内実の不可解さを描いている作品であるなどのご指摘を頂きました。


小玉さんは、中間報告となります。作品は井伏鱒二「朽助のゐる谷間」です。
本作品は、改稿前/後で大きく内容が異なる箇所があり、そのふたつのテクストをどちらも取り扱う生成論的な視点で研究していくという指針が発表されました。


武田さんの研究テーマは特に近世の「大山(伊勢原市)信仰」でした。
大山・大山信仰は山岳信仰ですが、近世の山岳信仰の形態はおもに①江戸幕府の庇護を受けた山岳 ②民衆の信仰に依存した山岳に分かれるそうです。大山信仰はその中でも①の形態から②の形態に発展し、大衆化していった関東の山では珍しいケースです。
山神・水神信仰があり農耕守護神的性格があり、また祭神が鳥之石楠船神がいることなどから、漁業・航海の守護神としても信仰されてきたそうです。そのうちに、本来の大山信仰とは無縁の現世利益神的な性格が発生し、「大山詣で」が流行したそうです。
当時の大山参詣は、伊勢に行くことは難しい庶民たちにとって一種の娯楽と同等の役割を果たしていたとも考えられる、とまとめられました。
質疑応答では、民俗学的に研究したいのか、神道的に研究したいのかというご質問がありました。また、元々は山岳信仰だったことから、現代の修験者についてもお聞きしました。

山内さんの研究作品は菊池寛「恩讐の彼方に」です。副題は「意味と交換」です。
物語の始まりでは市九郎が「主殺しの大罪を犯した者」、実之助には「仇討ちをする者」という意味が与えられます。しかし物語が続くにつれ、市九郎は「極重悪人」となり、それを自身が自覚し、出家することで「了海」となります。過去を反省し、衆人救済を目指して岩を掘り続ける「了海」という意味を実之助が受け取ったことにより実之助の仇討ちは失敗します。しかし実之助が現れたことで了海の目的もまた、「洞門を完成させ、実之助の願いを遂げさせること」に変容しているため、仇討ちの失敗は同時に了海の「志の非達成」でもあると指摘しました。また、実之助に仇討ちを待ってもらっているという「恩」と、それに報いるための「仇討ち(讐)の達成」が行われないこと、つまり「志の非達成」の交換が行われることにより、<恩讐という文脈から逸脱した場>=「彼方」が成立可能になるという発表でした。
質疑応答では、その他の登場人物、特におよねはどのような意味を持っているのかという質問が出ました。先生からは、実之助の意味もまた変容しているというご指摘などを頂きました。
また、卒論製作の流れをまとめた、大変お役立ちなプリントも作っていただきました。ありがとうございます!


今泉さんの研究作品は大江健三郎「性的人間」、副題は「記号としての<肉体>」です。
まず発表者は、ある指向対象に<視線>を向け、自身や社会の通念を通すと、対象は言語によって交換可能な一存在として把握されてしまう、という現象を「記号化」と定義しました。そして「性的人間」テクスト上には<視線>によって形成された「記号としての肉体」があらわれると指摘しました。また、本テクストにおける他者は対象の<肉体>しか見ることはできず、その対象の<内面>とズレが生じていくと発表されました。
この物語内容の位相・物語行為の位相・物語構造は全て<肉体>を強調することを意図していると指摘し、それぞれ<内面>を抱えているはずの人々がテクスト上で「性的人間」とひとくくりにされることで、その<内面>が捨象され、<肉体>が「性的」であるということだけが<視線>の、語りの対象になる。登場人物たちは<内面>を捨象される「孤独」の感覚に他者にも見える「涙」を流すが、<内面>自体や「孤独」の説明はなく、<内面>が捨象されていく様を示し続けるテクストであると発表されました。
質疑応答では、作中の言語によるコミュニケーションの価値についての質問や、現実は<内面>と<肉体>を完全に切り分けられないが、それでも物語内で<内面>は切り捨てられていく悲劇性についての意見が出ました。先生からは、作品発表当時から今私達が生きている現代に至るまでの時代の特質がこの物語の中に表れているのではないかというご指摘を頂きました。


4年生の皆さん、本当にお疲れ様でした。
1年生のときからお世話になってきた皆さんが卒業してしまうのが、まだ信じられないくらいです。

とはいえまた春期勉強会(よしもとばなな「キッチン」です)や納会、春合宿などまだまだイベントは続きます。それぞれ有意義なものにしましょう!

平成30年1月15日 芥川龍之介「奉教人の死」研究発表

2018-02-05 19:39:44 | Weblog
こんばんは。
1月15日に行われた、芥川龍之介「奉教人の死」研究発表についてご報告致します。
発表者は三年鷹觜さん、一年岡部さん、一年鈴木くんです。司会は一年永坂が務めさせて頂きました。


この作品は大正7年9月に「三田文学」で発表され、その翌年の大正8年1月に新潮社から刊行された『傀儡子』に収録されました。
芥川の作品の中でも、「キリシタンもの」と呼ばれています。



今回の発表では、この作品が宗教色の強いものであるが、主題としては重きを置いておらず、「ろおれんぞ」が子どもを助けたこと(=自己犠牲)に重きを置いたものである、と発表者さんがまとめていました。
先生からは、その根拠として原典と比較し、宗教色を除いた過程を見た方が良いというアドバイスを頂きました。

また、質疑応答では、「ろおれんぞ」が男装をしていた理由や二章がある理由について話し合いました。

「ろおれんぞ」が男装をしていた理由としては、男でなければ「さんた・るちあ」にいることができず、自分のアイデンティティを安定させるためという意見がありました。しかし、破門をされた後も男装する理由は何故なのかという疑問も出ました。また、先生からは、刹那の感動を打ち立てるため、女性と明かさないとことが物語の展開上必然的になるのではないかというご意見を頂きました。

二章がある理由としては、ありもしない原典を提示することで一段物語が加わり、虚構性が強くなるということと、宗教譚にまとめるためであるという意見がでました。







個人的には、国文学者の三好幸雄氏の「刹那の感動を主題」という論を乗り越え、二章を入れる(=虚構を組み込む)ことで語り手を相対化できるのではないか、という先生のご意見が大変面白いと思いました。
更新が非常に遅れてしまったこと、拙い文章で分かり辛いであろうことを重ねてお詫び申し上げます。






平成29年12月27日 文学さんぽ 田端文士村記念館

2017-12-30 17:10:40 | Weblog
こんにちは 3年吉野です。
12月27日に行われた、田端文士村記念館の文学さんぽについてご報告いたします。

田端は、明治中ごろまでは田畑の広がる農村地帯でした。
明治22年、上野に東京美術学校(現東京藝術大学)が開校すると、
そこで学びたい若者・学ぶ若者が田端へ住み始めます。
最初は小杉未醒や板谷波山などの芸術がが主に入居していましたが、
そのうち芥川龍之介や室生犀星ら、私達もよく知る文人たちが転入してきます。
そのような有名文人がさらに人を呼び、田端はおよそ半世紀にわたって100人余りの文士芸術家が住む町となっていきました。
しかし昭和20年の大空襲で大きな被害を受けたことにより、「田端文士芸術家村」は終焉を迎えました。
田端文士村記念館は、そんな当時の田端の様子やそこに住んでいた文士・芸術家、その関係性などを年表や写真も交えて紹介しています。

今回、研究会の企画として開催するにあたり、近研OBで田端文士村記念館に勤務されているTさんに展示の解説や、田端に残る文士・芸術家ゆかりの場所を散策する文学散歩のご案内をしていただきました。Tさん、本当にありがとうございました。

また、田端文士村記念館では今、特別展「芥川龍之介の結婚と生活」が開催されています。2018年2月2日の、芥川龍之介と塚本文の100回目の結婚記念日にあわせた企画で、芥川が 文に宛てたラブレターも初公開されていました。原稿用紙を切ったものにしたためられたラブレターで、芥川の想い、また文さんがいかにそれを大事に持っていたかが伝わってくるようでした。
その他にも精巧に再現された芥川邸模型(芥川や息子の人形、書斎も完全再現されています。※常設展示)や、芥川の主治医下島勲に関する展示、また芥川が世話になったという天然自笑軒の紹介などもありました。芥川が犀星にもらった鉢の展示(犀星はこれに羊羹を盛るように言ったという逸話付き。芥川の家族はこの鉢を正月などに使っていたそうです)や、芥川の好きな食べ物などの紹介もあり、芥川龍之介の人柄を身近に感じられる展示でした。
他にも芥川の生前のエピソードや人柄などを基にした現代の作品や、海外で翻訳出版されている芥川作品なども紹介されており、芥川龍之介という作品、また作家が今もなおこんなにも愛されているということを実感いたしました。

記念館の展示を見たあとは、皆で田端の町へ繰り出し、文士・芸術家ゆかりのスポットをめぐりました。犀星宅の庭石(やはり犀星といえば庭ですね)が保存されている童橋公園や、芥川の住居跡、美術家たちのつくったポプラ倶楽部跡(現田端保育園)、正岡子規や板谷波山の墓がある大龍寺などを巡りました。
先述したように、田端は昭和20年の空襲で大きな被害を受けてしまったため、芥川邸などの建物はほとんど残っておりません。そのことはとても残念ではありますが、それでもこのように記録され、その場所に我々が行ってその名残を感じることができるというのは、とても貴重な体験でした。芥川邸跡はマンションが建ってしまっているのですが、区画が不思議な形をしており、「もしかしたらこれが芥川邸の名残なのでは!?」と一同盛り上がったりもしました。
田端は坂が多く、芥川邸近くの上の坂やポプラ坂など、文士たちゆかりの場所も多いです。そんな道を登ったり下ったりしながら、この道をあの文豪たちも通ったのだなあと想いを馳せたりしました。


私達は普段、作品を研究しているため作家自身を知る機会がどうしても多くありません。合宿や文学さんぽなどの企画を通して作家自身についてや、その作家が生きていた時代背景などを知ることによって、より日ごろ研究している作品についての理解も深めていきたいと思います。個人的には今回1年生から4年生まで、大勢の会員が参加してくれたのでとてもうれしかったです。親睦を深めるいい機会にもなればと思います。


ちなみに文学さんぽのあとは忘年会でした。Tさんを始めとしたOB・OGの方にもご参加いただき、2017年の締めくくりとしてとてもいい1日になったと思います。


年度の活動も残りわずかとなって来ましたが、2018年も頑張っていきたいと思います。

次回の例会は年明け、タイムリーなことに芥川龍之介「奉教人の死」の研究発表です。
今年度最後の研究発表となります。

平成29年12月25日 原民喜「夏の花」研究発表

2017-12-26 11:02:46 | Weblog
 こんにちは。
12月25日に行われました、原民喜「夏の花」研究発表についてご報告いたします。
発表者は三年春日くん、一年中島くん、星くんです。
司会はまたもや三年長谷川です。

 今回の発表は、語る「私」の〈観察者としての眼〉と〈詩人の感性〉、結末部における一人称から三人称への変化に着目し、〈家族〉の物語、〈妻恋い〉の物語を読み取るものでした。

 質疑応答では、「N」のエピソードの挿入部分が果たして特権化された三人称の語りといえるのかという質問が出ました。詩の挿入以降、女中が死ぬまでは「私」の視点から語られており、「甥」のエピソードは伝聞として語られています。発表者は、一人称の語りが徐々に三人称的語りに変容してゆき、「N」のエピソードに至って「N」に内的焦点化し、彼にしか知りえない情報を語る三人称の語りに変化していると論じました。
 また、〈観察眼〉と〈詩人の感性〉を対極的なものとして捉える発表者に対し、対極的なものといえるのかという質問が出ました。これは発表者のなかでも意見がわかれたらしく、カタカナの詩に移行する場面を、散文表現の限界を感じ詩の表現に逃げたと捉えるか、表現を追い求めた結果として詩の表現に行きついたと捉えるかで議論になったそうです。
 発表者はカタカナ詩の効果について、「意味や形をはぎ取った音そのもの」であるカタカナによって「破壊され意味をはぎ取られ物質化された世界を雄弁に語っている」と論じました。これに対して先生から、カタカナは読みのスピードを遅延させ、ゆっくりと噛み締めるように享受させる効果もあるとのご指摘をいただきました。これによって、言葉が迫ってくるような喚起力が与えられるといいます。
 また、先生からは、被爆者に対する冷徹なまでの〈観察眼〉について、感情をあえてはぎ取り状況に溺れない語りを自分に強いる語り手の、書き記すことへの使命感・意識の強さについてのご意見をいただきました。他人を置き去りにしていく場面では、感情をあえて書かず、事態ののみを叙述していく背後に、「私」の感情世界が広がっているといいます。出来ること出来ないことを切り分けていく合理性の裏に見える「私」の並々ならぬ感情をこそ読み取らねばならないとのご指摘をいただきました。被害者を語る上で躊躇われるような言葉を淡々と記すことこそが誠実な姿勢なのかも知れません。これは以前扱った「いのちの初夜」にも通ずるものであると思います。
 当時の楽観的な考えを後から訂正せず、偽らざる当時の「私」の心境を語る誠実さについては発表者も着目するところでした。このような極限状態において家族のことを淡々と述べていくことにも、家族への感情のつながりが見えるといいます。
 最後に、今回の作品も時代性に目を向けざるを得ない作品であったとの感想が出ました。

 今回は、発表者が「第二次世界大戦時軍用施設配置図」を用意してきたため、「私」や「N」の辿った足跡を地図上に照らし合わせて見ることができました。避難の道のりや、広島を一望できる高台の情景を、より実感を持って読むことができるようになりました。

 2017年を締めくくるに相応しい、充実した内容の発表でした。今年度残る二回の例会も有意義なものといたしましょう。