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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ポツドール『激情』(@本多劇場)

2007年03月11日 | Weblog
3/10
北国の田舎町、隣の農地を買い占め事業拡大を図った両親、二度の台風が彼らを自殺へと追いやる。冒頭、両親の首つりのシーンから突然始まる。その息子が主人公、無気力で借金を返す努力をしない彼の周りに集まった男たち。肩代わりをした暴力団員風の男からの借金をさらに彼らが肩代わりすることになる。先輩後輩、同級生、事業に成功した元いじめられっ子とやんちゃしていたが今はうだつのあがらない元いじめっ子(このいじめの関係は被差別へと繋がっていることが最終的に明かされる)、そうした男たちの力関係のなかに3人の女が絡まっていく。性欲という人間の動物性が暴力的に実現されようとする時、人間の道理が都合良く暴力の理由付けに浮上する。その曖昧にあらわれる道理の形のなかにしか「人間」がここには残っていない。いや、そんな人間が消滅しても残っているのはやはりある種の人間である。というか、その「ある種の人間」こそ、人間そのものなのかも知れない。べたないいかたではあるがポツドールほど「人間とは何か」を深く問うている劇団はないのではないか、と見た後のショックのなかでそう呟いてみたくなる。

ふっー。
見に行ったのが土曜日の昼と言うこともあって、カップルで来てしまったお客さんが多くて、観劇後のロビーでうろうろしている彼らの硬直した顔が一層、ぼくのなかにある劇のショックを増幅してしまうのだった。

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