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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

出記

2010年01月30日 | 80年代文化論(音楽)
日々、出は変化していて、それはとても小さな変化なのだけれど、それでも確実に変化していて、それに応じて小さな発見とか印象とかをもつのだけれど、どんどん変わる展開にイレーズされてしまう。ぼくは出の泣く声が好きだ。声の出ない歪んだ表情が五秒くらい続くと「んああああーっ」っと厭世主義者か君は!と突っ込みたくなるくらいの切ない声であえぐ。でも、そのあえぎは大抵の場合、大きな叫びとなって爆発しないまま、不発弾化してしまう。喜びと悲しみが瞬時に入れ替わる(とはいえ、明確な笑顔はまだない)。赤ちゃんというのは、どうもとてもブルースな存在のようだ。切なく戸惑う。非力。飲みたくなくても、口にくわえさせられる乳首(ほ乳瓶)。まだあごが強くないからなのか、「ぐびぐび」がさほどこちらが望むほどには続かない。それでも、飲む時は真剣だ。そして、飲んだ途端に寝てしまう。近眼なので、まだ世界はおそらく「淡い色の連なり」程度にしか認識できていないのだろう。それでも音には敏感に反応する。匂いも分かるようだ。世界に触れて、処理はでも出来ないまま、映して映して、あるときにそれが像として結ばれるのだろう。その前のある意味幸福なブルースの時間。

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