Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ベクトルズのトークを行います(7/25@snac)

2010年07月23日 | Weblog
ベクトルズのトークイベントが今度の日曜日、snacにて行われます。
よろしくお願いします。

今回は、三人(佐々木敦さん、大谷能生さん、とぼく)が一個ずつ話したいテーマを持ちよって、それについて三人で話すという内容になっています。

それでぼくは「魔法」をテーマに話をしようと思っていたのですが(今後、このキーワードを通していろいろな芸術現象について考えてみようと思っているんですけれど)、今回、そのテーマについて話す準備がまだ整っておらず、いや、そういうこともあるけれど、別に話しておきたいことが出てきたので、違うテーマで話をするつもりです。

来月号の「美術手帖」に、快快の「SHIBAHAMA」について書いて欲しいと依頼があり、ならばせっかくの機会と思い、快快と遠藤一郎という二組の作家を通して、今日のポストモダン的状況について整理してみようと考えています。単にベタでも単にメタでもない、ベタでもメタでもごっちゃに煮込まれてしまっているような状況、ハイ/ローとか、演劇/非演劇(ex.日常)とか、美術/非美術(ex.生活)とかの境界線がとても曖昧になってきているような状況というんですかね、そういう状況について真摯に応答しようとしているが故に、ユルく見えたり、イージーに見えたりもする、故に批判されやすいヴァルネラブルな彼らについて、まじめに考えてみようと思うんです。なんでこれほどまでにぼくはひかれているのか、、、ほとんどそれは予感でしかないんですけれど、自分の予感に賭けて文章を書いてみようかな、と準備しています。

それで、日曜日の「ベクトルズ」では、草稿段階の原稿をお配りして、それをもとにプレゼンをし、佐々木さん大谷さんの二人から、またフロアにお越し下さったみなさんからコメントをもらおうかと思っています。

このこともまた、ぼくの原稿に関わっていることになるかもしれなくて、つまり、完成稿/草稿の区別とか、原稿/つぶやきとかの境界線が曖昧になっている状況のなかで文章を書くってどんなことだろうと考えるひとつの機会になればと思います。

ということで、ここに、当日配る草稿のさらに草稿(草稿中の草稿)をアップしてみようかとも追っているのですが、今晩あたり。


ところで(そうだ、このこと書こうと思っていたのだった)、ポストモダン的状況なんて話の延長で、月曜のトヨタについて考えることができるし、そういうこと書かずして「分からない」とだけぽつり言っているのはよくないと思っていたのでした。いや、あの、シンプルに言うと、ダンスの世間における「相田みつお問題」というのでしょうか、そんなことを考えたくなる、考えないといないように思うということです。キミホ・ハルバートの作品は、美術で言えば「クリスチャン・ラッセン」みたいなものではないかと思います。ダンスにおけるラッセン的なものについてどう考えればいいのか。




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