昨日おだやかな陽気の公園で、近所の親父さんとお互いの生まれ育ちの地をめぐる話しをしていた。ほぼ同世代の親父さん。話しのやりとりが面白かった。
親父さんは墨田区の生まれ育ち。「親方」と呼びたくなる日焼けした肌とぼさぼさの毛と、そこにニッコリとほほえむと、しわくちゃな笑顔が絵になる方。ニッカポッカを履いたら、さぞかっこいいだろう。
私は生まれも育ちも三ノ輪なんですよ。。。という話から、三ノ輪周辺とこの島の周辺の話しへ進んだ。
さすがは地元民ということもあり、親父さんは詳しい。よく釣りに行くと言っていた旧中川のほとり。そういえばチャリンコを転がしている様を見た。
私「・・・・こないだ、旧中川まで歩いたんですが。」
親父さん「歩いた?どれだけ歩くのよ?」
私「歩くのが趣味みたいなもんで。。。」
私「それでね、日没後の暗闇を八広の方に、川沿い歩いて行ったんですが。異様な気配感があって、そんな暗闇にぽっかり家と家の間が空いてて、石碑があったんですよ。何だと思いますか?」
親父さん「なんなの?」
私「もはや事実検証はしようもないですが、関東大震災の際に、その地に住まっていた朝鮮の方々を虐殺した、と言われる事件の鎮魂のための慰霊碑だったんです。最近出来たらしいですが。」
親父さん「川沿いねぇ、なるほど。あのへんは色々あったしね。。。」
親父さんは日差しの中、タバコをくゆらせて間を置く。
石碑があるのは初めて知ったらしい。
「別に映りはしなかったんでしょ?」と言われて瞬時は分からなかった。「写真が好きなヒトだからさ。」と笑った。
私「ああ、そういう意味でね。でも、街に歩いて入って行くと、空気でこの場所には何かあるな、と感じることはあります。」
親父さん「そういえば、三ノ輪だったら、三河島とか山谷とか、あるでしょ。生まれ育った近くに。」
私「昨日も歩いていましたよ。確かにそこにしか無い空気がありますね。」
親父さん「昔は、あのへんは歩けなかったよね。」
私「親からは、あっちへ行っちゃだめだよ。と言われたけど、子供はそういう場所ほど行きたくなるもので。」
親父さん「そうそう、子供ってのはそうだね。だけど山谷ももう無いようなものだね。」
私「まだその地ならではの空気はあるにはあるんですが。」
親父さん「生活給付があったり、ニンク集めも仕組みになってきたから、ヒトが全くいなくなったよ。」
私「そうらしいですね。」
親父さん「昔は手配師が“ハイ、どこどこの仕事いくらだよぉー”とヒトを集めてんの見たけどね。最近はもうほとんど居ないよねえ。」
私「昔は、浄閑寺前の公衆便所あたりに手配師が居て、集まったらトラックの荷台に乗せて現場行く姿があったなあ。」
親父さん「そうそう、当時はひどいよね。団体でバスなんて小奇麗なもんなんかありゃしない。」
親父さん「ようく、缶のゴミの日に来るでしょ。でも、みんなが寝ているから大きい音しないように、静かに作業している。ちゃーんと分かってんだよ。別に何悪いことするわけじゃないんだし。偏見を持ち過ぎだよ。」
私「まったく。小さいころは、朝起きて外に出ると、酔って道に倒れているヒトは日常茶飯事の光景だったからな。」
親父さん「ただね、区は許していない。あれで億単位の収入源にしているから。」
私「なるほど。そういえば、今は再開発で消えちゃったけど、秋葉原でそんな光景あったなあ。」
親父さん「なに?」
私「御徒町方面に歩いたところに、雑誌や缶なんかをキロいくらで引き取る場所があったんですよ。」
親父さん「ええ、どのへん?」
私「(場所を説明)・・・」
親父さん「ああ、あんなとこに?」
私「リヤカーを貸し出してましたよ。」
親父さん「確かにようく見たなあ、あのへんで。」
こうしたやりとりが続いた。
■アンディ・サマーズ&ロバート・フリップ 「心象表現(I Advance Masked)1982年の今ごろ■