Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

the Ground-breaking 2007

2007年02月25日 | Weblog
にて、ほうほう堂×チェルフィッチュ「耳かき」をSTスポット、身体表現サークル「しんぱい少年」をBankART1929で見た。会場で松井みどりさん、内野先生、桜井さんにお会いした、そこにはなにやらまだレクチャーの余韻が残っているのだった。その後、大谷さん宅にて東京芸術見本市の打ち合わせ、晩餐(どんちゃん+チャンポン)、昔話、お歌の時間、楽譜への落書き、未来の語らいへと続いた。

松井さんのパルコ出版から来月でる御本『マイクロポップの時代 夏への扉』の出版記念トークショーに光栄なことになんとお話相手としてお呼ばれしました。場所は原宿のナディッフを予定してます(日時は未定)。詳細が決まったらまた紹介します。これも「マイクロポップ」ちゃうんすか?とダンスや演劇や音楽パフォーマンスを松井さんにお見せするなんて感じで行こうかと思っています(楽しみです)。

ほうほう堂×チェルフィッチュ「耳かき」
ほうほう堂のひとりがibookを覗き込みながらそこにディスプレイされている(だろう)岡田のテキストを読み、もう一方が踊る、ということを一回ずつやる。分離しているほうほう堂がまずは新鮮。テキストは、体に関すること。体を洗っている時足の小指を見ているが見てはいないこととか、浴室の角がしだいに角ではなく丸であると見えてくることとか、普段無視している体に不意に驚く(あるいは驚きそこなっている)時、あるいは現実が空想へと空想が現実へとスライドしていく時を、理知的な文章がトレースする。それを読む2人にはカメラがフォーカスしていて、2人の読んでいる体が壁に大写しになっている。巧みに仕立て上げられた複数の反映(あるいはバトンタッチ)。ほうほう堂のちっちゃいかわいさのなかに組み込まれるどこまでも繊細で冷静な運動と岡田の非理性的なものへと理知的に関わるアプローチが、見事に絡み合っている。そのグレードは高い。けれども、ぼくは欲深なので少し残念と思うところを書くと、三人が上手く出会える場所を作ることに重点を置きすぎた気がする。二組がコラボしたのは三回目ということだけれど、今回の何よりの新機軸は、ほうほう堂が岡田のテキストを読むという点だった。そして、どうしても注目してしまうのは、岡田の硬質なテキストをほうほう堂のどちらもがつっかえながら読んでいるという点だ。スラスラ読んで欲しかった練習しておけよ!と言いたいのではなく、むしろそこで岡田と2人とが出会っているその接触面が露呈していたわけで、そこにこそ今回の公演の見所があったのではないかと思っている。タイミングを計り、読むこととスクロールすることに集中して、体のそれ以外の部位がブラブラしている。足は変な形でつま先立ちになり、マイクを持っていない左手は心許なくぼけている。そこに「体」がある。徹底した反映の構築(その作品化)のベクトルをややゆるめながら、そうした現実の時に起き続ける偶発的なことどもをこそ拾い返してみたらどうだったろうか。あるいは、岡田のテキストが、ほうほう堂の身体に合わせて書き換えられていったものだったら。

身体表現サークル「しんぱい少年」
八十分ほど。いまの日本のダンスシーンのなかできわだってオリジナリティのあふれるクリエイティヴィティを炸裂させているのがこのグループの主宰者・常樂泰ではないかと、いや本気で思っています。凄かった。作品としてのトータルな完成度が云々かんぬんといったまともな評価などあまり問題ではない。今回際だっていたのは、自分たちがこれまで編み出した運動(タスクライクな!)を振付としてもう一度捉え返し、しかも身体表現サークルダンスとしか言いようのない審美性をもったパートを創り出していたこと!美しいというのではない、単に強いのでもダメなのでもない、なんともいえないやるせないような気分というものがそこにあった。それと全体のイメージが何故海だったのか(工事現場で使われていそうなブルーシートが1929の石の柱や床に巻かれ敷かれていた)、なぜ知的障害の男の子みたいなダッシュとかで笑いと驚愕を誘った長身のダンサーがフンドシをスクリーンにして見せたのは波打ち際で、そこで映像の中の常楽はスペイシーに泳ぎまくっていたのか。ぼくが連想するのは、サザン・オール・スターズを初めて聞いた子供の時のじれったいような焦っちゃうような気分(最初期のSASだよ)。未分化な身体が性に出会ってしまっている感覚というか。海=母と切り出してもいいけれど、もっと男の子マインドの微妙で濃密な部分がガバッと開かれてしまった瞬間に思える。友人は、もっと小学生モード全開でいっちゃった(「きんにくまーん」とか)身体表現サークルがみたいと言っていた。分かる。そうそう思い出すのは、小学生の時の「かんちょ」とかされたりする時のもやもや感みたいなもの。幼児性の記憶をまさぐるように異様に目をつむりながらダンス(?)し続ける常楽の姿が印象深い。

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