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その会社名を使うことはまかりならん。1991年10月、ヤンゴン市の小さな自動車修理工場は、軍事政権から社名の使用を禁じられた。そ理由は「ノーベル」という社名だったから。軍事側のこっけいなほどの過剰な反応を根本敬、田辺寿夫著「アウンサンスーチー」が明らかにしている。
非暴力で民主化を求めた功績をたたえられたアウン・サン・スー・チーさんのノーベル平和賞の受賞は当時、ミャンマー国内で報じることが禁じられた。自宅軟禁中だったスー・チーさんの代わりに、英国人夫マイケル・エアリス氏と二人の息子が授賞式に出席した。
エアリス氏は、7年後にがんで亡くなる。一度、出国したら帰国できないと考えたスー・チーさんは夫の最期をみとることを断念した。英国で子育てを引き受け、妻の活動を支えた夫との永遠の別れさえ奪われた。
ノーベル平和賞を受賞した本人の講演が先日、21年ぶりに実現した。民族衣装に身を包んだスー・チーさんは「我が国の最近の変化は、われわれの状況に世界が関心を払うため努力してくれた皆さんよってもたらされた」と感謝を述べた。
演説は衛星放送などを通じてミヤンマー国内でも報じられた。インターネットの普及が進んでいないため、同時中継で視聴できた人は少ないが、「ノーベル」の名を使うなどいう命令はもうなかったはずだ。
非暴力で民主化を求めた功績をたたえられたアウン・サン・スー・チーさんのノーベル平和賞の受賞は当時、ミャンマー国内で報じることが禁じられた。自宅軟禁中だったスー・チーさんの代わりに、英国人夫マイケル・エアリス氏と二人の息子が授賞式に出席した。
エアリス氏は、7年後にがんで亡くなる。一度、出国したら帰国できないと考えたスー・チーさんは夫の最期をみとることを断念した。英国で子育てを引き受け、妻の活動を支えた夫との永遠の別れさえ奪われた。
ノーベル平和賞を受賞した本人の講演が先日、21年ぶりに実現した。民族衣装に身を包んだスー・チーさんは「我が国の最近の変化は、われわれの状況に世界が関心を払うため努力してくれた皆さんよってもたらされた」と感謝を述べた。
演説は衛星放送などを通じてミヤンマー国内でも報じられた。インターネットの普及が進んでいないため、同時中継で視聴できた人は少ないが、「ノーベル」の名を使うなどいう命令はもうなかったはずだ。
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