今日は、「撮り鉄」になります。
「阪急電鉄・正雀車庫」を、今日、8日に見に行ってきました。
昨日から、車庫南側の工事作業車両が置かれているところに、古い保存車両2両が、屋外に留められています。
1両は、阪急電鉄の前身である「箕面有馬電気軌道」の、1910年の開業に合わせて製造された、「1形」の1番車です。車体は木造作りで、今は屋根にパンタグラフとトロリーポールを載せた形になっています。
この時代から、阪急の伝統色であるマルーン色が使われています。
もう1両は、「600形」の602番車で、「阪神急行電鉄」が1926年に導入し、「京阪神急行電鉄」を経て、阪急電鉄へ。
日本初の大型全鋼製の通勤型電車と言うことで、1975年に引退した後、製造元の川崎重工業兵庫工場(旧・川崎造船所)で保存されていましたが、2010年に阪急電鉄開業100周年の記念事業として復元、動態保存されているとのことです。
車両側面に使われている、リベットの数がすごいです。
2両とも側面には、1918年~43年まで使われていた、「阪神急行電鉄」の社章が付けられています。
さて、阪急電鉄のHPによりますと、正雀車庫に保存されているのは、当時の先端技術を結集して製造され、長年活躍したのちに引退したかつての名車たちで、5両が当時の姿に復元されています。あとの3両は…
1925年に製造された車両「10形」の10番は、主に千里線で活躍し、一部は能勢電鉄線にも貸与。1966年に引退しています。
1927年~28年にかけて製造された「100形」の116番は、通称P-6(Passenger Car-6)と呼ばれています。新京阪鉄道デイ100形 (新京阪→阪急京都線) は、本格的な長距離高速電車の草分けとなった車両で、1972年に引退しています。
1930年に製造された「900形」の900番は、全鋼製車両ながら画期的な軽量設計を採用していて、「快速阪急」の象徴ともいえる車両だったそうです。
これらは、普段は車庫内に置かれていますが、今回、2両だけがなぜ外に出てきているのかわかりませんが、「阪急レールウェイ・フェスティバル」といった正雀工場公開イベントなどで、目にする機会があるかも知れません。
「阪急電鉄・正雀車庫」を、今日、8日に見に行ってきました。
昨日から、車庫南側の工事作業車両が置かれているところに、古い保存車両2両が、屋外に留められています。
1両は、阪急電鉄の前身である「箕面有馬電気軌道」の、1910年の開業に合わせて製造された、「1形」の1番車です。車体は木造作りで、今は屋根にパンタグラフとトロリーポールを載せた形になっています。
この時代から、阪急の伝統色であるマルーン色が使われています。
もう1両は、「600形」の602番車で、「阪神急行電鉄」が1926年に導入し、「京阪神急行電鉄」を経て、阪急電鉄へ。
日本初の大型全鋼製の通勤型電車と言うことで、1975年に引退した後、製造元の川崎重工業兵庫工場(旧・川崎造船所)で保存されていましたが、2010年に阪急電鉄開業100周年の記念事業として復元、動態保存されているとのことです。
車両側面に使われている、リベットの数がすごいです。
2両とも側面には、1918年~43年まで使われていた、「阪神急行電鉄」の社章が付けられています。
さて、阪急電鉄のHPによりますと、正雀車庫に保存されているのは、当時の先端技術を結集して製造され、長年活躍したのちに引退したかつての名車たちで、5両が当時の姿に復元されています。あとの3両は…
1925年に製造された車両「10形」の10番は、主に千里線で活躍し、一部は能勢電鉄線にも貸与。1966年に引退しています。
1927年~28年にかけて製造された「100形」の116番は、通称P-6(Passenger Car-6)と呼ばれています。新京阪鉄道デイ100形 (新京阪→阪急京都線) は、本格的な長距離高速電車の草分けとなった車両で、1972年に引退しています。
1930年に製造された「900形」の900番は、全鋼製車両ながら画期的な軽量設計を採用していて、「快速阪急」の象徴ともいえる車両だったそうです。
これらは、普段は車庫内に置かれていますが、今回、2両だけがなぜ外に出てきているのかわかりませんが、「阪急レールウェイ・フェスティバル」といった正雀工場公開イベントなどで、目にする機会があるかも知れません。