≪前回の続き≫
前回は、手技療法の基本を以下の表であらわしました。
この表をながめていると、専門的なものとはかけ離れた、いかにも身近なことばが並んでいますね。
日ごろから専門用語になれていると、身近なことばはかえって拍子抜けしてしまうかもしれません。
このように表現しているのは技術を身につけていくためには、自分にとってなじみ深い、身近なことばを使うことが大切だと考えているからです。
技術は身体の動きによって表現されるものなので、なじみのあることばでないと動きがピンと来にくいのではないかと私は思っています。
もうひとつの理由は、冷静な判断力を保つためです。
新しいテクニックを紹介する記事や広告で、カッコいいネーミングや説得力のある解説、目覚ましい効果をPRをみても、常に冷静さを保って客観的にみられる方もいらっしゃると思います。
しかし、なかにはまぶしすぎて思わず目がくらんでしまう方もいるかもしれません。
とくに考案者が考えたような用語にはクラッときやすいものです。
目がくらむと、冷静な判断がしにくくなります。
だからとくに基本的なところは、身近なことばを使うことで、本質的なところをしっかり身につけておき、新しいものと出会ったときでも冷静に考られるようになっておく必要があるのではないかと思っています。
ところで、新しいテクニックのPRをみても、目がくらまならないためのちょっとしたコツがあります。
それは、車の運転なら対向車のヘッドライトを直視しないというのと同じで、用語や効果など、ことばで表現されたものを直視しないようにするということです。
では何をみるかというと、そのテクニックの動きをみるわけです。
どのテクニックをみても「押す」「引く」「まわす」という動きの組み合わせからなっています。
その動きから作りだされる刺激は、「押さえる」「伸ばす」「滑らせる」です。
これらの刺激を特定の「範囲」「深さ」「方向」に加えることが手技療法による治療です。
そう考えると、とてもシンプルなことですね。
はじめてみるテクニックが「押さえる」「伸ばす」「滑らせる」のいずれかの刺激を、どのような「範囲」「深さ」「方向」に加えられているかを見当つけます。
きっと「いろいろPRされているけど、やっていることはほとんどあのテクニックと同じじゃないの」というようなことが少なからずある、ということに気づくはずです。
すると、どんな目新しいものを見聞きしても冷静さを保ち、落ち着いて判断することができます。
テクニックのオリジナティというのは、その考案者が工夫した部分にあります。
立場によって見方が変わるというのは面白いもので、考案者からすれば他のテクニックとの少しの違いが大きな違いに見えがちですし、学ぶ側にとっては冷静であればほんとんど同じに見えます。
ほとんど同じ部分が基本になるはずなので、私たち学ぶ側にとってはその基本さえ身につけておけば、そのテクニックのオリジナルな部分、考案者の工夫をスムーズに学ぶことができるわけですね。
(余談ですが、ちょっとくらい派手なPRというのは、興行的にあるていど必要なものですし、考案者の愛着の表れでもあるので、多少のことは大目に見てあげましょう。)
こうしていろいろ考えていくと、結局は刺激をどこに加えるべきかが問題となってきます。
それを決定するのが評価であり、だからこそ評価が大切なのだということになっていきます。
テクニックに目がくらまされず、その構成を分解して考えていくと、評価の大切さというごく当たり前のところに行きつくわけです。
手技療法を用いるという視点からお話しているというと、評価をないがしろにしてテクニカルなことを優先していると思われやすいのですが、それは誤解ですよ。
さて、手技療法の基本について個人的な考えを、気ままに思いつくままお話してきましたが、私は手技療法を学ぶ方たちが、どのようなコンセプトやテクニックを中心に使っていってもいいと思っています。
ただ、手技療法における評価と治療の土台になる「触れる」「感じる」「動かす」技術をしっかり学んでほしいと願っています。
この手技療法の基本を身につけることは、運動療法を行う方にとっても役立つはずです。
今の私は臨床でも、この「触れる」「感じる」「動かす」ことを精錬していくことに力を注いでいますが、まだまだ精進が必要です。
これからも学びつつ、自分なりに手技療法の基本を掘り下げ、かみくだいて、理解し習得しやすいように整備して生きたいと思っています。
試行錯誤を繰り返しながらですが、みなさんで一緒に進んでいきましょう。
前回は、手技療法の基本を以下の表であらわしました。
この表をながめていると、専門的なものとはかけ離れた、いかにも身近なことばが並んでいますね。
日ごろから専門用語になれていると、身近なことばはかえって拍子抜けしてしまうかもしれません。
このように表現しているのは技術を身につけていくためには、自分にとってなじみ深い、身近なことばを使うことが大切だと考えているからです。
技術は身体の動きによって表現されるものなので、なじみのあることばでないと動きがピンと来にくいのではないかと私は思っています。
もうひとつの理由は、冷静な判断力を保つためです。
新しいテクニックを紹介する記事や広告で、カッコいいネーミングや説得力のある解説、目覚ましい効果をPRをみても、常に冷静さを保って客観的にみられる方もいらっしゃると思います。
しかし、なかにはまぶしすぎて思わず目がくらんでしまう方もいるかもしれません。
とくに考案者が考えたような用語にはクラッときやすいものです。
目がくらむと、冷静な判断がしにくくなります。
だからとくに基本的なところは、身近なことばを使うことで、本質的なところをしっかり身につけておき、新しいものと出会ったときでも冷静に考られるようになっておく必要があるのではないかと思っています。
ところで、新しいテクニックのPRをみても、目がくらまならないためのちょっとしたコツがあります。
それは、車の運転なら対向車のヘッドライトを直視しないというのと同じで、用語や効果など、ことばで表現されたものを直視しないようにするということです。
では何をみるかというと、そのテクニックの動きをみるわけです。
どのテクニックをみても「押す」「引く」「まわす」という動きの組み合わせからなっています。
その動きから作りだされる刺激は、「押さえる」「伸ばす」「滑らせる」です。
これらの刺激を特定の「範囲」「深さ」「方向」に加えることが手技療法による治療です。
そう考えると、とてもシンプルなことですね。
はじめてみるテクニックが「押さえる」「伸ばす」「滑らせる」のいずれかの刺激を、どのような「範囲」「深さ」「方向」に加えられているかを見当つけます。
きっと「いろいろPRされているけど、やっていることはほとんどあのテクニックと同じじゃないの」というようなことが少なからずある、ということに気づくはずです。
すると、どんな目新しいものを見聞きしても冷静さを保ち、落ち着いて判断することができます。
テクニックのオリジナティというのは、その考案者が工夫した部分にあります。
立場によって見方が変わるというのは面白いもので、考案者からすれば他のテクニックとの少しの違いが大きな違いに見えがちですし、学ぶ側にとっては冷静であればほんとんど同じに見えます。
ほとんど同じ部分が基本になるはずなので、私たち学ぶ側にとってはその基本さえ身につけておけば、そのテクニックのオリジナルな部分、考案者の工夫をスムーズに学ぶことができるわけですね。
(余談ですが、ちょっとくらい派手なPRというのは、興行的にあるていど必要なものですし、考案者の愛着の表れでもあるので、多少のことは大目に見てあげましょう。)
こうしていろいろ考えていくと、結局は刺激をどこに加えるべきかが問題となってきます。
それを決定するのが評価であり、だからこそ評価が大切なのだということになっていきます。
テクニックに目がくらまされず、その構成を分解して考えていくと、評価の大切さというごく当たり前のところに行きつくわけです。
手技療法を用いるという視点からお話しているというと、評価をないがしろにしてテクニカルなことを優先していると思われやすいのですが、それは誤解ですよ。
さて、手技療法の基本について個人的な考えを、気ままに思いつくままお話してきましたが、私は手技療法を学ぶ方たちが、どのようなコンセプトやテクニックを中心に使っていってもいいと思っています。
ただ、手技療法における評価と治療の土台になる「触れる」「感じる」「動かす」技術をしっかり学んでほしいと願っています。
この手技療法の基本を身につけることは、運動療法を行う方にとっても役立つはずです。
今の私は臨床でも、この「触れる」「感じる」「動かす」ことを精錬していくことに力を注いでいますが、まだまだ精進が必要です。
これからも学びつつ、自分なりに手技療法の基本を掘り下げ、かみくだいて、理解し習得しやすいように整備して生きたいと思っています。
試行錯誤を繰り返しながらですが、みなさんで一緒に進んでいきましょう。
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