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BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

プラハの風景写真 フロレンツとチェシュノフ地区の風景など

2025-09-07 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真です。

まずは、旧市街広場から北東へ約1.5km、ヴルタヴァ川に近い、「フロレンツ地区」(Florenc)と隣接した「チェシュノフ地区」(Těšnov) の写真です。

ネオ・ルネッサンス様式の建物は、1880年~1914年にかけてのプラハの建築様式の典型で、「キンドル・ハウス」(Kindlův dům) や、「オペラ・ホテル」(Hotel Opera) です。 ピンク色の外壁のオペラ・ホテルは、トラム「チェシュノフ停留所」前にあります。



「ダイヤモンド・ポイント・ビル」は、2005年に完成した11階建てのオフィスビルで、「アリアンツ保険会社」(Allianz) が入っています。



政府機関の建物では、「運輸省ビル」があり、1932年に建てられて、1960年~1990年まではチェコスロバキア共産党の本部として、使われていました。



交通公園のような、子供たちが交通ルールを学べる「遊び場」があります。



1934年に建てられた巨大なオフィスビル、「商工省ビル」です。外観に、彫刻や彫塑の装飾が多くされています。





ヴルタヴァ川の中ノ島、「シュトヴァニツェ島」(Štvanice)にある、「MVE発電所」(Malé vodní elektrárny=小規模発電所) です。アール・ヌーボー様式で、1914年に建てられ、1987年に再建。内部に、カプラン・ハイドロ・タービン発電機3基を備え、今も稼働しています。



川の対岸、「レトナの丘」(Letné) には、「EXPO58レストラン」があります。1958年にベルギーのブリュッセルで開催された万博のために設計され、その後、プラハに移築。2008年の改装で元の美しさを取り戻し、高級レストランになっています。



「ボテル・アルバトロス」(Botel Albatros)は、1969年から川岸に佇む、プラハ初の川船ホテル(ボテル、Botel)です。2ベッドの客室が82室と、広めのルームが4室あります。



船に併設する、「バドワイザー・ブドヴァル」(Budweiser Budvar) です。ランチは250コルナ(1,755円)と、かなりリーズナブルのようです。





消防船です。船火災が発生すると、消防署員が乗船して、消火に当たります。
近くにある橋は、1951年に完成した「シュテファーニク橋」(Štefánikův most) で、長さは263mです。



川船パブ「バッカニアーズ」(U Bukanýra=海賊)です。金・土・日曜日の午後10時~午前8時まで営業しているようです。



「ノヴェー・ムリーニ通り」(Nové mlýny) にある、「郵便博物館」(Poštovní muzeum)です。1918年に設立され、別の場所から1988年に移転してきました。



通りを挟んで、「ニューミルズ給水塔」(Novomlýnská vodárenská věž) があります。1484年に造られた時は木造で、その後、石造りに。1655年の洪水で破壊され、1658年にバロック様式で建てられ、1877年まで使われていたそうです。現在はプラハ市観光局が管理し、一般公開しています。



市中心部、「インジシュスカ通り」(Jindřišská) にある「中央郵便局」(Hlavní pošta) の入口に置かれているいる2体の女性像です。





「ヴァーツラフ広場」の屋外レストランです。



広場には、「ストリート・ミュージシャン」や、聖書講座をPRする「アドベンチスト教会員」がいたりします。



「ナ・プジーコピエ通り」(Na Příkopě) では、毎年恒例の「チャリティレンガ募金」が行われています。NGO「Beneficial Brick (有益なレンガ)」が主宰し、障害者など特別な支援が必要な人々への支援金に、充てられます。



「DPD (Direct Parcel Distribution) 社」の「宅配小包サービス」の自転車です。市内での配達は、車より自転車が便利だから利用されています。(送られてきた写真を見る限り、日本のような軽バン配達車は見かけませんね)



お店では、「ミラミラ・ジュエリー店」に、「マレー・ナーム通り」(Malé Nám) の「マッド・ラビット・アイスクリーム&スイーツ・バー店」です。



「チェスカ・スポジテルナ貯蓄銀行」(Česká spořitelna savings) のATM機の利用案内です。



「平和広場」(náměstí Míru)の花壇に、色とりどりの花が咲いています。広場にある、「聖ルドミラ教会」の入口です。



最後に、鉄道の写真です。
10区「ザービェフリツェ」(Záběhlice) にある、車両基地「サウス・デポ駅」です。
多くの列車が留められていて、客車の入換にはディーゼル機関車「714 013-0」などが使われています。





「プラハ本駅」です。国際列車や近郊行列車が発着しています。







電車、気動車のほか、客車 (日本のJRでは消滅しました) もあるので、駅には牽引する電気機関車が留められています。



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プラハの風景写真  新しくなったブブニ駅や市中心部の風景など

2025-08-31 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真です。

このところのプラハは、気温が20度台まで下がり、夏にしては朝はかなり冷え込んだ日も。9月1日から新学期が始まるので、多くのチェコ人が休暇から戻っている。そうです。

まずは、市中心部から北へヴルタヴァ川を渡った、「ホレショヴィツェ地区」(Holešovice) の写真です。
チェコ鉄道の、古くなった1868年開業の「プラハ・ブブニ駅」(Praha-Bubny) 駅舎を取り壊し、同じ場所に新しい駅舎が建てられました。







右は、掲示されている、新駅の「完成予想写真」です。写真の下の川が、ヴルタヴァ川です。

ブブニ駅近くの地下鉄「ヴルタフスカ駅」(Vltavská) にある、1984年に建てられた「牧神とヴルタヴァ少女の噴水」(Fontána Faun a Vltava) と、「落書きの壁」です。





旧市街にある「コンヴィクツカー通り」(Konviktská) にある円形の教会は、「聖十字架発見のロタンダ」(Rotunda Nalezení svatého Kříže) と呼ばれています。1125年に建てられ、プラハで最も古い建築物の1つに数えられています。



近くの「プルホドニー通り」(Průchodní)は、その名にぴったりの通りです。「プルホドニー」という言葉は「通路」を意味し、中世時代のプラハそのもの、典型的な通りです。
「パーキングメーター」が、あちこちにあります。



「ナーロドニー通り」(Národní)の「旧マージ(Máj)・ショッピング・モール」にある、「ハウス・オブ・ファン」です。子供も大人も楽しめるゲームセンターです。施設は、(日本と同じように) 英語名が付けられています。



レトロなトラム、1930年製「1200」が走っています。観光客用に走らせているようです。
観光客向けの、小さな「土産物店」もあります。



パブの看板で、ブランド「コゼル・ビール」(Kozel、山羊) は、プラハ南東24kmの「ヴェルケー・ポポヴィツェ村」(Velké Popovice) で製造されていて、1874年創業のチェコで最高のビールの1つとされています。
遅い食事に誘うレストラン店「コンヴィクト」(Konvikt) の看板が、置かれています。



トラム停留所「ミスリーコヴァ」(Myslíkova) 前の、「オー・エム・ジー」レストランは、寿司やラーメンなどを提供しています。看板には、ルフィやトトロが描かれていて、アニメファンも訪れるとか。



この近くには、彫刻家「ミハル・トルパーク」(Michal Trpák、1982- ) による、2015年の作品「わずかな不確実性(Lehká nejistota)」と呼ばれる、傘にぶら下がった2体の像が。空中にあります。1つは男性、もう1つは女性です。「カレル広場」(Karlovo náměstí)にも近い場所です。



「ヴァーツラフ広場」では、トラムの線路を再敷設する工事が進んでいます。8月8日 (下の左2枚) と18日撮影の写真です。





「プラハ本駅」(Hlavní nádraží中央駅)では、東側の巨大な壁の修復作業が行われています。





本駅の近く、「ヴィノフラドスカー通り」(Vinohradská) の「旧トランスガス・ビル」があった跡地の工事現場です。オフィス、アパートメント、そして店舗が入った複合ビルが、3年後に完成する見込みです。





「Netflix」のテレビ・ドラマ「ウェンズデー」の、シーズン2の放送が始まったことを知らせる広告で、市内の多くの場所で宣伝されています。



2区「フランツカー通り」(Francouzská、フランスの)のバス停の屋根には、巨大な手首の造形物が置かれ、周りには宣伝写真が。また、「インジシュカー通り」(Jindřišská)や、エデン・アレナがある「ウ・スラヴィエ通り」(U Slavie)のバス停でも宣伝されています。



プラハでは、サッカー・シーズンが始まりました。
最後は、中心部から南東へ約4km、「ヴルショヴィツェ地区」(Vršovice) の「エデン・アレナ」(Fortuna Arena、フォルトゥナ・アレナ) は、「SKスラヴィア・プラハ」(Slavia Praha) のホーム・スタジアムになっていて、巨大な絵を掲げています。(右は昨年の絵)



ポスターには、ライバル2チームの「スラヴィア・プラハ」と「ACスパルタ・プラハ」の選手が写っています。



右は、スパルタ・サポーターが貼った「ステッカー」です。赤い星のスラヴィアを打倒する×がされていて、一番下に書かれている「Zavřít můžou, pustit musí」は、不良たちがよく使う「奴らは俺を刑務所に入れることは出来るが、釈放しなければならない」という意味の、古い言い回し (ことわざ) だそうです。



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プラハの風景写真  カルリーン地区や旧市街地区など

2025-08-17 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真です。

このところのプラハは、穏やかな天気が続き、気温が30度以上になる日があった、そうです。

まずは、旧市街広場から北東へ約2.5km、ヴルタヴァ川近くの8区「カルリーン地区」(Karlín) からです。
「フューチュラマ・ビジネスパーク」(Futurama) で、「ソコロヴスカー通り」(Sokolovská) に面しています。



2015年に完成した、新しい5階建のオフィスビル群があります。





石の椅子が置かれています。ビルのそばには、浅いプールが造られ、石の泳ぐ人たちが。



別のプールには、石のカバやフラミンゴがいます。現代アート作品が、多く飾られています。



地区の公園です。





彫刻家「ブレティスラフ・ベンダ」(Břetislav Benda、1897-1983) による、1962年作「思い出を抱く女性」像が。



「オベリスク」の記念碑は、1890年の大洪水の際、市民を救助するために命を落とした、帝国陸軍ピオネール隊の兵士20名に、捧げられたものです。



旧カルリーン地区の風景です。マンションやアパートが並んでいます。



アイスクリームを売る屋台の「三輪トラック」です。(日本にも昭和の頃、三輪タイプのダイハツ・ミゼットがありました)

「ビスクプスカー通り」(Biskupská) にある、「聖ペテロ教会の鐘楼」です。1598年にゴシック様式で建てられました。(聖ペテロは、聖ピーターとか、サンピエトロとか、とも言われます)



「聖ペテロ教会」(St. Peter at Poříčí) です。12世紀後半、ヴラティスラウス1世の治世下で、ポジーチ村のドイツ人入植者のための教区教会として、ロマネスク様式で建てられました。



その後、1411年にゴシック様式で、1914年にネオゴシック様式とネオロマネスク様式で、最後の修復は、2002年のようです。外には、黄金のキリスト像やペテロ像が置かれています。



近くの、インド料理店「K-The Two Brothers」です。



「ヘアサロン」です。「Love is in the Hair」がキャッチコピーのようです。1978年に、ジョン・ポール・ヤングが発表した曲「Love is in the Air」(愛は空中に)のタイトルをアレンジしたもの、のようです。



「コーヒー専門店」です。人物画の「ストリートアート」は、落書きで書き消されています。壁に、「タバコの吸い殻入れ」が付けられています。



「旧市街広場」の観光馬車は、中国人カップルの「結婚式の前撮り」のアイテムとなっています。



次は、2区「アルベルトフ」(Albertov) 地区、「ナ・スルピ通り」(Na Slupi) にある「リウマチ性疾患研究所」(Revmatologický ústav) の建物です。
建物の前には、彫刻家「ヨーゼフ・マックス」(Josefa Maxe、1804-1855) による1845-48年作の、4人のチェコ国王 (スピティニェフ1世、オッタカル2世、チャールズ4世、フェルディナンド3世) の巨大な像が立っています。



近くにある、アジア料理レストラン「YUZU Asean Fusion」です。「日本料理」と書かれた提灯が、店先にぶら下げられていますが、メニューからは日本料理?



歩道の工事中です。





残っている昔の消火栓と、今の消火栓です。



「DeWALT」(デウォルト)という工具メーカーの宣伝です。メキシコ・グランプリへの招待が当たるチャンスの、ポスターです。



「ヌスレ地区」(Nusle) の鉄道線路です。入ろうと思えば、容易に線路内に入れます。



電気機関車162形「162 225-7」が牽く、2階建て客車です。チェコ国内都市発、プラハ本駅行きなのでしょう。

手前に立てられている、「鉄道標識」は何なのでしょう。



見たまま解釈すると「853m先からは時速20kmで進め」でしょうか。20kmという、そのようなゆっくりとしたスピードで走らなければならない場所とは?

たぶん、ヴルタヴァ川に架かる古い橋、「ヴィシェフラド鉄道橋」(正式にはジェレズニチュニー橋、1901年完成) では。この橋は、複線の橋ですが、上り下りの1列車しか同時に通過出来ないことにもなっています。





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プラハの風景写真  マラー・ストラナ地区あちこち

2025-08-10 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真です。

まずは、観光客でにぎわう、ヴルタヴァ川に架かる「カレル橋」の様子からです。
橋の上では、観光客相手の似顔絵画家が、熱心に仕事をしています。



音楽を演奏しているグループもいます。



橋に立つ、「聖ベニーツィ像」や「聖ヴィート像」などです。





カレル橋を渡った川沿いのところが、「カンパ地区」(Kampa) です。川と繋がる「チェルトフカ運河」(Čertovka) が掘られて、島のようになっているので、「カンパ島」とも言われています。

また、ここは「マラー・ストラナ」(Malá Strana)とか、「レッサー・タウン」(Lesser Town、小地区) の名前で呼ばれている地区でもあります。

「カンパ公園」があります。



カンパ島の、マラー・ストラナ橋塔の下にある「ミーシェニスカー通り」(Míšeňská) で、何世紀も昔、ドイツのマイセンからの留学生が住んでいたことから、マイセンにちなんで名づけられました。

1710年に建てられ、1864年に再建された「白い九つの柱」(U Bílé kuželky) の家です。現在は、チェコ料理レストラン「Lokál」になっていて、建物壁角には、「聖ヨセフと幼子イエスの像」があります。



1726年に建てられた「白い羊の家」です。玄関の上に、羊の絵が描かれています。



「クルメックの聖母」(Maria Chlumecká) の絵が描かれた家です。入口あたりは、落書きだらけです。以前は、レストラン?



18世紀に建てられた赤壁の家は、現在は、「ミスカ・ラーメン店」(Miska Ramen) になっています。



店の窓に貼られたポスターは、「第24回プラハ・フリンジ・フェスティバル」(FRINGE Fes.) のです。5月26日~31日に、この地区の8会場で開催された「音楽とパフォーマンス」のイベントです。



貼られたままのポスターは、「Majun(まじゅん)」の「琉球舞踊、音楽、能面が融合し、クラシックの枠を超える。プラハで世界初演」とあります。各国から、そして、日本のグループがエントリーしたのでしょう。

お店のメニューです。博多とんこつ、担々麺、キムチラーメン、ビーガン・ラーメンのほか、餃子、から揚げ、エビフライ、タコ焼きなどを提供しています。ラーメンは、300コルナ(2,100円)ほどです。(Miskaは丼の意味で、日本で修業したチェコ人シェフのようです) 日本のラーメンも、チェコ人好みの味に進化していくのでしょう。



店先には「ピカチュー」が、奥には「モンキー・D・ルフィ」の人形が飾られています。



隣も「レストラン」です。そして、「シェイクスピア書店」(Shakespeare a synové、Shakespeare and Sons) です。



プラハで「最も狭い通り」(Nejužší ulice) と言われている場所です。「ルジツェ神学校通り」(U Luzickeho Seminare) から「レストラン・チェルトフカ」の庭まで続く道です。幅はわずか70cmで、1人しか通れません。



そのため、入口に信号機があり、緑色が点灯している時は、人がいないので通れます。



これは、マラー・ストラナ地区に残る、最後の避難路でもあります。1503年以降、当時の木造家屋の間に建設され、火災の際にいち早く川べりに避難出来るように、また、他の家への延焼を防ぐために作られました。

現代芸術家「ダヴィッド・チェルニー」(David Černý) が2004年に制作した、ブロンズの「二人の放尿する男」像です。小便小僧の噴水に倣って、小便オヤジ?  プラハは、落書きにしろ、こうしたものに寛容な街なのでしょう。



子供向けの足で漕ぐ四輪車を集めた、「ペダルカー博物館」(Pedal Car Planet Museum)です。日本では、子供用は三輪車でしょうが、ハンドル付きの四輪ミニカーが100台以上展示されているようです。



「ブラック・イーグルの家」(dům U Černého orla) の前の道路は工事中です。屋根近くに描かれたイーグルの絵は、部分的に消えていますが、バーガー店のようです。



「大きな修道院レストラン」(Velká klášterní restaurace) は、ストラホフ修道院の敷地にあるビール醸造所の近くにあります。



この地区にもある、「マリファナ店」です。



カレル橋に、観光船「オルカ号」(Orca) がやって来ています。



川沿いのレストラン「ブリックス」(Bricks) は、1780年頃起業の「ヘルゲット・レンガ工場」(Hergetova Cihelna) だったところです。



「シートコフスキー給水塔」(Šítkovský)付近の、ヴルタヴァ川の小さな砂州島にいる、白鳥やカモたちです。



市中心部に戻って、地下鉄「I.P.パブロヴァ駅」(I.P.Pavlova)近くのお店のショーウィンドに写る、ゴーストのような女性です。実際は、トラムの停留所に立っています。



街路で寝ている、ホームレス? 酔っ払い?です。





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プラハの風景写真  7月下旬のプラハ

2025-07-27 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真です。
プラハは今、気温が20~30度の間で、雨が頻繁に降ったりしますが、快適な日々が続いているそうです。

チェコでは、議会が夏休暇に入り、あらゆる学校も夏休みに入りました。地元の人々は休暇に出かけていますが、反対に、市内は外国からの観光客で溢れています。

市内あちこちの風景写真は、まずは、「旧市街広場」の様子からです。



大勢の観光客が集まっています。観光馬車の御者おばさんは、新しい客を待っています。



歩道際のレストランや、開店準備をしているコーヒー・スタンド、屋台の果物屋さんです。





新装開店までの間のPRは、美しいデザインの壁紙装飾です。



旧市街にある、キューバン・レストラン「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」(La Bodeguita Del Medio) は、奇抜な方法でお店のPRをしています。





昔のアメリカ車「ビュイック・ロードマスター」を使った宣伝です。オリジナルのカラーリングそのままで、ノスタルジックなスタイルは、1949~1959年頃を思い起こさせ、人目を引くのに十分です。車は、ハバナから? 米国から? 運んできたのでしょうか。

次は、市内を流れる「ヴルタヴァ川」の風景です。

6月27日から、TV番組「イカゲーム」の最終章と言われるシーズン3が、放送開始となりました。それを記念して、フロートに載せられた巨大な2体の像が、川面に浮かべられました。







興味深げに、小さなペダルボートが、周りに多くやって来ています。
ただ、多くの批評家は、このようなTV番組のPRを歴史的な市街地で行われるべきではない、と指摘しているとのことです。
まあ、貸ボート屋さんには、良いPRになっていることでしょう。

この時期は、クルーズ船や個人ボートも行き来しています。





川の中に設けられた、シートコフスキー堰(Šítkovský jez)です。堰の先端では、ハトの群れが日光浴をしています。



クラシック・タイプの車は、市内を巡る観光客に人気で、この街にも合っています。



花壇の手入れをする人たち、歩道を掃除する人たち、ゴミを収集するパッカー車です。





トラムからの街路写真です。



ヴァーツラフ広場では、新店舗のオープン工事の真っ最中です。気になるのは、ヘルメットも被らずに、普段着のような恰好で作業をしています。





4区のヌスレ地区、「シネック兄弟広場」(Náměstí Bratří Synků) 近くでは、パトカーや消防車がやって来ています。ハシゴ車の梯子を、建物の高層階へ伸ばしています。





同じヌスレにある、「タイ・サムイ・レストラン」に置かれている、「ヌスレ・ブッダ」です。宗教と言うよりは、客寄せの目印にしているのでしょう。



最後は、4区「ザベリツェ地区」(Záběhlice) にある、サウス・デポと呼ばれている、鉄道の「車両基地」です。多くの列車が留められています。



客車の一部分をカットしたのを、仮設の事務所か宿泊施設にしているようです。



年季の入った、2色の入換信号機が使われています。2021-4-2のブログで使った写真 (右) と同じですが、標識番号のところだけを新しくしています。




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プラハの風景写真  デイヴィツェ地区などの風景

2025-07-13 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真です。
夏を迎えたプラハは、気温が30度を超える日が多々ある、とのことです。

さて、7月4日正午過ぎ、プラハ市や中央ボヘミアなど広い範囲で停電が起こりました。プラハでは、ほとんどのトラムや地下鉄が停止し、交通信号が消え、人々がエレベーターに閉じ込められる、という事故がありました。

原因は、発電所からの高圧線で相導体が落下したようで、この線に接続する8つの変電所が自動的に電力を遮断したため、と考えられています。5つは早い時間に復旧しましたが、約4時間の停電で、長距離列車と地域列車も大幅に遅れるなど、混乱したようです。

では今回、まずは、プラハ城の北側地域、6区の「デイヴィツェ地区」(Dejvice) にある、「勝利広場」(Vítězné Náměstí) 周辺の写真です。
新しく建てられたレジデンスや、ユニークな外観のチェコ工科大学・ロボティクス・サイバネティクス研究所棟の建物です。





ちびっこ広場ですが、遊んでいる子どもの姿はないようです。建物には、落書きが。



広い道、「ユーゴスラビア・パルチザン通り」(Jugoslávských partyzánů) で、遠くに「ペトシーン展望台タワー」が見えています。



街区の緑地は、庭師たちによって、季節の花々が植えられています。



「スラブの家」(Slavic House) と呼ばれる場所です。木々が植えられていて、人々はコーヒーを飲んだり、ベンチで寝転がったりしています。







ヴルタヴァ川の、「チェフ橋」(Čechův most)のたもとに停泊している遊覧船と、「マーネスーフ橋」(Manesuv most)のたもとの、賑わっているレストランです。



次は、市中心部、1区の、「共和国広場」(Náměstí Republiky) に面している、1653年に建てられた「聖ジョセフ教会」(kostele sv. Josefa) で、女性が屋外にある聖像の前で、祈りを捧げています。
隣接する、「パラディウム・ショッピングモール」(Palladium) の中庭には、「噴水」の現代アート作品が設置されています。



ほど近い、「ナ・ポジーチー通り」(Na Poříčí) には、1938年に建てられた「アーク・パレス」(Palác Archa) があります。







かつては、第一次世界大戦で戦ったチェコ軍にちなんで、「レギオ・バンカ」(在郷軍人銀行、Czechoslovak Legion Bank)という銀行でした。そのため、正面のファサードには、兵士たちの姿が描かれています。現在は、オフィスビルになっています。

「インジシュスカ通り」(Jindřišská)にある。中央郵便局近くの建物の改築が、ついに完成しました。



「ヴィノフラディ劇場」(Vinohrady) で、「チェコ国営テレビ局」が番組収録を行っているようで、横には、放送機材車両が停められています。



「地下鉄の換気塔」で、改修工事が進行中です。プラハでは、南方向に延びる「地下鉄D線」の新線建設を行っていて、既存のトンネルのさらに下を通ることになるので、それと関係しているのかも、とのことです。



「スパーレナー通り」(Spálená) の「OC クアドリオ・ショッピングモール」(Quadrio) では、ドーナツ、寿司、マクドナルドなどの巨大商品サンプルが、天井からぶら下げられています。寿司のところには、箸も添えられています。
寿司など日本料理の場合は、ナイフやフォークよりは箸を使う方が食べやすいので、箸を用意している店も多いようです。



街頭にある広告物です。ブラッド・ピットがカーレーサーを演じる、新作映画「F1® The Movie」の宣伝ポスター。チェコ産ウォッカ「Hanácká」(ハナッカ) の、ポスターが貼られています。



電柱に、グリーンピースが張り付けた、反トランプのポスター「彼は私たちを黙らせない!」
と、ごみ箱の箱が壊され、上蓋だけに。



下水道を、清掃用機器車で清掃している、作業員たちです。



「平和広場」にある、「聖ルドミラ教会」を訪れていたお年寄りが体調を崩し、救急車が呼ばれました。



プラハで最も賑やかな場所、「ヴァーツラフ広場」で、女性がたくさんの持ち物に囲まれて、歩道で眠っています。





少し進んだ所の、地下鉄の出入口では、若い男性が同じようにしています。


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プラハの風景写真  6月下旬のプラハ

2025-06-29 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真で、6月下旬に撮影されたものです。

プラハは、気温が30度に達し、夏が到来。22日からの週は、学校が休みになり、多くの人々は夏の休暇に出かける、とのことです。

国立博物館前から見た「ヴァーツラフ広場」です。広場を通る、トラム新路線の建設工事が、進められています。







近くのヴィノフラドスカー通りにある、「チェコ公共ラジオ本館」(Český Rozhlas)に、古いラジオが展示されています。1963年製の「テスラ428A・ガヴォータ2」(Tesla Gavota、SW、MW、LW) で、もう1つは、レコードプレーヤー付き「テスラ・バルカロラ1009A」(Barcarol) のようです。



CR建物の隣も、工事中の状態です。



市内では、あちこちで工事が行われていて、トラムの停車場が閉鎖されています。そのために、どう行けばと困っている人に、黄色の服を着た関係者が、行き方を教えている、そうです。



プラハ中央の高速道路も半分が通行止になっているために、信号機の一部は消灯され、カバーで覆われています。



広場付近で何かがあったらしく、警察官がパトカーで、消防署員が消防車でやって来ています。





見どころがたくさんある街なので、観光客が来ています。三輪バイクや、ヴィンテージカー・タイプのオープンカーで市内観光する人たちもいて、車はマーネスーフ橋を渡っています。





観光客目当てに、路上で物乞いをする人も、増えています。



道路に停められている、ミニ中国製やスマート・ブランドのEV車は、駐車兼広告物として使われています。





「キャバレー・ダーリン」と「ネオンクラブ」のPR車で、クラブは、1時間あたり1,999コルナ(約13,700円)から、とのこと。

消防保険会社の建物前には、赤い消防関係の車が。こちらは仕事でしょう。



繁華街にある、ネパール料理レストラン「エベレスト」で、入口にネパール国旗を飾っています。



日本のようなメニューの食品サンプルはなく、料理の写真を飾るレストランも。



「コイ(鯉)ティー」という台湾ブランドチェーンの喫茶店です。タピオカ・ミルクティーが売りのようです。



ブティックでは、2点お買い上げで3点目が無料というセールを、実施中です。



「共和国広場」(náměstí Republiky) にあるカフェで、「カヴァルナ・ポトメ」(Kavárna potmě、暗闇のカフェ)と名付けられています。視覚障害者を支援する慈善団体が運営。お客さんが真っ暗闇の中で座り、目が見えない人たちと同じ感覚を体験することが出来ます。



広場近くの、「ハイバーニア劇場」(Divadlo Hybernia) の公演演目幕です。「In the solitude of cotton fields」(綿花畑の孤独) を、アメリカの俳優「ジョン・マルコヴィッチ」(John Malkovich) と、リトアニアの女優「インゲボルガ・ダクナイト」(Ingeborga Dapkūnaitě) が共演しています。



プラハ4区にあるスポーツスクール、「武士道会」の会員募集の貼り紙です。「柔術」は、日本の武道、柔道、空手道、合気道を組み合わせた、ヨーロッパで生まれた格闘技で、指導者はチェコ人のようです。



花壇に咲く、スカシユリの花です。



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プラハの風景写真  プラハ市内あちこち

2025-06-15 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、プラハ市内の風景写真です。

まずは、プラハ2区にある「平和広場」で開催された、美術学校「ミカエル・アカデミー・オブ・デザイン」の学生作品展です。毎年、こうした屋外で開催されるのが、恒例です。



この広場には、「聖リュドミラ教会」が建っています。



あわせて、地下鉄を取り上げたアート作品も。



プラハの日中の気温は、26度~30度。「ヴルタヴァ川」です。貸しボート屋さんのシーズンに。中ノ島、スロヴァンスキー島に面した、川のほとりには、若いカップルが愛の鍵をかける場所があります。



観光客がやって来るシーズンでもあり、「大型観光バス」。公園には、「三輪車の移動コーヒースタンド」が。



「紅茶店」のショーウィンド。ピザ配達の「三輪カー」。



スーパーマーケットの「テスコ」(Tesco) と向かいの建物です。



「ヴァーツラフ広場」の西側部分を通る、「トラム」。シュコダ15T型で、韓国タイヤメーカーのラッピング車です。



広場の東側部分は、トラムの新路線工事のため、通りの半分が通行止になっています。



巨大クレーンが置かれています。地下鉄の「ムゼウム駅」出口だった場所です。



近くの場所でも、クレーン車による建築資材の降ろしを。街中で、はためく国旗。



広場から東へ行った、ヴィノフラドスカー通りに面した、「ポジェブラディ王ゲオルギオス広場」(Jiřího z Poděbrad) の改修工事現場です。



この広場には、「イエスの聖心教会」(Kostel Nejsvětějšího Srdce Páně) が建っています。広場の改修には、完成まで3年かかる、と言われているそうです。



工事にあたって、注意すべき事柄の標識の説明板が付けられています。



屋根付きの黄色い箱は、地下への作業用エレベーターです。箱がこのまま下へ降りると、屋根が、敷地に敷かれた大きな鉄板のようになります。積載量は350kg、立入禁止の札がかかっています。





最後は、10区の「ブルショビツェ」(Vršovice) にある、「エデン・ショッピングモール」に掲げられた新しい看板です。車の洗車機や洗浄サービスの会社の広告のようです。






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プラハの風景写真  リベン地区から市中心街へ

2025-06-08 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、風景写真です。

まずは、プラハ8区「リベン地区」(Libeň) の様子です。旧市街から北東方向に約5kmのところにあります。



ヴルタヴァ川沿いにある建物のほとんどは、数年前に建てられたもので、外観デザインがユニークなものが多く、現代的です。



「ルストンカ・オフィスビル」(Rustonka) です。現代美術作品が置かれています。



一部の建物は、まだ建設中です。



旧リベン地区では、大きな壁面広告やグラフィティ・アートが目立ちます。





この地域で最も人目に付くのは、巨大な像が建物を支えている姿の、2022年に完成した住宅です。



このステンレス製の女性像は、「リリス」(Lilith)と呼ばれていて、高さ24m、重さ35トン、頭を左に右に回転させることが出来ます。



建物の中央部分の通路は、巨大な「脚」が支えています。



現代彫刻家「ダヴィッド・チェルニー」(David Černý) の作品で、これらは新たなランドマークとなっています。

近くの「ルドルフィヌム美術館」(Rudolfinum) です。外の歩道には、無造作に2つの芸術作品が展示されています。造形作家「イジー・プシホダ」(Jiří Příhoda) の作品です。



公園に設置された、四角い空間がある「ベンチ」です。日差しを遮るための屋根と、壁面にはこの地域の歴史を紹介する文章が書かれてあります。



地元の「スポーツ・アリーナ」です。地域のあちらこちらで、工事中です。



8区の「カルリーン地区」(Karlín) にある、小さな街路礼拝堂「聖ヴァーツラフ礼拝堂」(Vyklenkova kaplicka sv.Vaclava) です。
19世紀半ばにここに置かれ、聖ヴァーツラフの絵は1929年に付け加えられました。



チェコの守護聖人である、聖ヴァーツラフ (ヴァーツラフ1世、907年頃-935年) を祀っています。元々は、17世紀後半、皇帝レオポルド1世の時代に、旧市街地から北東へ25kmほどの郊外地「スタラー・ボレスラフ」(Stará Boleslav) のエルベ川橋詰までの巡礼ルートとなった、「聖なる道」(Via sancta) に沿って目印として立てられた、44の小礼拝堂の残存している1つのようです。聖ヴァーツラフが行軍した道として伝わっていて、それに倣って巡る人々がいたようです。

プラハ2区のカレル広場東側の「ナ・リブニーチク通り」(Na Rybníčku) に、12世紀初頭に建てられた「聖ロンギン (ロンギヌス) のロタンダ」(Rotunda sv. Longina) です。ロタンダとは円形建築物のことで、プラハで最も古い6つの教会の1つです。



商店前に置かれている、「布袋様」です。きっと、中国系のお店なのでしょう。



マクドナルドのハンバーガーのポスター。そして、ロックコンサートの告知ポスターです。



コンサートは、米国の3人組ロックバンド「ZZトップ」の公演ではなく、本物をまねたフランス人のカバーバンドによるものだ、そうです。

EVマイクロカーの「シトロエン・アミ」です。航続距離は約70km、最高速度は45km/hです。手軽な乗り物として、ヨーロッパでは普及しているようです。エアコンが付いていないそうなので、日本の夏場はどうなのでしょうか。



外壁を残して、再建工事中の建物です。



2区にある、1903年に建てられた「ヴィノフラディ市場ホール」です。開業当時、この街路は車よりも馬車のほうが多く走っていた場所です。現在、「ヴィノフラディ・パビリオン」(Vinohradský Pavilon) と呼ばれるショッピングセンターになっています。





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プラハの風景写真  プラハ城麓の風景

2025-05-25 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、「プラハ城麓の写真」です。

このあたりは、「レッサー・タウン」(Lesser Town) 地区 (=マラー・ストラナ、Malá Stranaとも) で、歴史的な建造物も多く、市内で最も美しい地区とも言われています。

「ネルドヴァ通り」(Nerudova) で、歴代の王が、戴冠式の時に通った道とも言われています。
19世紀に設置された「街灯」で、支柱は4体の女性像で飾られています。



「ホワイト・エンジェル・ハウス」(dům U Bílého anděla) と呼ばれている建物です。医師、探検家、民族学者の「エミール・ホルブ」(Emil Holub,1847-1902)が、学生だった1866年~1872年に住んでいた家です。





白い天使像の上には、彼の横顔のプレートが付けられています。

「マリオネット専門店」で、1993年開店のようです。



「ゴールデン・ホースシュー」(U zlate podkovy、金の馬蹄) と呼ばれている建物です。元々はゴシック様式で、1541年の火事で壊され、ルネッサンス様式の建物に。1728年頃にはバロック様式で再建された後、18世紀末、19世紀初めと補修されたようです。



馬に乗った守護聖人「ヴァーツラフを描いた盾」と、「馬蹄」が掛けられています。言い伝えによると、馬蹄が家の主人を悪霊から守ってくれたため、それ以来、玄関の上に置かれている、とのことです。

「大麻店」です。プラハでは、あちこちで大麻が売られています。



「交通標識」にステッカーが貼られ、何なのかがわからなくなっています。



ローマカトリックの「聖母マリアと聖カジェタン教会」(Kostel Panny Marie Matky ustavičné pomoci a sv. Kajetána) は、1717年にテアティーヌ騎士団 (通称Kajetána) の修道院の一部として建てられました。



入口のところには、25コルナか1ユーロで、「献火」が出来る台が置いてあります。



チェコ料理店「ウ・グラウビチュ」(U Glaubiců) の看板と、「ミラーズ通り」のレストラン「ウ・ムリナージェ」(U Mlynáře) に置かれている人形です。人形は、店の主人に似せて作ったのかも。



「ピザ・ハット」のメニューは、焼きパスタとコーンスナックのチートス添え、約1,560円。



広場と駐車場の境界に置かれている、人の顔のような「車進入防止ポール」です。



劇場のホール玄関に置かれた、「俳優の写真」です。



「カルロヴィ・ヴァリ映画祭」のディレクターも務めていた俳優「イジー・バルトシュカ」(Jiří Bartoška,1947-2025.5.8)を偲んで、遺影、花、ろうそくが飾られています。

ライオンの顔の装飾が施された、「玄関扉」です。その上には、「車の出入口なので、車を駐車しないでください」の看板が。



チェコのスポーツドリンク「ビッグ・ショック」(Big Shock) の広告です。この飲料シリーズは、無炭酸、炭酸入り、オリジナル味のほか、フルーツ、コーラ、コーヒー、紅茶、緑茶味など20種類以上あるようで、500ml缶、約25コルナ (約160円) です。



ポスターには、7月末まで「ドリンクを買ったら、東京旅行が当たる!」とあります。着物を着た若い日本人? が、日の丸を掲げたゴーカートに乗ってはしゃぐ姿になってます。当選者は、東京の公道でマリオカートのような体験が出来るのかも。

さて、プラハの今週前半の気温は13~14度くらいで、少し寒さを感じることがあったそうですが、これからは、しだいに暑くなっていく、とのことです。



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プラハの風景写真  5月のプラハ

2025-05-18 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、5月の「プラハの風景写真」です。

先週は、気温は14度くらいで、晴天に恵まれた1週間となり、金曜日には、アイスホッケー世界選手権が開幕した、とのことです。
また、5月8日はチェコの「戦勝記念日」なので、80年前の第2次世界大戦終結を記念する、様々なイベントが催されたようです。

プラハ2区の「平和広場」では、第2次世界大戦中の写真展が開かれました。





「聖リュドミラ教会」 (St.Ludmila) 前での、ドイツ軍装甲車が写っています。ドイツ軍がプラハから撤退した日の、1945年5月8日に撮影されたようです。



1940年代にドイツ軍向けに製造された、「プラハRN型トラック」が展示されていました。1945年3月にアメリカ軍の爆撃によって工場が破壊されるまで、製造が続けられていました。







ヴィノフラツカー通り(Vinohradská) にある「チェコ公共ラジオ局」の外では、戦勝祝賀式典の準備が整えられていました。来賓や兵役体験者が集まり、1945年当時の警察官制服とヘルメットを身に着けた男性たちも、並んでいました。



旧市街の「旧市庁舎」の外でも、パネル展が開催されました。ちょうど、テレビクルーが、プラハ前市長の「ズデニェク・フジブ」(Zdeněk Hřib) 氏に、インタビューしているところです。



街中の写真です。

プラハ4区の「ブジェヨヴィツカー (Budějovická) 地下鉄駅」の通路に描かれた、アート作品です。故「ヴァーツラフ・ハヴェル」(Václav Havel) 大統領を追悼する絵で、「真実と愛」をテーマに、サングラスをかけた彼はまるでロックスターのようです。



アートとして市の許可を受けていない、落書きも多くあります。



小さな発電所の建物には、自然をテーマにした、アート作品が描かれています。



「犬の糞を片付けましょう」キャンペーンの、看板です。



旧市街のお店で、「居酒屋」、「宝石・時計店」、そして、「ゴールデン・ライオン・パブ」と、「道化師が目印のおもちゃ屋」の看板です。





「ネイルサロン」と、「ヘアサロン」の看板です。



プラハの公共バス輸送を祝う写真展が、街頭で開かれました。初期の、1908年の「乗り合いバス」の写真が飾られていました。



ヴァーツラフ広場に、「メラノーマ皮膚がん(悪性黒色腫)撲滅デー」にあわせて、皮膚検査が無料で受けられる、大きな特設テントが設置されました。



この日の空は、青空が少し見える、曇りでした。







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プラハの風景写真  オルシャニ墓地とイースター・マーケット閉店

2025-05-04 | チェコ・プラハの風景
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた、「プラハの風景写真」です。

まずは、プラハ3区・ジシュコフ地区 (Zizkov) にある、プラハ最大の墓地「オルシャニ墓地」(Olšanské hřbitovy) の墓標の写真になります。
(この墓地については、23/11/4・5にも書いていますが、今回は別のです)

さまざまな彫像や彫刻で飾られている墓標が、多くあります。







裕福な家では、所有する邸宅と同様に、こうしたもので墓を飾ることが好まれました。





墓地には、約65,000基の墓標があるとも。天使や十字架の彫刻が、数多く置かれています。





かなりの時が経っているため、いくつかの彫像は損傷したり、故意に破壊されたりしています。







位が高かった金持ちの人のでしょう。屋根の上や、正面のところに多くの彫像が。





19世紀の墓で、家のような造りになっています。内部です。



カトリックの司祭で、作家「ユリウス・コシュナール」(Julius Košnář、1862-1936)の墓です。



子供の墓は、写真がはめ込まれています。下は、1911年10月12日に7歳で亡くなった「マジェンカ・グルンドヴァー」(Mařenka Grundová)のです。





教会や棺を模したりしたのも、あります。



プラハでは、墓は賃料を10年ごとに支払う必要があり、普通の墓で約6,500コルナ (42,000円)、村の墓地では、その4分の1ほどの費用、とのことです。
中には、無縁墓になっていて、放ったらかしにされているのもあるのでしょうね。

次は、イースター期間中に開いていた「マーケット」が、閉店しました。
「平和広場」での開催中と終了後のです。



「ヴァーツラフ広場」では、閉鎖されたスタンド、運ばれて行くまで放置された備品が。そして、広場は、にぎわいがなくなった雰囲気になっています。





最後は、前回、4月20日に書いたブログの、「チェコ・ワールド誌」(Český svět) に掲載された、日本の記事に関してです。

それは、1908年8月20日頃に発行された号に、当時の桂太郎首相率いる第二次新内閣が、7月14日に発足した、というニュースで、桂首相と6人の大臣の写真とともに報じられています。



日本から遠いチェコ (当時はオーストリア=ハンガリー帝国) で、しかも1カ月後に記事にされていることに驚きますが、それが可能なのか、どのようなルートで写真や原稿が運ばれて行ったのか、気になりました。

調べてみると、当時の船便では1カ月~1カ月半はかかりますので、鉄道を使ったようです。ただ、ウラジオストク航路はまだなく、関釜航路と南満州鉄道経由だったのでしょう。
推測ですが、東京→下関→釜山→ハルビン→満州里→チタ→モスクワ→ワルシャワ→ウィーン→プラハと、8-9列車を乗り継ぎ、10日ほどはかかったでしょう。
東京を7/15に出発すると、プラハには7月末までには届くでしょうから、8月20日頃の紙面掲載は可能だった、と言えるでしょう。


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