BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

「モンゴルの声」日本語放送リスナーの集い 大阪は中止

2014-10-22 | BCLアラカルト
10月13日(月・祝)の、大阪での「モンゴルの声・日本語放送リスナーの集い」に行ってきました。
その様子を書いてみました。だらだらと長文になっていますが…

この日、夜には台風19号が大阪にやってくるという予想になって、前から予定されていた午前中の行事がキャンセルになったため、急に時間が空きました。

VOM日本語放送リスナーの集いが、この日正午から開催されることをネットで事前に知っていましたので、さて、どうしたものか… 迷いましたが、日本語放送のスタッフに会えるのなら、モンゴルに行くよりは断然近いと思い、外は少し強い風だけで雨はまだ降っていなかったので、出かけることにしました。

万博公園東口駅に着くと、そこから会場の国立民族学博物館へ通じる自然文化園のフリー通路のゲートが、閉まっていました。
帰ろうか、としばらく迷っていたら、係員と思われる人が中の方にいるのに気づき、声をかけ事情を話したら開けてくれました。この人は、普通に来た人は入れないことを説明する係のようで、何のイベントかは知らないようでしたが、「民博のイベントだけは実施」と聞いているようでした。この場から早く離れたそうな感じで、いろいろ聞いてきました。「始まりは何時?」「12時」…「何人来るの?」「よく知りません」 帰りの際の開錠方法を聞き、30分前には着きたかったので急ぎました。

天気情報をよく確認していませんでしたが、どうやら警報が出たようで、決まりで自然文化園での屋外イベントはすべて中止、また、同時に臨時休園になったようです。

だれ一人いない、だだっ広い自然文化園内を早足で抜けて、民博へ近づくと、その手前のゲートも閉鎖。横の事務所に係員がいたので、声をかけると開けてくれて通過できました。

さて、民博の玄関に着いてみると、柵がされていて、ここでも臨時休館の表示が。
園入口ゲートからでも15分ほど、やっとここまでたどり着いたのに…
あきらめきれず、だれか尋ねる人はいないか、どこからか建物に近づけるところはないかと、ぐるっと裏の方へ回ってみると通用口が。

ちょうど、BCLらしき人(違っていましたが) が館へ入ろうとしているので尋ねると、「リスナーの集いは中止。コンサートのみで、もう始まっている。どうぞ」とのこと。

集いの中止は残念に思いましたが、せっかく来たのだから、コンサートを聴いて帰ることにしました。大阪では、リスナーの集いの後、午後3時から「モンゴル民族芸術コンサート」が行われることになっていましたが、前倒しになったようです。

入口係員に挨拶し、その人の後を追いかけて、2階へ。
上がってみると、その人は消えていて、どこかとウロウロ。たぶんここだと見つけた大ホール(講堂)の入口へ。
途中なので入るのをためらっていると、どこからか係りの人が近寄って来て「どうぞ」と言ってくれました。入ると客席側は真っ暗。そこで、動かずに後ろで立っていると、座っていた若い美人の女性(たぶん)がやってきて、手を引いて客席まで案内していただきました。モンゴル流のオモテナシなのかも。目が慣れてくると、観客席は人もまばら。

でも、舞台は、たいへんすばらしかった。馬頭琴など民族楽器の演奏、喉歌・ホーミー、日本民謡を思わせる歌(オルティン・ドーというらしい)、さらに、イル・ディーヴォ風の男性4人組が、“Con Te Partirò” (Time to Say Goodbye) を歌った時は、思わず「ブラボー」と叫びたくなりました。日本語での「昴」や「荒城の月」も歌われました。
この間には、民族舞踊、アクロバット演技などを熱演。モンゴルの伝統芸能文化を生で味わえ、見ごたえ聴きごたえがありました。



ただ、曲名紹介がなく、どんな楽団なのかも、その場ではわかりませんでした。
帰って調べると、「ビルグーンオンダラガ歌舞団」で、歌を披露した団長はドグミド・ソソルバラムさんで、1996年にはモンゴルの文化功労者に選ばれた方です。俳優でもあり、モンゴルではだれでもよく知っている有名人のようで、また、歌舞団は海外公演も数多く行っているようです。

1時間あまりで公演が終わり、回りの観客を見てもBCLらしき人はわからず、在日モンゴルの方やその関係者、知人らと思われました。
そして、ホールを出て行く皆んなにつられて、1階ロビーへ。

ここへは昔、開館当時に来ただけだったし、今日の催しの表示やプログラムはないか、とウロウロしていたら、「だれかを探しておられるのですか」と、日本人女性から声をかけられました。

本当に、モンゴル人と日本人は良く似ていて、見分けがつきません。
私をモンゴル関係者と思ったようで、「実はモンゴルの声日本語放送の方がおられたら、お会いしたいのですが」…「よくわかりません。舞台を収録していたのはモンゴルの放送局の方のようなので、聞いてみたら」

モンゴル公共ラジオテレビ局の関係者は来られているようなので、もう一度、ホールに戻り、日本語放送関係者は来ていないのか、尋ねてみました。

しばらく待っていると、金井伸子さんと思われる方が現れ、次にエディターのトゥデブドルジ・グァツェツェグさんを紹介していただきました。名前を聞かれ、名刺を渡しました。
そして、案内されて一緒について行くと、セミナー室にボルガン課長がおられました。そこは、リスナーの集いを開く準備がされているところで、10数人のリスナーが集まっていましたが全てモンゴルの方々のようでしたし、ちょっと慌ただしそうな雰囲気でした。



どうやら、日本人リスナーは私一人のようで、ここで表彰状と記念品をいただきました。


突然で何なのか驚きましたが、モンゴルの声50周年企画クイズに応募していましたので、入賞したと言われ、そのことを初めて知りました。私のところへは、案内状が送られてきませんでしたが、当日会場に来るかどうかわからない人の分まで、わざわざ持ってきておられたようでした。記念品は、墨で書かれた一筆書きのようなもので、聞けば、私の名前のモンゴル文字表記だとのこと。

ボルガン課長・グァツェツェグさんと記念撮影をさせていただいたあと、今度はインタビューさせてほしいとのことで、すぐ、エレヘムバヤルさんの通訳で、バヤルサイハン局副長からカメラインタビューを受けました。

日本語放送開始からのリスナーで、モンゴルの出来事や話題は日本の新聞などはあまり取り上げないので、VOMは良い情報源となっているほか、モンゴルと日本の親善や相互理解に役立っている、といった事を話しました。短時間でしたが、終わると部屋はカメラマンを入れ私たち4人だけになってしまっていました。



台風で臨時休館になっているし、急いで退館しなければならないようでした。
皆さんと、ゆっくりお話しする時間はなく、雨も降り出していたので、そそくさと帰路に。通用口では、関係者の送迎バスがエンジンをかけて待っていました。

帰宅して夕方のテレビを見ると、京阪神全域のJRが運休になっていました。これまでになかったことです。どうやら、JR西初めての計画的全面運休が実施されていました。(計画的全面運休は大ブーイングでしたので、その後は限定的となりました)

家から万博公園へ行くには、電車とモノレールを使いますが、運休しても自力で対処できるように、この日は自転車で行きました。帰路途中も乗れないほどの強い風にならず、強烈な雨にもあわずラッキーで、いい意味でいい運動になりました。

この日は、不思議とラッキーだった場面がいくつも重なったことで、いい体験が出来たことは言うまでもありません。

「モンゴルの声」日本語放送リスナーの集い(東京)の様子については、他の方がブログに書いておられますので、ご覧になられると良いと思います。
台風による警報発令なら、公の施設は「臨時休館」にしなければならないようで、大阪については、中止はしかたがなかったのでしょう。
コメント
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