こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年10月2日 木曜日 「ハロー・イッツ・ミー」

2014-10-02 23:28:32 | 音楽帳

9月30日(火)
ピーターさんの嗚咽が後を引く中でも、回るメリーゴーランドは待ってくれない。引き裂かれる想いを抱えながらも、汽車は走る。深夜まで、砂漠の中に居るような感覚で時間との勝負の中、資料を作る。

何も食べずに、酒だけを流し込み寝てみるが、3時間後に汗だくで夜中3時に暗闇で起きてしまう。
「明日の予定は不明です」という看板が出てしまった世界にスイッチして久しいが、理屈がそうでも、カラダが付いていかない。暑くなったり寒くなったり、陽気も天気も明日知れず。

10月1日(水)
世の中は、年度下期始まりの日。夜中3時から眠られぬまま、夜明けを迎え、ふらふらで仕事に向かう。

そんな朝。
付けたインターFMにみもだえする。そこに愛する人の不在を見い出した、前日までと翌朝の境目。

昨日も遅くなり、それで眠れるほど強くない自分は、暗がりで映画「ねこタクシー」を視ていた。
人柄が忍ばれるカンニング竹山さんが主演。今ではテレビと無縁になってしまったが、ラジオを中心にしながらも、俳優としても好きな人。生きていく上で痛む経験を通じた彼からにじみ出る、魂のうるみが視える。

そう、うまく生きる、なんて出来はしない。
もったいないので、半分だけ観て、残りを保留にして眠る。前日3時間しか眠れなかったので、堕ちた。

10月2日(木)
今日午後の、インターFMよりのうれしい不意打ち。大好きな「ハロー・イッツ・ミー」(トッド・ラングレン)がいきなり流れ出した。
高校生の頃、作ったエアチェックテープに収めたこの曲を夜な夜な聴いては、天に昇る気持ちになっていた。
夜の空の下。星に願いを、のように、あるいは、宮澤賢治さんの世界のような気持ちを抱いて。

そんな一曲はいつまでも、時をワープさせてくれる。
絶望もあれば、希望もある。としても。

昨年の今の病室を思い出す。消灯の時間ですよと事務的に消された薄明りの下、いすに座って眠るまでそばに居た自分。
今年の今、どこでどうやって、病床の寂しい夜に居るかもしれない人を想えば、そういう人に届くかどうかは偶然だろうが、小さな希望でも届けねばならないように思う。

こうしてしまう自分を偽善か否かなどは、しょせん他者の認知次第だ。そういう類は、正直もうどうでもいい、と気にすることを、そこいらに置いておく。
ヒューマニズムとは無縁で居たい一方、「不条理」に弱らせ「られて」いるヒト(&生き物)にだけは、心の安らぎを送らねばと思っている。

トッド・ラングレン
トッドさんの存在を知ったのは、YMO三人のクチからだったが、曲そのものに触れたのは、教授のサウンドストリート1982年のこと。
夜23時近く、番組エンディングに密着型ヘッドフォン内で流れ出した曲「バラード」。
まだ寡黙で孤独感をたたえていた教授のシャイな姿。その姿に恋をしていた頃の選曲。

その後、別の日のサウンドストリートでは「コンパッション」も掛かった。
(1984年1月10日、年始一回目の放送は、渋リク[渋いリクエスト]だった)

(たぶん)1983年のとある日のクロスオーバーイレブンでは「ハロー・イッツ・ミー」。これを録音したカセットテープには、同じ日に選曲されて掛かったプロコルハルムの「青い影」などが入っている。

■Todd Rundgren 「Hello It's Me」1972■



一方では、1984年の「スタジオテクノポリス27」(土曜深夜3時)。ピーター・バラカンさんのラジオ番組。
1984年6月25日、彼のバンド・ユートピアの新譜「オブリヴィオン」が国内発売されて、そこからの一曲「イフ・アイ・ディドゥント・トライ」をピーターさんは選曲した。
当時毎月買っていた雑誌「ミュージックマガジン」のLPレビューを当時も今もよくめくる。

『トッド・ラングレンの狂信的ファンの人は、同じ仲間を見つけると、十ある相手の欠点も忘れ、互いにトッドのことにのめり込むという具合で、あの長い顔のどこにそんなに魅力があるのかと、ふと思ったりする。
(中略)
・・・でもここではっきりしておきたいことは、ぼくは狂信的ファンでないにしても、トッド・ラングレンが大好きなんだ。』(鈴木博文/ムーンライダーズ)


■Utopia 「If I Didn't Try」1984■

ピーターさんが、このLPから選曲・紹介してくれたこの曲が、今でも好きだ。
コメント
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