
この土曜日。
どっぷり暮れた道。片耳イヤホンでラジオを聞き、歩いていた。
闇のすきまにシャッターを切る中、ラジオから武田真治くんの声が聞こえてきた。
最近は毎週土曜、午後はラジオ局を変えずのTBSラジオ。”通し”で聞いていることが多かった。
永六輔さん&外山惠理さん~久米宏さん&堀井美香さん~宮川賢さん。。。
この11日土曜日は夕方に聞こえてきた、田中みな実の野望渦巻く声がイヤになり、ほかへとチューニングを変えた。そのなかで、武田くんの放送にたまたま出会った。テレビがあった頃の「めちゃイケ」を思い出す。
その番組は、この10月の番組再編で始まった、第一回目の放送。
文化放送「楽器楽園(ガキパラ)」という新番組。
途中からジェーン・スーさんの放送と時間がかぶるが、今の流れを優先した。
第一回目のゲストは、カシオペアのキーボーディスト・向谷実(むかいやみのる)さん。
最初はチャラい番組を思わせたが、聞いていくうち次第に「深いな」と興味津々になっていった。
向谷さんが音楽に目覚めた少年時代から、実際どんな音を聴いてきたのかを紹介しながら、武田くんと話す。楽器をするヒトじゃないと分からない会話から、それぞれの音楽のありように迫って行く。
1曲目に選んだのが、エマーソン・レイク&パーマー(略称E・L&P)の組曲「タルカス」の冒頭部。
歩く闇夜に移ろってゆく街灯の下、聞こえる音がとてもかっこよく、街歩きから帰ると“プログレッシヴロック”をがさごそと探し出して聴いていた。

私はリアルタイムで“プログレッシヴロック”に出会えていない。
キング・クリムゾンは、70年代終わり頃・CMバックで掛かった「21世紀の精神異常者」が出会いだが、アルバム通して聴いたのは、エイドリアン・ブリューらと再結成した1981年の「ディシプリン」。
多くのリアルタイムファンから『これは、キング・クリムゾンぢゃない』と言われたところから始まった。
ピンク・フロイドへのスタートは、1979年の2枚組「ザ・ウォール」。
ヒットしていた「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」を、ポップスベスト10で聴いていたことに始まる。
これもまた、六つ離れた兄から当時ダメ出しをされて、少年は「何が悪いのか?」いろいろ悩んだ。
イエスと言えば、もっぱらジョン・アンダーソンがヴァンゲリスと共演した作品で、イエスそのものには向かわないスタートだった。
フォーカス、キャメル、ゴングなどはクロスオーバーイレブンで掛かった曲で出会う。
そこから、彼らを追体験していく日々となった。
E・L&Pはジャケットデザインだけはよく眺めたものの、初めて聴いたのは同級生の家。
嫌いだった彼の部屋。
レンタルレコード屋「友&愛」で借りて録音した、豊富なカセットコレクションを持った彼。そんな具合。
中高生をテクノ/ニューウェィヴを追い掛けることに、睡眠をも削った時間の相当部分を費やした中、彼らの音楽をゆっくり聴いて咀嚼する余地もカネも無かった。むしろ、今より忙しかった。
新しいムーヴメントの渦の中、これらの音楽を”古い”と思う感性があって、そこに向かわせなかった。
やっとこさ、これらの音楽が本質的な意味を持って、私に響き出したのはここ数年かもしれない。

キング・クリムゾンのファーストアルバムを初めて見たのは、歳が離れた兄の部屋。鍵を掛けて出掛けるくらいに用心深い兄。
「ガキは相手にしてらんねえんだよ」と、むげにされても遊んで欲しいと思っていた素(す)の幼少の時分。
長髪を垂らし、夜な夜なギターやベースを弾く兄が居ない部屋。
木造の・かつて置屋(おきや)だった部屋の戸は、たてつけが悪くて、そのすきまにひたいをピッタリくっ付けたら、真正面に飾ってあったのが鼻を開いた男のジャケット。
それは鬼門そのもの。神社仏閣の門の前にある、怖い顔をした獣や鬼と同じ。
「入るなら、それなりの覚悟をせい」。
それを見た幼児は、「お兄ちゃんは、大変な何かに取り憑かれている」と思った。
ロバート・フリップ師は、自分がかかわる音楽を“プログレッシヴ『ロック』”と呼ばれるのを当時嫌ったらしい。どうにも表現しようがない先進性を、「ロック」なんていう古めかしい言い方じゃあ、それは誰でも怒るだろう。
しかし結局未だに“プログレッシヴロック”と呼ばれ定着してしまった用語で語られている。
■King Crimson 「Red」■
極めてゆるい今朝の電車で、キング・クリムゾンのこの曲を聴いていた。
昨夜、mp3プレイヤーの中に入った曲をがらりと入れ替えた。

2002年10月23日のまみやんのポートレイト。