JRの普通列車に1日乗り放題、という「青春18きっぷ」を使って、先月、ちょこっと1day受信の旅をしてきました。
コロナ禍もあって、3年ぶり。切符は、駅前のチケット店は閉店し、駅みどりの窓口も廃止されて、今回、駅みどりの券売機で買いました。ちょっとの間に、かなり様変わりしました。
さて、まずは近場へ。WFMやCFM局が聴けて、城跡のある街に、と考え、「兵庫県赤穂市」へ行くことにしました。
昔よく見かけた「新快速・播州赤穂行」は、もう昼間の運行はないようで、また、3月のダイヤ改正で何本かは減便になりましたが、まずは、「新快速・姫路行」に乗り込みました。
途中の神戸駅では、うまい具合いに、東海道本線と山陽本線の「終点・起点標」のところに止まりました。兵庫県のマスコット「はばタン」が描かれたプレートも。車窓から、明石海峡大橋を撮りました。

姫路駅で、播州赤穂行きの普通列車に。ここで、ローカル感のある電車に乗れる、と思いましたが、やって来たのは、新快速と同じ223系でした。網干、相生と、しばらくは山陽本線を走っていきます。
相生駅からは、単線の赤穂線へ入り、「播州赤穂駅」に到着。ホームでは、ここ始発の福山行き (1日2便) に接続していました。

赤穂は、人形浄瑠璃や歌舞伎、時代劇で有名な「忠臣蔵」(赤穂浪士の討ち入り) ゆかりの地ですが、観光客はあまり来ていないようでした。(そもそも若い人は忠臣蔵を知らないでしょうし、電車は昼間1時間に1本の運行ですので)
駅前には、「義魂の像」が立てられていました。赤穂藩の家老・大石内蔵助に似せているのでしょう。

城跡は、駅からは少し離れていますので、暑い中を歩くのはいやだな、と思案していたら、すぐに出発のバス便があり、それに乗ることに。

石垣や堀が残っています。他には、大石邸長屋門など、少しブラブラ。

休憩所があったので、ここでラジオを受信しながら、天井裏に作られたツバメの巣のヒナを見たりしていました。

掘割の前にある、銘菓・塩味饅頭を作っているお菓子屋さんは、城風の造りです。郵便ポストも、屋根が設けられ、雰囲気を出しています。

帰りは、駅までの通りをぶらりぶらりと。建物の外観を、昔風に統一。白壁にした飲食店やみやげ物店などが並んでいますが、閑散としていました。

途中の「いきつぎ広場」には、井戸があり、からくり時計が設置されていました。
(1703年に起きた、赤穂藩主・浅野内匠頭による江戸城内・松の廊下での刃傷事件の一報を、早かごで知らせに戻った一行が、ここで息つぎの水を飲んだとか)

さて、帰路は、ここ止りの普通電車の遅延で、4分遅れで発車。赤穂線では、どうしようも出来ないですが、相生駅からはスピードアップ。ここでは、223系車両の実力を十分発揮しました。

姫路駅で途中下車して、遠方から姫路城を。駅の北口側は、人出は多いですが、南口側は、人も少なめ。


観光案内所で絵葉書を購入する時、マンホールカードありますの案内が目についたので、どんなのかな、と1枚いただきました。

あとは、新快速で帰るだけですが、加古川市のCFM局「BAN-BANラジオ」を電車内で聴きました。数分程度の受信なら出さないのですが、15分間に局名や地元CMがバンバン流れていましたので、レポートしてしまいました。

それに、新快速はクロスシートなので、窓側席だと窓枠にラジオを置いて、風景を見ながら聴くことが出来ますので、行き帰りの乗車時間が有効に使えました。
(今回、受信していただいたベリは、これまでに取り上げました)
さて、この後ですが、またまたコロナが流行り出しましたので、どうしたものか、しばらくは様子見でしょうか。
コロナ禍もあって、3年ぶり。切符は、駅前のチケット店は閉店し、駅みどりの窓口も廃止されて、今回、駅みどりの券売機で買いました。ちょっとの間に、かなり様変わりしました。
さて、まずは近場へ。WFMやCFM局が聴けて、城跡のある街に、と考え、「兵庫県赤穂市」へ行くことにしました。
昔よく見かけた「新快速・播州赤穂行」は、もう昼間の運行はないようで、また、3月のダイヤ改正で何本かは減便になりましたが、まずは、「新快速・姫路行」に乗り込みました。
途中の神戸駅では、うまい具合いに、東海道本線と山陽本線の「終点・起点標」のところに止まりました。兵庫県のマスコット「はばタン」が描かれたプレートも。車窓から、明石海峡大橋を撮りました。


姫路駅で、播州赤穂行きの普通列車に。ここで、ローカル感のある電車に乗れる、と思いましたが、やって来たのは、新快速と同じ223系でした。網干、相生と、しばらくは山陽本線を走っていきます。
相生駅からは、単線の赤穂線へ入り、「播州赤穂駅」に到着。ホームでは、ここ始発の福山行き (1日2便) に接続していました。


赤穂は、人形浄瑠璃や歌舞伎、時代劇で有名な「忠臣蔵」(赤穂浪士の討ち入り) ゆかりの地ですが、観光客はあまり来ていないようでした。(そもそも若い人は忠臣蔵を知らないでしょうし、電車は昼間1時間に1本の運行ですので)
駅前には、「義魂の像」が立てられていました。赤穂藩の家老・大石内蔵助に似せているのでしょう。



城跡は、駅からは少し離れていますので、暑い中を歩くのはいやだな、と思案していたら、すぐに出発のバス便があり、それに乗ることに。

石垣や堀が残っています。他には、大石邸長屋門など、少しブラブラ。









休憩所があったので、ここでラジオを受信しながら、天井裏に作られたツバメの巣のヒナを見たりしていました。


掘割の前にある、銘菓・塩味饅頭を作っているお菓子屋さんは、城風の造りです。郵便ポストも、屋根が設けられ、雰囲気を出しています。



帰りは、駅までの通りをぶらりぶらりと。建物の外観を、昔風に統一。白壁にした飲食店やみやげ物店などが並んでいますが、閑散としていました。





途中の「いきつぎ広場」には、井戸があり、からくり時計が設置されていました。
(1703年に起きた、赤穂藩主・浅野内匠頭による江戸城内・松の廊下での刃傷事件の一報を、早かごで知らせに戻った一行が、ここで息つぎの水を飲んだとか)



さて、帰路は、ここ止りの普通電車の遅延で、4分遅れで発車。赤穂線では、どうしようも出来ないですが、相生駅からはスピードアップ。ここでは、223系車両の実力を十分発揮しました。



姫路駅で途中下車して、遠方から姫路城を。駅の北口側は、人出は多いですが、南口側は、人も少なめ。




観光案内所で絵葉書を購入する時、マンホールカードありますの案内が目についたので、どんなのかな、と1枚いただきました。

あとは、新快速で帰るだけですが、加古川市のCFM局「BAN-BANラジオ」を電車内で聴きました。数分程度の受信なら出さないのですが、15分間に局名や地元CMがバンバン流れていましたので、レポートしてしまいました。

それに、新快速はクロスシートなので、窓側席だと窓枠にラジオを置いて、風景を見ながら聴くことが出来ますので、行き帰りの乗車時間が有効に使えました。
(今回、受信していただいたベリは、これまでに取り上げました)
さて、この後ですが、またまたコロナが流行り出しましたので、どうしたものか、しばらくは様子見でしょうか。