先日歩きながら、ゲイリー・ニューマンの曲を聴いていた。
チューブウェイ・アーミー名義からソロの名前へ。数枚の作品より選んで。
中高生当時特に好きだった「I Nearly Married A Human」。
旅行に行く用に作ったセレクションテープに納めていた曲。
”私はもうちょっとでにんげんと結婚・・・”とはゲイリー・ニューマンらしい。(寺山修司さんの”不完全なまま産まれ[エイリアン]・・・完全な死体になってゆく[社会的生物]”を思い出す)
この曲を久しぶりに聴きながら「ああ、そうか。なるほど。」と腑に落ちたことがあった。
静かでゆったりしたインストゥルメンタル曲が好きなので、この曲をよく聴いていたが、意外な盲点。
ピアノの低音が底のほうに沈んで流れているのだが、これはデヴィッド・ボウイの「ワルシャワ」の影響。
過去にも同じことを言ったし思った。
しかし、それはテクノ/ニューウェイヴ音楽を創るヒトたちにとって、長い分数のインストゥルメンタル曲の原型が「ワルシャワ」だ、という点だけの意識だった。
この日イヤホンでじっくり聴いて感じたのは、なあんだウリ二つじゃないか。
それでも好きだが、いかにイーノ&ボウイが創った名曲が多くのヒトに影響したのか、を今一度思い知る。
「ワルシャワ」という原型があってこそ、YMOの「エピローグ」が産まれ、ヴィサージの「ウィスパーズ」などが産まれた。
ゲイリー・ニューマンは、初期「カーズ」がヒットチャートを上るなど、テクノのあけぼのの幸福。そのものだったが、そんな時代にノッた瞬間がある音楽家ほど、その後、大変な苦労をする。
80年代初頭にテクノが開花したことで、音楽機材が飛躍的に発展し、比較的安価でシンセサイザーを手に入れられることになる。多くの若者がテクノにシビれてテクノをやり、バンドを組み、新しい音を創り、表現してくる。
そうすると、元祖だったヒトたちは「古い」と言われる立場になる。
音楽シーンの展開速度が速くなったので、そんなことがあっという間に起きる。
YMOが第二次ワールドツアーを終えて開けた1981年。
ウルトラヴォックスと最先端のしのぎを削っていたYMOは3月21日に「BGM」を発表する。その後6月ごろ、クラフトワークは新譜「コンピューター・ワールド」を発表するが「YMOのパクリだ」という本末転倒した発言が出たりする。そんな現象。
ゲイリー・ニューマンは10月ごろに新譜「ダンス」を発表するが、クラフトワーク同様、評判が悪かった。そのそばでウルトラヴォックスの新譜「エデンの嵐」という名盤がオーラを放つ中では確かに仕方のないこと。
この後もゲイリーさんは作品を発表し続けるが、かなり厳しく苦労の多い時代を過ごすこととなった。
リアルタイムの音楽シーンでは気付かなかった点というのは多々あるものだ。
当時、買って読んでいた音楽雑誌では誰が言い出したのか?”ゲリ・マン”という呼び方を使っていたのもかわいそうだった。
今ではみんなそれぞれの存在が再評価されていることが救いと幸福。
そういう私も当時聴き取れなかった音も含めて、改めて聴いていたりする。
■Gary Numan 「I Nearly Married A Human」1979■