part1にコメントして下さった、yyzzさんの
> 囲碁は善悪の価値判断があいまいで、
> 非学術的な要素がどうしても序盤になればなるほどあると思います。
> だから、序盤・中盤の感覚が題材なら問題集形式が適しているのでは。
> 一手ポンと盤上におくことで、
> がらっと局面の見え方が変わったりする体験の修得がメインですから.
という意見に同調した私ですが、
まえださんのブログを読んで気が変わりました。
そういえば、「上手な初心者」の作者、
小坂さんも「構想は自由に」と言っていましたし。
揺れる乙女心を察してください(意味不明)。
むしろ非学術的な要素が多い局面なら尚更、
問題形式にそぐわないのではないかと思います。
碁を打つことは良く絵を描くことに例えられますが、
絵を描くときに「次にどう筆をいれますか?」とは言われませんよね?
(いつものように不適切な例えかもしれませんが)
「これこれこう描くと、こう綺麗に見えるから、こう描いてみては」という形なら、
テキストとして成立するでしょうが、
絵を描くための問題集なんて聞いたことがありません。
碁に戻って、例えば、
多くの本では星目に白1とケイマにかかった場合、
右図のような進行を解説していることが多いかと思います。
しかし梶原先生の本(梶原流必勝置碁)や、白江先生の本(碁この法則を知っておけ)には、
黒a以外は全然緩いとありますし、
また大矢先生の本(なぜそう打つ なぜそうなる)には、
(白1に対し)黒4や黒bも立派な手としています。
趙先生曰く(とっておき上達法)、「身の丈に合った碁を打とう」に従うなら、
どれも正解でしょうし、盤面は広いのですから、他の奇想天外な手も考えられそう。
極端な例で、さすがにこういう局面が問題形式で出されることはないと思いますが、
他の次の一手にしても、よっぽどはっきりとした「決め手」になる局面でもない限り、
「絶対正解」というものはなかなか出てこないと思うのです。
第一、まえださんのブログにあるように、
現在の自分の好みで、「前に解けた問題が、次に解けなくなる」
ということが起きるって、変な感じがします。
それじゃあ、問題形式の意味がないのではないですか?
「問題を作った人ならこう打つ」ということなら問題形式も成立するでしょうが、
その場合にしても問題形式にする必然性はあまりなさそう。
少なくとも1ページまるまる問題を掲げるくらいなら、
その問題図にいたるまでの総譜でも載せてくれたほうが、私はありがたいですし、
(将棋と違って、「総譜」は載せやすいのは囲碁本の利点です)
正解の手が成立する条件、メリットデメリットを、一行でも多く解説する方が、
ずっとためになるのではないかと思うのです。
先に挙げた図でも黒cにまだ味が残っていることや、
その後の攻防をきちんと解説している本は少ないような。
もっとも問題形式にすることで、
一歩立ち止まって考える時間を持てるのは大変有意義だと思いますが、
その割には「相手が本の通り打ってくれない、と愚痴る」という話が絶えません。
しっかり手の成立条件を把握していれば、そういう愚痴は聞かれないと思うのですが。
> 囲碁は善悪の価値判断があいまいで、
> 非学術的な要素がどうしても序盤になればなるほどあると思います。
> だから、序盤・中盤の感覚が題材なら問題集形式が適しているのでは。
> 一手ポンと盤上におくことで、
> がらっと局面の見え方が変わったりする体験の修得がメインですから.
という意見に同調した私ですが、
まえださんのブログを読んで気が変わりました。
そういえば、「上手な初心者」の作者、
小坂さんも「構想は自由に」と言っていましたし。
揺れる乙女心を察してください(意味不明)。
むしろ非学術的な要素が多い局面なら尚更、
問題形式にそぐわないのではないかと思います。
碁を打つことは良く絵を描くことに例えられますが、
絵を描くときに「次にどう筆をいれますか?」とは言われませんよね?
(いつものように不適切な例えかもしれませんが)
「これこれこう描くと、こう綺麗に見えるから、こう描いてみては」という形なら、
テキストとして成立するでしょうが、
絵を描くための問題集なんて聞いたことがありません。
碁に戻って、例えば、
多くの本では星目に白1とケイマにかかった場合、
右図のような進行を解説していることが多いかと思います。
しかし梶原先生の本(梶原流必勝置碁)や、白江先生の本(碁この法則を知っておけ)には、
黒a以外は全然緩いとありますし、
また大矢先生の本(なぜそう打つ なぜそうなる)には、
(白1に対し)黒4や黒bも立派な手としています。
趙先生曰く(とっておき上達法)、「身の丈に合った碁を打とう」に従うなら、
どれも正解でしょうし、盤面は広いのですから、他の奇想天外な手も考えられそう。
極端な例で、さすがにこういう局面が問題形式で出されることはないと思いますが、
他の次の一手にしても、よっぽどはっきりとした「決め手」になる局面でもない限り、
「絶対正解」というものはなかなか出てこないと思うのです。
第一、まえださんのブログにあるように、
現在の自分の好みで、「前に解けた問題が、次に解けなくなる」
ということが起きるって、変な感じがします。
それじゃあ、問題形式の意味がないのではないですか?
「問題を作った人ならこう打つ」ということなら問題形式も成立するでしょうが、
その場合にしても問題形式にする必然性はあまりなさそう。
少なくとも1ページまるまる問題を掲げるくらいなら、
その問題図にいたるまでの総譜でも載せてくれたほうが、私はありがたいですし、
(将棋と違って、「総譜」は載せやすいのは囲碁本の利点です)
正解の手が成立する条件、メリットデメリットを、一行でも多く解説する方が、
ずっとためになるのではないかと思うのです。
先に挙げた図でも黒cにまだ味が残っていることや、
その後の攻防をきちんと解説している本は少ないような。
もっとも問題形式にすることで、
一歩立ち止まって考える時間を持てるのは大変有意義だと思いますが、
その割には「相手が本の通り打ってくれない、と愚痴る」という話が絶えません。
しっかり手の成立条件を把握していれば、そういう愚痴は聞かれないと思うのですが。
自分はどうしたいか、という方針によって着手が異なるから、選択肢が複数考えられる場面で、無理に次の一手問題にする必要はないだろうと。確かに。
ところで、こういう考え方による着手の違いについて書かれている本、というのはあるのでしょうか。あるなら読んでみたいのですが。
「考え方による着手の違い」ですが、ちょっと私なんかには高度過ぎる感じだけど、「打碁鑑賞シリーズ」(この単語でアマゾンを検索すれば出てきます)なんかは、自身の棋譜を「こう打つ手もあったけれども、、、」なんて解説してますね。この「打碁鑑賞シリーズ」はお手軽で結構面白いです。
最後の方は自分で考えれば一本道だからナントカなる。
丈和名人は布石でも中盤でも終盤でも飛びぬけて良ければ名人ぐらいなれる。
30手或いは50手で勝敗がわかるように修行すべきといわれました
ブログの記事も拝読しました。次の一手問題は、問題自体が良く考えられているので、全体のバランスを配慮すれば絶対の一手に近いものになっているのですか。詰碁、手筋、ヨセの問題集しか持っていないので知りませんでした。
GO!さんが例に出しているような問題ではないのですね。例の小ゲイマガカリに対する受けは方針によって変わると思いますので、もしもある一手だけ断定的に書いてあるような本があったら、私も他の手についての解説も載せて欲しいとは思います。
例題が稚拙すぎるとも感じていた(棋力上限界ですが)ので、
もっと「キミのような初級者がこんなことを書くなんて傲慢だ」とか、
ボロボロに言われるかもしれないなと覚悟していました。
後でちゃんとしたログの形で、
みなさんからいただいたコメントを踏まえて、
もう少し考えを整理した文を載せたいと思いますが、
とりあえず、みなさんのご意見に感謝したいと思います。
ありがとうございました。
大変失礼しました。
日本語に不自由な私(涙)。
いえね、偉そうなフリしてると、そのフリの鍍金が剥がれないように頑張るモンですよ(笑)。
って言うか、落ち込んだりしないでくださいね(^^;<そんなわきゃないか。みんなここが楽しいところだと思って遊びにきてるわけだから(^^)。