デジカメぶらりぶらり

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原発

2012-06-09 06:58:50 | Weblog
「あなたは理想主義者か現実主義者か、と聞かれると、いつもこう答えるのよ」と、以前、米国務長官だったオルブライトさんは、あるインタービュで語っている。「理想主義的現実主義者、もしくは、現実主義的理想主義者です、と」。

関西の首長たちの“豹変”を見て何となく思い出した。関電・大飯原発(福井県)3,4号機の再起動について、反対していたはずの関西広域連合が、事実上の容認に転じた。

政府が再稼働方針を決めた時、「政権を倒す」とまで息巻いていた橋下大阪市長も、である。首長らはこのままだと15%の節電を強いられるという現実を突きつれられ、「再稼働認めず」という理想を引っ込めたわけだ。

それにしても、これを潮にすっかり、近々にも首相が再稼働決断という空気になっている。既に国民の信を失った政府機関が安全評価にOKを出しただけのことで、新たな規制庁の発足もまだなら、後回しにされた安全対策も多い。

電力不足という現実は”難敵“だが、解せないのは首相の無抵抗ぶり。現実と切り結びつつ、原発に依存しない社会という理想に向かう工程表を描くのが先決のはずではないか。

それもなく「とりあえず再稼働」とは、ただ、手もなく現実に負けるということ。それは理想主義でないのは無論、現実主義でさえない。敗北主義である。

17年

2012-06-07 08:32:36 | Weblog
中国・三国時代の呉の武将、呂蒙(りょもう)は武勇で名を馳せたが、学問の方はからっきしだった。一念発起、猛勉強して深い教養を身につける。

久しぶりに会った人が感嘆して言う。「もう、昔の『呉の蒙君』とは別人だな」呂蒙はこう返す。「士たるもの別れて三日もたてば大いに成長しているから目をこすってよく見ないといけません」。

「三国志」にある話だが、いかにも歳月は人を変える。中身も、そして外見も。捜査員も目をこすってよく見たことだろう。13人が死亡した1995年の地下鉄サリン事件に関わったなどとして、特別手配されていた菊池直子容疑者が逮捕された。

<別れて三日>どころか、手配されて17年。ぽっちゃりした印象だった外見はすっかり変わり、痩せて、別人のようになっていた。

そもそも、偽名を使い「別人」として逃亡を続けてきた容疑者だ。逮捕に「ホッとしている」と話したそうだが、どれほど時がたとうと、事件の犠牲者家族には無縁の心境だろう。

せめて事件と教団の真実を洗いざらい話さなくてはならぬ。人は生きていればこそ、時に別人のように変わりもする。遺影の中の犠牲者たちはあの時のままだ。誰一人、太ることも痩せることもできない。

矛盾

2012-06-05 07:10:08 | Weblog
人間とは、ムシのいい生き物だ。矛盾しそうな二つのことを二つながらに望むということが少なくない。例えば、「好きなだけ食べたいが、痩せたい」「働きたくないが、給料はほしい」「政治家になりたいが、カネのことで世間にうるさく言われたくない」・・・。

ギリシャの人たちの思いにも当てはまるのかもしれないと思う。先の総選挙では、ユーロ圏の国々が支援の条件として求める緊縮策の実施を約束した連立政権を崩壊させ、緊縮策拒否の党を大躍進させた。だが、一方で国民の大半は、「ユーロ圏残留」を望んでいるのだという。

「緊縮策は拒否だが、ユーロ圏には残りたい」ではムシがよすぎると、欧州各国がいうのにも無理からぬ面がある。痩せたいなら鯨食馬食に走るのを我慢し、それができないなら、痩せる方をあきらめるほかないのだろう。

ギリシャでは結局、連立協議成らず、来月17日に再選挙となったが、さてどんな判断になるか。思えば、脱原発依存と私たちの電気の使い方にも似たことは言える。「電気は好きなだけ使いたいが、できるだけ早く原発なしで済む社会にしたい」では、やはりムシがよすぎるというもの。

世論調査など見れば、幸い、わが国では、人々がどちらを我慢し、どちらをあきらめたくないかははっきりしている。

登頂

2012-06-03 06:56:58 | Weblog
世界7位の高峰ヒマラヤのダウラギリ(8,167メートル)の頂上近くには、あおむけに倒れたままのポーランド人がいるという。この人もまた、先輩登山家の亡骸(なきがら)を見つめながら頂き踏みしめたのだろうか。

8千メートルを超す世界の高峰への登頂を目指していた登山家の竹内洋岳さん(41)が、最後に残ったダウラギリの無酸素登頂に成功。日本人として初めてヒマラヤ14座を制覇した。「最強のクライマー」と呼ばれた山田昇さんが10座挑戦を前に遭難死するなど、日本人の登山家には10座の厚い壁が立ちはだかった。

竹内さん自身も2007年、10座目のガッシャーブルム2峰で雪崩に遭った。腰椎などを骨折する大けがだった。奇跡的に助かったが、ドイツ人とオーストリア人の仲間を失った。

背骨を固めるチタン製のシャフトを入れる手術も受けた。1年後、取り外し、ガッシャーブルムに再挑戦、登頂を果たした。その直前、作家・塩野米松さんの聞き書きにこう答えていた。「成功だけではなく失敗をちゃんと語らないと。失敗も自分のキャリアですから、それを語らないと、共感というのはないですよね」。

瀕死のけが、仲間の死を経験した人の言葉だからこそ重みがある。半年前の取材には「登山をスポーツ文化として普及させたい」と語っていた。日本登山界の悲願を成就した山男の無事の帰還を祈る。

2012-06-01 07:14:57 | Weblog
友人の家で酒を飲んだ男が、盃にヘビがいたと思い込んで病になる話が、中国の古典「晋書(しんじょ)」にある。後に、実は長押(なげし)に掛った弓が盃に映っただけだと分かり、あっさり治る。

さて、女性に対して、こともあろうに体形のことで苦言を呈するのは気が引けるが、勇を奮うとしよう。実像を正しく見ずに気に病んだりすること、<杯中の蛇影>に怯えた男のごとくではないか、実際は違うのに自分は太っていると思い込む傾向が強い気がするのだ。

例えば女子大生を対象にした以前のある調査では、83%が「痩せたい」と答えた。体格指数などで「肥満」に当たるのは4%ほどしかいないはずなのに、である。気に病んで、過度なダイエットに走れば健康を害す。

ところが、小学生を対象にした別の調査結果によれば、女子の3割が「少し体の具合が悪くなるぐらいなら痩せたい」と・・・。米メディアによると、ファッション誌「ヴァーグ」が世界各国版の編集長19人の名で、摂食障害などを疑わせるモデルは誌面に起用しないとの声明を出したのだそうだ。

いわば、“痩せすぎモデル禁止令”美の基準を「より痩身(そうしん)」へとエスカレートさせ、世の女性に疑心暗鬼を生じせしめた責任は当の業界にもあろうが、これが変化の契機になれば重畳。

声明にある<健康こそ美>という哲学が、世界のヴォーグ(流行)にならんことを。