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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

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2009年11月01日 | 極私的ベスト5
今朝も。景色を横目に見ながら走るのが好きだ。すると遠くの建物はゆっくりと、中くらいの遠さのはそれより速く、近くの建物はすっと流れてゆく。まあこういうのポリリズムっていうんすかね、と思って眺める。あるいはガムランの、ゆっくりと音数の少ない低音とスムースで音数のやや多い中音と音数がすごく多くて速い高音みたいだな、とか。今日の土手は、リトルリーグの集会。七時前だってのに、20人くらい、大人も子どももお母さんも元気。走りながら「「イケメン」って何なんですかね」と質問してきた学生のことを思い出していた。「イケメン」って、男性が決めてきた男性の価値とは別の価値づけで男性を評価しようとする女性の振るまいなんじゃないかと、思った。昨日、先々週だったかの「めちゃイケ」で、バラエティの歴史のような番組をやっていたのを録画で見ていた。そこで、90年代、吉田栄作が海上でヘリコプターを用いて行ったスタントの映像を紹介してその後のナレーションが、「「イケメン」という言葉がない時代、かっこいい男が「男前」と言われた時代の映像でした」なんて言っていた。70年代も80年代も90年代もいまの「イケメン」にあたる女性ごのみの男の子は人気があったろう。けれども、基本的には男は男でなければならなかった。この「男らしさ」を規定してきたのはやっばり男で、男がいいと思う男がいいという価値観は揺るぎなかったように思う。「イケメン」ブームは、そうした男が男に与えてきた価値の衰退と連動しているのだろう。ある意味、男を男として見ない評価を女性が楽しんでいる、というわけだ。ますます男は無視されてゆく。

申し遅れましたが、今月の『美術手帖』に「桜井圭介の「運動」」という時評を書きました。
あと、しばらくするとReal Tokyo誌上にアップされると思いますが、大橋可也&ダンサーズ「深淵の明晰」について2000字くらいの文章書きました。

どちらも、ご一読よろしくお願いします。

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