デジカメぶらりぶらり

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二刀流

2013-06-08 06:50:23 | Weblog
戦国の世は、槍や弓が一番の武器で、刀は槍などが使えない場合の補助的な役割だったようだ。江戸幕府が開かれ、合戦がなくなると、刀は武士を象徴する武具になった。

それでも、剣術を極めようとする武芸家は多かった。宮本武蔵はその代表だろう。有名な武蔵の二刀流は、利き腕を失ったときなどあらゆる状況を考え、片手でも刀が振れるように鍛錬することが真の目的だったようだ。

現代の二刀流は実戦で魅せてくれた。先日交流戦で日本ハムのルーキー大谷翔平投手は中日戦に先発。最速156キロを記録する力投を見せて5回を3点失点に抑え、勝利投手になった。

二度目の先発でプロ初白星である。中等半端な両刀遣いに終わることを心配して、投手か打者かどちらかに絞らせるべきだという声は今も多いようだが、一つに決めるには惜しい才能だ。

球界には、阪急などで活躍した野口二郎という大先輩がいる。投手として通算237勝。1942年には歴代3位の年間40勝を挙げている。登板しない日は打者として1098試合に出場、9本塁打、368打点、打率2割4分8厘の記録を残した。

時代が違うと言うなかれ、プロ野球選手はファンに夢を与える存在であることは変わらない。投打を追求することで両方が生きる二刀流、しばらくは大谷選手と一緒に夢を追ってみたい。

死刑囚

2013-06-05 06:10:00 | Weblog
死刑囚にとって、平日の昼食は、単なる食事ではない。死刑囚は、午前中に執行される。だから、昼食が配られるということは、その日は絞首台に上がらずに済むということだ。

1961年に5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件で、半世紀余もの間、無罪を叫び続けている奥西勝死刑囚(87)は、80歳を前に出した再審請求の意見書で訴えた。

<よく人は地獄を見たとか言いますが、私は確定判決以来、地獄の連日で、この33年間の生活は・・・午前中に処刑や獄死を2桁余りも見送るという目にあいました・・・昼食の配給があるとホッとし、それ以外の時間帯は、地獄の中で生きているようなものです>

奥西死刑囚はその安堵の昼食すら、もうまともにはとれない。一年前に肺炎を患ってからは食べ物が喉を通らず、経管栄養に頼る。先月初めには痰がのどに詰まって窒息し、危篤に陥った。

持ち直したのは奇跡的という。命はかろうじてつながれたが、酸素吸入の管を挿入する手術を受けたため、話せなくなっているという。「自分はやっていない」と訴え続けてきた、その声を失ったのだ。

有罪の根拠とされた数々の物証を突き崩してきた弁護団は、裁判のやり直しを速やかに決めるように最高裁に求めている。冤罪の人だけでなく、過ちを犯した司法をも救いうる機会、その機会が永久に失われるかもしれない。



棚田

2013-06-03 07:24:19 | Weblog
日本海を見下ろす能登半島の斜面に、数えきれない小さな田んぼが、幾何学的な模様を描きながら連なっている。畳一枚分に満たない田んぼにも、青い苗が風に揺れていた。

石川県輪島市の白米千枚田は、2年前に世界農業遺産に指定された「能登の里山里海」を象徴する場所だ。地すべりに悩まされた斜面を階段状に分けて水田に利用した。

稲作にかれる執念と知恵が美しい棚田に結晶した。国の名勝に指定されたのは1千4枚。高低差50メートルの棚田は人力が頼りだ。田植えや稲刈り、雑草取りには全国からボランティアが駆けつける。

田んぼのオーナー制度も始まった。能登、トキと共生する稲作に取り組む新潟の佐渡に続き、静岡、熊本、大分の3地域が世界農業遺産に登録されることになった。

静岡(掛川市など5市町)では、茶畑の周りの採草地で刈り取ったススキなどを有機肥料に活用する伝統的な「茶草場農法」が高く評価された。「植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが人間は植物が悪くては生活の出来ぬ事である」「つまり人間は植物に向こうてオジギをせねばならぬ立場にある」。

「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎はこんな言葉を自叙伝に残した。農業遺産の共通点は、生態系を次世代に継承しょうとする姿勢である。そこには植物に生かしてもらっている、という謙虚さがある。

竜巻

2013-06-01 07:32:17 | Weblog
<学校にたつまきがきました・・・つくえにもぐってみをかくしました。ちょっと、見てみたら、ごみとガラスがぐるぐるまわっていました>

今から14年前、愛知県豊橋市は竜巻に襲われて、415人がけがをした。教室のガラスが凶器となった。窓が一枚割れただけで破片が室内に飛び散り、子どもたちを傷つけた。

当時小学2年の男の子が書いた作文が、その恐怖を伝える。<つくえにガラスがあたる音がしました。もう一回見てみたら、大きなガラスがとんでいました・・・目をおおいました。ぼくはこわくてなきそうになりました>

米国オクラホマ州の児童らは、どんな思いで身をひそめていただろうか。巨大竜巻に襲われた学校の校舎が倒れ、多くの子どもらの命が奪われた。がれきだらけの街で途方に暮れる人々の姿が、国境を越え迫ってくる。

日本では米国のような巨大竜巻こそは起きないが、年平均20個以上の竜巻が観測されている。教訓を得た豊橋市は、小中学校の窓を強化ガラスにした。すべての学校で同じような対策をとるのは難しいにしても、心の備えは欠かせない。

真っ黒い雲が近づき急に暗くなったり、冷たい風が吹き始めたりしたら要注意。いざその時は「窓から離れて机の下などに入り、とにかく頭や首を守って」と気象庁の専門家。子どもらに、しっかりと伝えておきたい命を守るすべだ。