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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

「ボロボロ ドロドロ」展

2006年10月29日 | Weblog
金曜日の昼にある方と渋谷でミーティング。「富めるものが貧しきものに施しを与える」とのありがたきモットーからその方に天ぷらをおごって頂き色々と大事な話を進めた。1時半、別れるとさて、どこか久しぶりに美術館でも行こうかと思い、上野のベルギー王立美術館展も気になるものの、近場でワタリウム美術館「ボロボロ ドロドロ」展に行くことに決めた。ぴあを見てもどんな作家なのか余りよく分からず、ほとんどタイトルの珍妙さだけで期待をかける。78年大阪生まれの河井美咲と76年シアトル生まれのテイラー・マッキメンスの作品が2-4階を埋める。二人とも活動の拠点はニューヨークのブルックリン。河井の作品はドローイングというよりも小学生のお絵かき。ノートにちょこちょこっと放心状態で描くときのような。スカートが翻ってそれにドキリとする男の子なんてモチーフはリアル小学生なら描かないだろうと思うけれど、あとはほとんどまんま小学生の落書きなのだ。「エッジ」(批評性?)のようなものはどこにもない。ただドローする個人的な楽しさを転がし続ける。テイラーの方は、キャンバスを使ったりと美術作品らしさは増しているが出てくるのは、うんこのようななまこのような形状のものばかりで、それが部屋にいる人間の周りに漂っていたり、あるいは漂っているものをそのようにエフェクトさせたりしている。このなんかうんこみたいのは、根本敬の作風ににてるなとぼんやり思っていたら、まさにズバリ。というのも、地下一階のオンサンデーズ脇でやっているこの二人の作家がキュレーションした展覧会というものがあって、そこに彼らの作風のルーツになった作家の本とか作品が展示してあったのだけれど、そこには湯村輝彦、根本敬はじめ、日本のいわゆる「ヘタうま」なイラストレイターや漫画家がラインナップされていたのだ。また、海外の雑誌がこうした動向をすでにフォローしていることもそこで同時に紹介しつつ。この展覧会は、つまり、ニューヨークの若手の作家の展覧会を上で行い、彼らを紹介しながら実はそうした「ヘタうま」なセンスは日本初のものであり、しかもそれがいま世界的な規模で広がりつつあるのだということを、地下で種明かしする、そういう仕掛けのものだったのだ(だから副題は「帰ってきた日本のサブカルチャー」なのだ)。「ヘタうま」はもはや日本人にしか分からないローカルな感覚ではなく、グローバル化しているというわけ。

それにしても、どう捉えたらいいんだろう。強い意志が託された美しい線ではなく呆けた状態でいつのまにか現れたしまったかのような線の「ゆるみ」。ときどき猛烈に反応してしまうそういう線の魅力って何なのだろう。ゆるんだ線のブレは意志に統括され普遍化されていない分その場の出来事性を多く含んでいる、ということなのだろうか。線の身体性がそこに生き生きとある、というか。

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